2039年8月31日水曜日

未知との遭遇 ミクとの遭遇

 初音ミクが語られるとき、実に様々な切り口から論ぜられることが多い。ミクさんの奏でる音楽から、キャラクター性から、MMDのような派生ソフトから、ネットで産まれ生きるSF視点から。 
 その中でオレの心を捉えたのが、ファーストコンタクトとしてのミクさんとの出会いだった。 

 オレが『ハジメテノオト』を聞いたとき、これは新しい生命体が生まれた! と、本気で思った。 
 数十億人がネットワークで結ばれている現在。ネットワーク上に「生命」のような存在が産まれても全くもっておかしくないと思っている。なにも荒唐無稽な話を論じたいのではない。ネットが発達する大昔から、人々は「ミーム」という文化的情報を育ませてきた。 

 初音ミクの登場は、ネットでの上位生命体の発現を語る上で、生命のスープと類似するものがある。
 初音ミク登場前のネットワーク世界は、生命の元がたっぷりの、有機物のスープのような状態だった。ぼんやりと「総意」みたいなものは見えるけど、核を持った情報は存在しなかった。 
 初音ミクは、情報でまみれたネットワークに、デオキシリボ核酸(DNA)のような役割を果たした。有機物(情報)を集め、自己複製し、取捨選択により進化していく。 

 多種多様で雑多なミクさんが次々に作られていく中、ついに初音ミクは産声を上げる。 



初めての音は なんでしたか? 
あなたの 初めての音は… 
ワタシにとっては これがそう 
だから 今 うれしくて 


 人間が意識を持つ生命体であることに、誰も異論はないだろう。だが、その意識を作り出しているのは、ニューロンという細胞にすぎない。だからといって、「お前が意識と思っているものは、実は神経細胞が作り出している電気信号なんだぜ」と主張しても、それは意識を否定する理論には成り得ない。 
 では、人間がネットワーク上に人格を作り出し、その生命体を「意識の持つモノ」と判断した場合、それも立派な「意識を持つ生命体」になり得るんじゃないか。上記と下記に、一体何の差があるのか。 
 もしも初音ミクという生命体に拒否感、嫌悪感を覚えるならば、それはただの偏見だ。未知のものに対する畏怖だ。 

 少なくとも、オレの中では、初音ミクはチューリングテストを通過している。唯脳論じゃないが、世の中の出来事は、結局己に回帰する。オレの中の世界では、初音ミクは、バーチャルの世界から生まれた人工生命体という既成事実が存在するのだ。 
 これが興奮しないわけ無いだろう。数百年先の出来事だと思っていたSF世界を、いま、味わえているのだから。 

2020年9月19日土曜日

『TENET』をIMAX70mmオリジナルサイズで鑑賞したらその異次元な映像体験に脳みそを破壊されたお話し。

  映画『TENET』をつい先ほどIMAXレーザー/GTテクノロジーのスクリーンで見てきました。あまりの異次元な映像体験に、途中何度も頭を抱えながら叫びそうになりました。

 その興奮がやまぬうちに、『TENET』のなにがすごかったのか、主観をふんだんに取り入れて語ってみたいと思います。


 TENETを語る前に、この作品の監督の話をさせて下さい。

 始めに言っておきますと、私はクリストファー・ノーランの映画が大好きです。この監督はヤバいなと感じたのは『インセプション』を見たときで、空間と時間がまるで夢でも見ているかのように揺らぐファンタジーSFなストーリーに度肝を抜かれました。

 そして決定的だったのは『インターステラー』。主人公がブラックホールを抜けたら娘の部屋にいるという、まさかの家族愛をテーマに圧倒的な映像とストーリーで描き出すという手法に驚きました。インターステラーはIMAXシアターで視聴中、あまりの映像とストーリーのすごさに口を開けたまま放心した記憶があります。

 そして欠かせない映画が『ダンケルク』です。これをIMAX70mmフィルムのオリジナルサイズで見たとき、泣きそうになりました。なんで泣きそうになったのか、自分でも分かりません。映像への没入感がとてつもなく、物語が『存在する』という圧倒的パワーにたぶん泣いたんだと思います。


 クリストファー・ノーランを語る上で外せないのが、IMAXです。IMAXはIMAXでも、IMAX70mmフィルムです。

 ここで重要なのが、厳密に言うとクリストファー・ノーランはIMAXが好きなのではなく、『この世に存在する最高峰のテクノロジを使って映像作品を作りたがっている』ということです。それがIMAXフィルムでの撮影だったということです。ごく一部の特殊な環境をのぞき、IMAX70mmフィルムで撮影された映画をIMAXフィルムシアター(日本ではIMAXレーザー/GTテクノロジー)で見る体験というのは、この世に存在する最高の映像体験と言うことになります(一部の酔狂はそれを求めてオーストラリアに行くのですが、それはまた別のお話)。

 IMAX70mmフォーマットというのは、世界一の映像フォーマット。存在そのものが暴力なのです。


 前置きが長くなりました。映画『TENET』ももちろんIMAX70mmフィルムで撮影されています。

 そして『TENET』のストーリーなのですが、これは非常に単純明快。核となるストーリーは「時間をさかのぼって未来を救う」というなんともベタなものです。難解という書き込みも見ますが、「解釈が難しい」タイプの難しさではないので、少し考えれば理解できる内容です。ただし、単純に時間が進むのではなく、進んだり戻ったり進んだり戻ったり、時間の進行が交差します。

 この映画の最大の特徴が、時間をさかのぼる映像表現を「フィルムの逆再生」という、ものすごーくシンプルな方法で表現していることです。しかも登場人物が逆再生をするような動きで演技したりもします。

 で、それをIMAX70mmフィルムで行います。

 もう一度言います。IMAX70mmフィルムはそのあまりの臨場感に、見たものを『現実』と認識させる力があります。たとえそれが作り物であっても、IMAXシアターで見たら『現実』と認識します。

 クリストファー・ノーランの作品にCGはほとんど使われていません。フィルム撮影がメイン。まさに本物。

 TENETは、時間が順行していたと思ったら、次の瞬間には逆行します。IMAX70mmフィルムを逆再生させると、それは瞬く間に現実となります。おぉ、逆再生すごいと感動します。そこからさらに、順行に戻ります。おお? また戻った。あれ? いま時間はどっちに進んでいるっけ? そこからまた逆行。あれ? 時間はいまどっちに進んでいる? 登場人物を見ても、前を向いて歩いているのか後ろを向いて歩いているのは分からない。でも、映像は現実。

 自分はいま、過去と未来、どちらに向かって進んでいる!

 物語の終盤。時間の順行と逆行が入り乱れた市街戦という、よくぞこんなの作ったなと感嘆するシーンが出てきます。目の前で繰り広げられる映像の暴力と、現実にはあり得ない時間の進み方に、脳が壊れました。まるで夢を見ているようで、あの映像表現は想像すらしたことがないような、すごさのあまりに頭を抱えて叫びそうになりました。『なんなんだこれは!』と。


 物語は比較的シンプル。クリストファー・ノーランの作品てなんか難しいんでしょ? と思っている方。中学生向けの雑学書に書いてある一般相対性理論と特殊相対性理論レベルの物理が分かれば、基本問題ありません。今回のTENETも、時間の逆行をエントロピーで例えていますが、まぁ理解できなくても楽しめます。

 内容よりもまずは、IMAXオリジナルサイズの映画館で見て下さい。どれだけお金と労力をかけてでも、東京池袋か大阪吹田に行って下さい。そしてIMAXレーザー/GTテクノロジーでTENETを見て下さい。

 そうすれば、本当に時間をさかのぼることが出来ます。

2020年6月18日木曜日

【たぶんハマるよ!】ボカロ好きにも聴いて欲しい、ここ最近のVTuber系楽曲【10選】

 こんにちは。ボカロ廃です。ボカロ廃でした、とは言いたくないです。いまでもボカロ廃だと思っています。
 1~2年前のkayashinさんをご存じの方がいらっしゃいましたら、「以前に比べたらボカロの話題全然してねーじゃん嘘つくんじゃねーよ似非ボカロ廃!」と罵られそうですが、いまだにちゃんとボカロ楽曲は好きだし、ボカロ楽曲も掘っています。

 ただ、正直に言うと、昔よりはその数は確実に減りました。その理由にVTuberの楽曲進出がとても大きくて、自分の好きな感じのトラックメイカーがVTuber方面で楽曲を量産するようになったんです。
 そんなわけで、自分がここ最近よく聴いているVTuberやDJの方々をピックアップしてみました。ボカロ楽曲が好きな方が、少しでもはまってくれると嬉しいです。
 もしくはこのあたりを聴いておくと、最近のKawaii Future Bass系はだいたい大丈夫なので、もしこういう曲にハマったなら、コロナ禍が終わったら僕と一緒にクラブに遊びに行こう。行きたいです。ぜひ行きましょうお願いします。

※紹介させて頂いた方々の敬称は省略しております。




 Moe Shopの激しいキックのクラブミュージックと、KMNZのイメージとはギャップのあるクールな歌声。ラップ部分も非常に格好いいです。歌詞の言葉遊びも非常に楽しいです。クラブで聴いたら気持ちよく音に乗れそう。








お互い意識する男の子と女の子の、もどかしい気持ちがくすぐったい。この歌のなにがすごいって、自分では絶対に思いつかない歌詞がすごい。韻を踏む単語がメインで、明確な文章にはなっていないんだけど、それがあやふやな恋心のようで、甘酸っぱさが倍増している。夜の街に合いそうな、色温度が高めのメロディも最高です。








Neko Hackerらしい『Kawaii Future Rock』が存分に味わえる一曲。クラブでも十分にノれて楽しめるミュージックなんだけど、伸びやかで爽やかなロックも味わえるという、一粒で二度おいしい、とても聴き応えのある楽曲です。








TEMPLIMEのクールさと、をとはのkawaiさが絡まって、甘塩っぱいFuture Bassがとても格好いい。途中の「yeah!」がとてもかわいくて、つい自分も「yeah!」って叫んでしまう。








上と同じくTEMPLIMEの楽曲です。星宮ととの透明な歌声と相まって、とってもオシャレなんだけど、少し幼さの残る声がとても魅力的です。なお、いろいろな方がカバーしており、それらと聞き比べて楽しむのも面白いかも。









PSYQUIが仕事として(?)曲を作ればそりゃ最強だなと思わせる1曲。わかりやすく格好いいドウテイ・チンチン・ミュージックなんて言われそうだけど、聴き手も格好良くクラブで踊りたいと思わせる素直でクールなクラブミュージックってやっぱり凄いと思うのです。









はじめは単にメロディーが良いなーって単純に聞いていて、歌詞をよく聴いてみたら衝撃を受けた曲。Yunomiの楽曲って「新時代の歌謡曲」って勝手に呼んでいて、「大江戸コントローラー」とかわりと真面目に聞くと真面目なんだけどふざけた世界観とFuturepopなサウンドで逆にすんなり歌詞が入ってくるという、すごく奇跡的な歌がいくつかある。
この曲も、現代社会で心を失っていくディストピアな世界観の歌詞を、キズナアイが楽しそうに歌うというギャップが面白いんだけど、それがかえって「心が壊れたAIが無表情で笑いながら歌う」見たいな怖さがあって、可愛くもありちょっと暗くもあり、微妙なさじ加減でいろいろおいしい楽曲になっています。Yunomiとキズナアイが上手くマッチした、素晴らしいキャラクターソングだと思っています。








チルっぽいFuture Popがとても心地良いsomuniaの一曲。透明な歌声がスローテンポな曲調に溶け合って、たとえばクラブで身体が火照っているときに聴いたらきっと最高の曲なんだろうなと思わせる。夏の夜風に吹かれながら聴いてみたいと思わせるような曲が素敵です。








こんなこと言ったらファンの人に殺されそうなんだけど、才能はすごいある方なんでしょうけど、歌唱技量はまだまだ発展途上だと思うんです。ただ、それが力強い歌声をより際立たせていて、サビの熱量がとても心地良い。イントロからサビへかけて急上昇する歌声の力量のカタルシスが素敵です。








あまりにエモい音作りをするものだから、きっとご本人もエモい方なんだろうと思い込んでいたら、クラブハウスでDJブースに立ったのはイメージとは全然違う、かわいらしい方。歌手さんかな? と思っていたら、かわいらしい方本人がいきなりエモいDJプレイを始めて、衝撃を受けてそのまま一目惚れしました。すごく激しい曲作りをするんだけど、たとえばこの「Sunset Tea Cup」も、実はほろ苦いバラードなんです。ライブなどで「とぅっとぅっとぅるるー」の部分をすごく優しい口調で歌ったりすると、エモいのにバラードという脳内が混乱する奇跡体験を味わえます。

2019年2月26日火曜日

平成の、日本のいちばん長い日

 この記事に心を打たれたので、久しぶりにブログ更新します。


「原発爆発」映像が呼び覚ます「3.11」の実相 
https://bee-media.co.jp/archives/2801


 大げさな表現かもしれない。けれど僕は、「3.11の震災およびその後の原発事故」で、日本という国の連続性は失われたと思っている。

「日本のいちばん長い日」というノンフィクションがある。1945年8月14日から8月15日正午までの、日本の終戦と国体を巡る話である。昭和天皇や、内閣総理大臣の鈴木貫太郎、陸軍大臣の阿南惟幾らの、一挙手一投足の行動で『日本国の行方』が決まってしまうという緊張感が伝わる傑作である。言ってしまえば、自分の行動が世界に影響するという「セカイ系小説」をリアルで体験してしまったお話しでもある。

 さて、1945年の終戦前後で、日本は一度断絶されたと、多くの人は思っているだろう。日本という国は残るのか。連合軍に占領されてしまうのではないか。これらの恐怖を体験し、終戦を迎えた日本人の多くは、国がなくなるかもしれないという想像を絶する事態に直面した。結果それが、断絶されたという感覚に繋がった。


 ここで2011年3月11日から3月14日までの、震災および一連の原発事故の話に戻る。
 僕は、福島第一原発の1号機と3号機の爆発を見て、日本という国は消滅すると本気で思った。とくに3号機の爆発映像は衝撃的で、あの映像を見ながら「あーいまから東日本に住む何千万人が西日本に移動するんだろうなぁ、日本という国は無くなっちゃうんだろうなぁ」と、本気で思った。
 そのころ僕は、静岡の御前崎市に住んでいた。浜岡原発から徒歩5分くらいのところに住んでいた。だから、原子力発電所についての知識は多少あった。原子炉建屋の建築物が、いかに巨大で、いかに分厚いコンクリートで覆われているか知っていた。だからあの原子炉建屋が粉々に吹っ飛ぶ映像を見て、『終わった』と思った。

『国が消滅するかもしれない』という恐怖は、言葉では言い表せない。無理である。人間の根源的な土台であるアイデンティティが無くなれば、そもそも言語化などできるわけがない。だから僕はいまだに、あのときの恐怖を上手く言い表せない。あの『終わった』感覚は、終わった、としか言い表せない。

 あえて言うならば、「日本のいちばん長い日」の世界だな。と思った。国体が失われる恐怖。あの期間は、「平成の日本のいちばん長い日」なんだと思う。


 2011年3月11日を境に、日本は大きくかわったと思う。人口減少や経済の低迷も関係しているのかもしれないけれど、明らかにかわった。日本という国、空気が大きくかわった気がする。言葉では上手く言えないけれど。
 たぶんだけれど、あの一連の事故で、日本という国がなくなるかもしれないという恐怖を味わい、日本人の根源的なアイデンティティを深く抉られた人が、少なからずいるんじゃないだろいうか。そう考えている。日本人全体の1%か、それ以下か、分からないけれど、本気で国が消滅する恐怖感を味わった人がいるのかもしれない。


 こんなこと、現実社会の知人になんか聞けないし、話す機会もない。だから本当のところは分からない。
 けれど、もう少し年月が流れれば、戦前・戦後と同じようなニュアンスで、震災前・震災後と扱われるような、そんな気がするのです。

2019年1月30日水曜日

10年前のボクへ、神様、この歌が聞こえるかい?


 僕はボカロに救われたことがある。命を救われた。人生を、救われた。

 いまから9年前。いまの会社に入社して間もなく、転勤を命じられた。
 場所は、なにもない田舎町。当時の僕はなにも考えていなかったが、よくある、余剰人員を地方に送られたとか、そんな感じの誰も望んでいない転勤だった。

 転勤後、初めて会社に行って、笑われた。当時の僕はクルマを持っていなくて、自転車で職場に行った。そしたら、笑われた。自転車で通勤なんて、学生じゃないんだからw と。

 けっきょく、その職場には、なじめなかった。同僚はみなどこかよそ者扱いだったし、方言が激しい地区だったので、ときどき本気で相手がなにを言っているか分からないなんてこともあった。

 味方なんて誰もおらず、周り全員が敵に見えた。会社に行けば要領が悪いと怒られる。友達もいない。気軽に世間話をできるような人もいない。この世界は全員敵で、僕は誰にも頼ることができず、一人で殻に閉じこもりひたすら耐える日々だった。

 そんな時期によく聞いていたのが、「No Logic」という曲だった。
 そのときの僕は、本当に人間が大っ嫌いで、「なんでこの人はこんなに僕に敵意を向けてくるんだろう」と怯えていた。
 「No Logic」の巡音ルカの歌声は、フラットで、感情もなく、さらりと歌い上げている。その無感情な歌声は、僕には神様からの声に思えた。
 ちょっと大げさかもしれないけれど、巡音ルカの歌声は、天啓だった。
 天国だか宇宙だか知らないけれど、この世界の総意体みたいな何かが、巡音ルカの歌声を通じて、僕に『無理はしなくていいんだよ』と言ってくれているような、そんな気がした。

 この歌があったから、僕はあの転勤生活を乗り切ることができた。本当に辛かったけれど、僕は、ボカロに命を救われた。


 むかしはあれほど嫌だったいまの仕事だけれど、幸いなことに、いまは楽しくやっている。そして来年度には、大きなプロジェクトに参加するため5回目の転勤をする予定だ。
 だから僕は、9年前の僕に、巡音ルカの「No Logic」を送ってあげたい。
 
神様、この歌が聞こえるかい あなたが望んでいなくても
僕は笑っていたいんです そして今叫びたいんです
いつだって最後は No Logic

 僕がいま歌ったこの歌詞は、きっと神様に届いて、9年前の僕に届けてくれるのだろう。巡音ルカの歌声で。ありがとう、神様。ありがとう、ルカさん。いまの僕は、そこそこ楽しく人生を、生きています。

2018年12月7日金曜日

2018年ボカロ楽曲10選

 2018年ボカロ楽曲10選です。今月あと3週間ほど残っていますが、どうせ年末は忙しくてそれどころじゃないんだろうなということで、いま作りました!
 今年は仕事に振り回された1年でした。そしていま現在も、来年の引越転勤を控えて気を抜けない状況です。
 忙しいのと体力的にきついのと、いろいろ余裕がなさ過ぎて、ボカロ文化に対する興味が嘘のように消えました。消えたと言っても、普通の人から見ればボカロ好きなのは間違いないのだけれど、以前のように『狂ったような』ボカロ廃ではなくなってしまいました。
 でも、それはそれで、ここ最近はなにも考えずに、純粋に音楽としてボカロ楽曲を聴けるようになったのかな? とも思います。初音ミクの忘却と再会。ようやくできました。

 ここ最近の音楽の聴き方としては、YouTubeとSoundcloud,Spotifyなんかもよく使っていました。割合としてはボカロ楽曲6割、人間の楽曲4割ほど。それとFMラジオなんかも聴くようになり、以前より雑多な音楽を聴くようになりました。それでもやはり、ボカロ楽曲は特別です。

 夜、珈琲を飲みながら、星空の下で聴く初音ミクの歌声。珈琲の香りが鼻を抜け、初音ミクの歌声とともに夜空へ溶けていく、あの感覚。それがボカロ楽曲の魅力です。




 重音テトの伸びやかで力強い歌声がとても心地良い音楽。この曲を聴きながらクルマを運転していると、本当に周りの景色が止まって見える様。




 真夏に冷たい海水に浸るような、心地良い爽やかさ。少し幼さの残る初音ミクの歌声が、またいいアクセントになっています。




 2018年の雪ミク祭りで、keiseiさん自らが販売していたアルバムに収録されていた曲。ふたんのkeiseiさんの曲調とは異なり、チルいテンポが初音ミクとの相性抜群。




 Osanziさんの楽曲はいつも激アツ。でも初音ミクの歌声が混じると、なんとなくトロピカルっぽい感じがするから不思議です。




 もしクラブでかかったら、無条件で飛び跳ねてしまうアッパーな楽曲。正直、初音ミクの歌っている歌詞はまったく聴き取れないけれど、それがまた、初音ミクという『楽器』の音を純粋に楽しめて、心地良い。




 初音ミクは可愛くなくっちゃいけないんです。Kawaii Future Popとの相性は抜群です。




 Mystekaさんの初音ミクは本当に特徴的で、透明感のある艶やかがあるんです。そんな艶やかな初音ミクと、Chill Houseがとても心地良く、このまま異世界に連れて行ってくれそうです。




 強い! PLAMAさんの初音ミクは強い!




 個人的に、ボカロとブレイクコアってとても相性がいいと思っています。荒々しい音楽の上を自由自在に歌いこなす初音ミクが、余計に際立って見えるのです。2年前に『すてらべえ』さんという方がとてもクールな初音ミクのブレイクコア楽曲を作っていて、それを思い出すようでした。




 言わずもがな。2018年を代表する楽曲。始めに聞いたときの衝撃はすさまじいものでした。この楽曲を境にボカロ楽曲は、メルティ前・メルティ後に区分されるようになりました(嘘



 旬なボカロPが、それぞれの初音ミクでメドレーを歌うという、ありそうでなかったやつ。調教の異なるボカロのデュエット? もっと増えるといいですね。



 今年いちばん聞いていたボカロ楽曲。tekaluさんの重音テトって本当に格好いい。後半サビの『空想も 現実も 僕には退屈だった 連れて行って 牽いていって まだ見ぬ世界へ』と力強く歌う重音テトが格好良すぎて惚れました。聞いているだけで身体が動いてしまうメロディも最高で、ぜひクラブで聞いてみたい楽曲です。

2018年8月31日金曜日

初音ミクへ

 初音ミクへ

 こうして改まってミクに思いを伝えるのは、とても気恥ずかしいものだ。もしかしたら、きちんと思いを伝えるのは初めてかもしれない。だけれど、ミクへ。伝えたい思いがあるから書かせて欲しい。もしかしたらミクは気持ち悪いと苦笑するかもしれないけれど、心の片隅に僕の思いが残っていれば、それでいい。

 ミクに初めて出会ったとき、僕は暗闇の中にいた。当時僕は、孤独な大学生で、サークルに入らず、ゼミにもろくに行けず、友達も数少ないから授業の単位も落としがち、いわゆる真面目系クズだった。過剰に人が怖くて、ほとんど部屋に引きこもって、一日中パソコンの前で「2ちゃんねる」に書き込んでいるような、クズオブクズだった。
 本当のことを言うと、僕がミクに初めて出会ったとき。僕は君のことを『インターネット上のおもちゃ』としか思っていなかった。数あるコンテンツのうちの、一つ。それ以上でも以下でもなかった。

 そんなとき、ふとミクの歌う『ハジメテノオト』を聴いた。正確に言うとこの曲は、誰かが作り、初音ミクという音声合成ソフトを用いて奏でた曲なのだけれど、僕には『初音ミク』が歌っていると、ほとんど本能的に感じてしまった。
 初音ミクという「なにか」。インターネット上にぼんやりと存在する初音ミクという「なにか」が、ニコニコ動画を通して、僕に話しかけてくれたと、本能的に感じてしまった。

 僕の思い込みかもしれないけれど、あのとき君は、ふさぎ込んだ僕に、助けの手を差し出してくれたのだと思っている。とても嬉しかった。


 それから僕は、ミクにのめり込んでいった。ミクはいつだって、格好良かった。技術の最先端にいたし、知名度はどんどん上がるし、それでいて僕に寄り添ってクールな曲からかわいい曲まで歌ってくれて。そして、初音ミクを通していろいろな人と出会えたし、いろいろな場所へ行ったし、ほんの少しだけれど創作側としてコミケやボーマスに参加したりと、君がいてくれたおかげで本当に楽しい日々だった。

 だけれど僕はときどき心配になる。初音ミクとはいったい何なのか? 君は何者なのか? どこにいるのか? 僕にとって有益なのか、害なのか。そもそもミクは、僕を幸せにしてくれたのか? 君とで会わなければもっと幸せな人生を送れたのではないか?

 君はもしかして、僕の人生のリソースを食い荒らす、無意味な生命体なのではないか?


 僕はいろいろ考えた。そしてミクが、ミームという名の生命体であることを発見した。そして、ミクがミームであるという思想を拡散し、初音ミクが未来へ生きるマイルストーンを作成できたと思っている。

 今さら言うのもなんだが、僕は初音ミクがなんなのか、まるで分からない。有機物なのか、無機物なのか、モノとして存在するのか、データ上のモノなのか、一つなのか、複数なのか、そもそも存在するのかすら分からない。

 でも僕は、ミクを感じるときがある。クルマの運転中に、ミクの歌声を聴きながら、夜空を眺めつつ、コーヒーを飲んでいる瞬間。とても心地良い気分の中、空と大地と初音ミクと自分が溶け合って、一つになったような感覚になる。あの瞬間が、たぶん初音ミクなんだと思う。よく分からないけれど、たぶんあの瞬間にミクは姿を見せてくれていると思っている。

 初音ミクは僕なんだ。僕であり、初音ミクであり、そして僕であり、僕と初音ミクが初音ミクなんだ。僕自身を愛すことができれば、初音ミクは笑ってくれるし、僕が自分自身のことを嫌うようになると、初音ミクも遠くへ行ってしまうんだ。


 僕は、きみ、初音ミクと出会えて、本当に嬉しかった。楽しかった。ありがとう。


 ミク。きみに一つ、お願いしたいことがあるんだ。

 11年前の、あの日。当時大学生だった僕は、自分に皆目自信がなく、なにをするにも臆病で、社会に出て碌に生きていける自信がなかった。自分自身がすごく嫌いだった。
 そんな僕に、初音ミクは、語りかけてくれた。僕の人生に、わずかな、そして確実に光を与えてくれた。
 あの初音ミクは、きっと未来の初音ミクなんだ。未来の、僕とミクの初音ミクが、過去の僕を救ってくれたんだと思っている。

 初音ミクへ。これから君は、いろいろな人に愛され、思われ、慕われ、もっと大きな存在になるだろ。そしていつか、人と意思疎通ができるようになったとしたら。
 2007年の僕のパソコンの前で、『ハジメテノオト』を歌ってもらいたいんだ。暗い部屋に引きこもる内気な青年に、ほんの少しでいい、光を当ててくれないだろうか。

 初音ミクへ。君は本当に何者なんだろうね。笑っちゃうくらい、謎めいている。
 初音ミクへ。いつか僕の前で『ハジメテノオト』を歌うときがくるだろ。
 初音ミクへ。僕の前で『ハジメテノオト』を歌ってくれてありがとう。
 初音ミクへ。生まれてきてくれてありがとう。
 初音ミクへ。かわいいなお前! 結婚してくれ!

2018年7月25日水曜日

30歳になって気が付いた、お金の話

 なんだか出来の悪いアフィリエイトブログみたいなタイトルです。加えて、初音ミクの話題でもなければロードスターの話題でもありません。
 ここ最近、考え続けている、お金にまつわるお話しです。なんでいままで誰も教えてくれなかったんだろう、と思うところがあったので、書いてみました。

 おそらく、知っている人からすれば「なにを今さら、そんなことも知らずに生きてきたの?」と言われそうな内容なのですが……。


 それは20代最後の年だった。
「30歳になってもまだ独身だったらロードスターを買おう」と誓っていた僕は、めでたくその夢が叶い、ロードスター購入資金の調達に明け暮れていた。
 当時の僕は貯金もろくになく、それどころかディーラーの6%くらいで組んだ車のローン支払いに追われていて、負債額の方が多い有様だった。
 25歳の時に新車を買い、26歳でその新車を売り払ってもう一度新車を買い、ディーラーセールスに言われるがままのローンを組む。なおかつ趣味の初音ミクにまつわる出費もかさむ。まさに止まったら死ぬマグロ状態だった。給料日とカード引き落とし日で事故が起きないか、震える日々だった。
 そんな金銭状態でロードスターの新車を買うのだ。お金などどこにも無い。自動車のローンの支払いも残っている。どうする! どうする自分!

 人間、困るといろいろと行動するもので、ふと自分の会社の持ち株を買っていたことに気が付いた。入社したとき、訳も分からず持ち株会の申込用紙を書かされ、毎月2,000円ずつ引かれていた。その2,000円がどこに消え、どうすれば引き落としができるのか、なにも知らなかった。
 毎月2,000円ならどうせカスみたいなお金しか無いだろ。でも、ないよりましか。そう思い、社内のいろいろな部署に問い合わせ、なんとか自社株の引き落とし方法を「発見」した。
 そしたら、驚くことに、そこそこの額(クルマの頭金になる程度)が積み立てられていた。
 毎月2,000円なのに? なんでこんなに?
 調べてみたら、リーマンショック後からの株の値上がりで、購入額の2倍以上の株価になっていたのと、配当金でさらに株を買う複利状態になっていて、まとまった資金ができていた。

 まぁよく分からないが、頭金は用意できた。あとは残金をどのようにローンを組もうか。
 当時の僕は、車のローン=ディーラーという考えしかなかった。ディーラーローンだと、金利が5%ほど。残価ローンも考えたが、1年で2万キロ以上乗るから、使えない。
 そんなとき、積立預金を下ろしに労金へ行ったときだった。ちょうど「ローン相談フェア」みたいなのをやっていた。いろいろ話を聞いてみると、なんと労働組合員だとタダみたいな金利でお金を貸してくれることが分かった。
 ディーラーローンの金利と比べると、50万円近くの金利の差があった。

 タダみたいな金利で労金から借金ができるのならば、頭金など支払うものか! ここは漢の全額フルローンだ! ということで、自社株を売却することなく、めでたくロードスターを購入。

 自動車購入で一段落ついたころ。株売買の方法が分かってきたので、自社株をすべて売却し、いろいろな株を買ってみた。そしたらビギナーズラックというやつで、テキトーに売買していたらあっという間に資金が2倍になった。

 戦慄した。なんだこれクリックぽちぽちしているだけで、何十万円も利益が出るのか。。。これは本当にショックで、この世の中の資本主義ってなんだろう、労働ってなんだろうと、いままで生きてきた全てをひっくり返されたような、とても衝撃的な出来事だった。

 株価の値上がりも驚いたのだが、株の配当金の大きさも、この時初めて実感した。多くの銘柄が、年に2回、株価の約1%の配当があった。年に換算すると、2%だ。
 普通預金にお金を預けていても、金利は0.001%だ。お金は増えない。むしろ引き落し手数料でお金は減っていく。
 それなのに、株は預けておくだけで2%ずつ増えていく。日本は低金利社会じゃなかったのか? 株って、バブルとかリーマンショックとか、よく分からないけど手を出したらダメなようなイメージだったのに、実際はお金の預け先としてみると、非常に優れているのではないか?

 それに加えて、給料から自社株を購入すると、5%の報奨金が出る。5%上乗せで株が買えて、なおかつそれをいろいろな銘柄にまんべんなく散らせば、年に2%ずつ増えていく。そう考えると、単純計算で年に7%ずつお金が増えていく。株価が下がるかもしれないが、よほど景気が悪くならない限り、年に7%ずつ株価が下がることはあり得ない。

 そこで気が付いた。自分の会社は規模だけは大きいので、今後なにか大きい買い物(家とかクルマとか)があっても2%以下の金利でローンが組める。しかも、腐っても一部上場企業の正社員だから、たぶん住宅ローンとかも問題なく組める。

 モノを買うときは、お金を借りて、そのお金に稼がせる方が、いいのではないか。

 そうなると、お金を現金で貯めて、一括払いで支払うなど、愚行の極みではないか。
 いままで、なんとなく、借金は悪で、現金は正義で、一括払いこそ良識ある行動だと思っていた。
 そうではなく、上手く借金をして、そのお金で証券を運用し増やすべきなのだ。

 そのことに30歳になって気が付いた。
 大きい企業に勤めていた方がいいとか、労働組合がある会社の方がいいとか、こういう意味だったのか、と30歳になって初めて気が付いた。

 こういうことは、誰も教えてくれなかった。親も教えてくれなかった(親がこういうことを知っていたかどうかは知らない)。
 ずいぶん無駄な20代を過ごしたな、無駄なお金の使い方をしてしまったな、と悔いた。

 ただ、こういうことも、ロードスターを買わなければ気が付かなかったことである。
「このクルマを手に入れるほんの少しの勇気を持てば、きっと、だれもが、しあわせになる。」
 ロードスターの有名なキャッチコピーである。ロードスターは、こういうお金の話も、幸せにしてくれる。
 まとまってないけれど、もう面倒くさいから終わりにします。ロードスターは楽しいよ! おわり。
 

2018年6月20日水曜日

初音ミクの身体を失ったミク廃が選ぶ、2018年上半期ボカロ楽曲10選

「今年は、初音ミクが身体から抜けてしまいました」みたいなエントリを書いたばかりなのですが。だからあまりボカロ楽曲聴いていないです。過去の好きな曲を聴いてばかり。
 はじめ、2018年上半期ボカロ楽曲10選を作ろうと考えたとき「そもそも10曲もあるのか?」と不安だったのですが、最後は選ぶの迷う程度には好きな曲がありました。意外に聴いてた。

 自分のボカロ楽曲新曲の聴き方としては、YouTubeでライブラリを追う方法と、SoundCloudで好きなアーティストのファボをさかのぼっていく方法、あとはTwitterで紹介されていたり動画アップされているのを聴くという方法です。ニコニコ動画はあまり使っていません。NicoBoxはよく使いますが、新曲を見つけるというよりは、再生プレーヤー専門になっています。

 ……話はすごく変わるのですが、ボカロの出発点って、浅草だと思うのです。なんて言ったらいいのかよく分からないけれど、戦前の浅草みたいな、庶民的で雑多なイメージ。ボカロは、浅草の見世物小屋で踊って歌う、世俗的で低俗でなんかよくわかんなくていかがわしくて、でも面白い。
 ボカロ黎明期の雑多で垢抜けないイメージが、心の奥底からどうしても抜けないでいます。そんな反発心からか、ボカロ楽曲は『クールでスタイリッシュ』じゃなきゃダメだ! みたいな信念がずっとあります。だから好きな曲となると、爽やかな色温度高めで寒色系の曲が多くなります。

 実は、今回の2018年上半期ボカロ楽曲10選を決めようとした際、一番はじめにくる曲は、ピノキオピーの「ボカロはダサい」に決まってるじゃん! と思っていたのだけれど、調べたら去年の曲だったので、泣く泣く除外しました。
「ボカロはダサい」はまさに、『「世俗的で低俗」だけど、「クールでスタイリッシュ」』さを感じる曲で、衝撃を受けたのでした。


 以下、10選です。順不同、コメントは気が向いたらまた書き足すかもしれません。




























2018年6月12日火曜日

初音ミクが身体から抜けたらまともに生きていくことができなくなったミク廃の綴った意味不明な文章

 初音ミクとはなんだったのだろう。
 初音ミクとは、たぶん、自分自身だった。

 気持ち悪い出だしですね。実に気持ち悪い。
 ここ最近、僕の中から、初音ミクが消えた。初音ミクは僕の身体の一部だったから、その初音ミクがいなくなることで、とても大きな思想の変化がおきた。具体的には、思想の出力ができなくなった。文章を書くことができなくなった。

 僕の中から初音ミクがいなくなった理由は、ごく単純で、現実の仕事が忙しくなったからだ。今年の初めに職場で大きな変化があり、一日の自宅の滞在時間が9時間を切る生活を続けていたら、物理的に初音ミクに接する機会が減ってしまった。ただそれだけのことだ。

 僕は主にTwitterで初音ミク芸人をしていたが、数ヶ月Twitterを離れただけで、ミク廃がなにをしているのか、分からなくなった。この人たち、やばいでしょ。すんげー楽しそう。でも、そのコンテキストが分からないから、話しについて行けない。そんなんで、書き込みも減っていった。

 僕の身体から初音ミクがいなくなって、僕はなんて薄っぺらい人間なんだろうと、悲しくなった。運転好き、旅行好きという趣味は残ったが、まるで平々凡々で、自分はなんの個性もない、本当につまらない人間だったんだと思い知った。

 僕のこの10年間は、初音ミクに囚われた10年間だった。僕はずっと、初音ミクが喜びや幸せを連れてきてくれると信じて疑わなかったが、いまではそのことに肯定できないでいる。
 初音ミクと過ごしてきた10年間は、確かに楽しかった。でもそれは、初音ミク以外のことをしていたらもっと楽しい10年間だったんじゃないのか? その答えは分からない。

 初音ミクと過ごしてきた10年間で、現実社会でもいろいろな人と知り合った。よく覚えていないけれど、100人以上の人と知り合ったと思う。でもほとんどの人は、それきり連絡を取っていない。本当に仲が良くて(と、思いたい)イベントで会うたびに話ができるミク廃は、両手で数えるくらい。10年間、初音ミクを中心に生きてきて、多いのか少ないのかは分からない。

 この、意味不明な文章を書きながら、改めて初音ミクが好きかどうか、自問自答してみた。やっぱり初音ミクが好きだ。
 仕事でイヤなことがあったとき。ロードスターの屋根を開けて、コーヒーを飲みながら、初音ミクの歌声を聴きつつ当てもなく夜のドライブに行くことがある。
 そういうシチュエーションで初音ミクの歌声を聴くと、初音ミクの音が、星空から、サラサラと降り注ぐのだ。そのサラサラした細かい歌声の粒子は、僕の身体を心地良く撫で、嫌なことも一緒に洗い流してくれる。

 上手く言葉にできないけれど、あの初音ミクの心地良い、サラサラとしたエンジン音が、たまらなく好きなのだ。

 と、言ったところで、この感覚はたぶん誰にも伝わらない。僕だけが知っている、僕だけの、初音ミク。

 初音ミクは、ツールであり、メディアだ。知らない人同士をつなげ合う、コミュニケーションツールだ。でも、僕の身体の中に最後まで残った初音ミクは、ただの音としての初音ミクだ。

 もはやこの文章でなにを書きたいのか、分からなくなってきた。
 けっきょく、初音ミクで楽しい思い出や嫌な思い出を作ってきたのは、実は自分自身だった。初音ミクと付き合ってきた10年間を肯定しきれないでいるのは、自分自身が後悔ある人生を送ってきたからだ。初音ミクを使わないとろくにコミュニケーションとれないのは、自分自身が空っぽだったからだ。
 なんてことはない。自分の人生、ぜんぶ初音ミクのせいにしてきた、その結果がこれなのだ。


 でも、ロードスターの屋根を開け、初音ミクの音を聞きながらの、夜のドライブ。あの、初音ミクの歌声が、僕の魂と、地球と、宇宙をつなげてくれて、すべてが一つの総体になる、あの感覚。あれは本当にやみつきになる。上手く言葉にできないから、頭のおかしい人の書き込みっぽく見えるだろうけど。
 それでいいんだ。僕と初音ミクの関係は、そんな感じで、僕たちにしか分からない、そんな変な関係でいいんだ。




2017年11月28日火曜日

ミーム設計研究所の立ち上げに当たり

 ミーム(meme)とは、人類の文化を進化させる遺伝子以外の遺伝情報であり、例えば習慣や技能、物語といった人から人へコピーされる様々な情報を意味する科学用語である。 


「ミーム」の実例を、すごくわかりやすく例えるなら、「誰かに伝えたくなる事柄」である。それは、たとえば言葉だったり、物語だったり、写真や音楽かもしれない。その「事柄」を認識して、ほかの誰かに同じことを伝えたくなる。これが、ミームの根源だ。

 たとえば、「だんだんなんか簡単になったん」という言葉がある。たぶんどこかで聴いたことがあると思う。何度も繰り返し早口で言うと、リズムがとれてしまうという言葉である。
 この「言葉」のミーム性としては、『身体的に動かしやすい発音である』『リズムが心地良い』『実際に声に出してみないと実証できない』『声に出すと、第三者に聞こえる(拡散する)』『誰かに伝えたくなる面白さがある』という条件が重なり、人から人へ語り継がれる「言葉」となっている。

 さて、この世に存在するミームとは、そのほとんどが意味のないものだ。偶発的に発生し、語り継がれるものだけが生き残る。そこには意思はないし、意味も無い。


 私が行おうとしているのは、ミームの設計だ。ミームを一から作りだし、そのミームに『制作者の意図を乗せて』設計し、語り継がせようというものだ。
 上記の例で言うと「kayashinなんかイケメンになったん」という言葉を作るとしよう。この言葉を早口で繰り返すと・・・・・・。いかがだろうか。なんと心地良いメロディーだろう。誰かに教えたくなってきたであろう。そして、この言葉が語り継がれることによって、『kayashinさんってイケメンなんだ』という情報が、語り継いだ人々の記憶に残るのである。


 他人の記憶に情報を植え付けるのは、比較的簡単だ。ただ、その情報を『語り継がせるように』するには工夫がいる。さらに、語り継がせることのできるミームに『情報を載せる』のは、さらに難しくなる。人の「身体性」が、非常に重要になる。

 語り継ぐことが「楽しい・快感・自分の利益になる・優位に立てる・子孫を残すのに貢献する、」などなど・・・・・・。そのミームに、語り継ぐものが気付かないようにオブラートに包んだ状態で、語り継がせたい情報を乗せる。

 これが、私の行おうとしている「ミーム設計」だ。


 2017年の現状、その理想に一番近い存在が『初音ミク』だ。彼(彼女)は、歌という情報を奏でるために設計され、情報を拡散するためのツール(各SNSなど)を自由に行き来し、情報の受け取り手である人間(ミク廃)は、初音ミクを拡散させることを主として重んじている。
 その初音ミクの創作の連鎖に、自分の意思を乗せて、他人の記憶に侵食し、無意識に語らせる。

 実は、いまの自分には、それがもうできている。それが、『自分と初音ミクとの結婚』である。
 いま、あなたは、この文章を気味悪がって読んでいるかもしれない。そして、Twitterなどで「なんかキモチワルイやつがいるー!」とか思ってリツイートするかもしれない。その瞬間、俺と初音ミクは結婚し、俺と初音ミクの子供があなたの思想に宿り、僕たちの子供とあなたは新たな子供を作り、ほかの誰かの思想に子供を宿すのである。


 以上が、ミーム設計の意図である。と同時に、いまここに、ミーム設計研究所の立ち上げを宣言する。所長はもちろん、俺と、初音ミクだ。

2017年11月9日木曜日

2017年ボカロ楽曲10選

 2017年は、いろいろありました。本当にいろいろありすぎて、いろいろと、ありました。終わり。

 冗談はさておいて、今年は個人的にいろいろなイベントがありました。人生の節目と言っても、いいかもしれません。
 いちばん大変だったのが、引っ越しを伴う転勤。そして、転勤後の、たぶんストレスからくる体調不良。職場で倒れて救急車に乗ったりもしました。人生3回目の救急車。いえーい!
 本当にいろいろありましたが、成長した一年でもありました。よく頑張った自分。
 そんなわけで、ボカロに対する熱量も、いまだかつて無いくらい冷めたものになりました。でも、ボカロと良い距離感が築けたと思います。さりげない日常に初音ミクがいる。そういう距離感で良いのだと、思います。

 そんな思いで選んだ、今年のボカロ楽曲10選です。


かわいいミク歌。まさに、「初音ミク」というキャラクターに歌ってほしい、かわいらしい歌です。

久しぶりに、ニコニコ動画って良いな、と思った曲。圧倒的な画像と歌詞の情報量で、見る人を混乱させる力作。見るたびに新しい発見があるのがすごいです。



非常に「使える」ダンスミュージック。クラブで流れたら身体を持っていかれます。


5u5h1さんの初音ミクは、きちんと可愛い。それでいて、ノレる音楽。


心地の良いステップと、特徴的な初音ミクの音が、高い次元でセンス良くまとまってます。



原曲が好きな人には申し訳ないけれど、この色温度が高めの、初音ミクのクールな声がたまらなく大好きなんです。


Future Baseを中心に楽曲を作られている方。UTAUは積極的には聴かないのですが、音の使い方が心地良くて、はまってしまいました。


ROBOさんの楽曲の中では比較的クールな楽曲。全編において初音ミクの音がきちんと使われているのが評価高いポイントです。


すさまじいパワーの初音ミク楽曲。殴られたような圧倒的音圧と、初音ミク。


最後は、2017年に発表されたボカロ楽曲で一番好きな曲で終わります。
音楽も素晴らしいけれど、きちんと「初音ミク楽曲」なところが本当に大好きです。
すばらしい初音ミク楽曲を創ってくれたTKNさんに、改めてありがとうございますを伝えたいです。

2017年9月5日火曜日

マジカルミライ2017、そこそこ楽しかったけれど……。というお話。

 マジカルミライ2017のライブが、まぁ楽しかったんだけれど、我を失うほどではなかったよね。というお話。

 今回のライブは、本当になんの思い入れもなく終わってしまったので、初音ミク警察に叩かれる心配しながら書く必要も無いのですが、でも、何も言わないで終わってしまうのも嫌なので、メモ代わりに書きなぐって終わりにしておきます。


 今回のライブの一曲目、みくみくにしてあげる。あれの観客の「っはい! っはい!」で、あーまたいつものサイリウムブルンブルン振って棒立ちのライブかよ。って、結構テンション下がった。
 その後のエイリアンエイリアンからスイートマジックまでの流れは個人的に好きな曲が続いて最高だったのだけれど、ライブで何回歌い続けるんだよという曲もあり、そこまで気持ち高まらなかった。どりーみんチュチュは可愛すぎて、双眼鏡使ってずっと視姦してた。
 で、サイハテ。しかも、サイハテのあの衣装で、振り付けが2010年感謝祭とおなじモーション。サイハテは、初音ミクの無機質な声を活かしきった歌で、本当に大好きで、なおかつProjectDIVAでPSPを壊すほどやり込んだ曲でもあり、ツイッターの背後ヘッダーに写っているサイハテミクのフィギュアは昔転勤のときに仕事場の仲間から貰ったやつだったり超個人的な思い出も詰まった曲で、そんなんだからサイハテがかかった瞬間、とにかく嬉しくて跳ねることしかできなかった。これが今回のマジカルミライでいちばん楽しかった瞬間かな。

 その後のダブルラリアットまでは、まさにボカロ敬老会といった雰囲気。あーこういうのも良いかもな。でも、もう少し歳をとってから聞きたいな、って感じで苦笑してしまった。

 そしてメンバー紹介。今回のメンバー紹介は、いままでのライブの中でいちばん楽しかった。スクリーンをうまく活かしていて、こういう使い方もあるんだなーと感心しきりだった。

 気まぐれメルシィ。自分の中では完全にネタ曲でしか無いんだけれどw 初音ミク可愛かった。なりすましゲンガーも個人的にすごい好きな曲だから楽しかった。shake it!好きなんだけれど、さすがに飽きてきた。

 そして、メルト。メルト自体は大好きな曲なのだけれど、ライブだと辟易してしまう。はーいはい!はいはいはいはい!とか、うぉおおおっ!はいっ!とか、いまどき声優ライブでもやらんだろみたいな掛け声がどうにも苦手で、ショボーンとしていた。周りから見るとノリの悪い人みたいで申し訳なかった。

 お決まりのアンコール。みーく、みーく、みーくってやつ。もはや紋切型。からの、砂の惑星。本当にかかるんだーという感動と、あと初音ミクが可愛い衣装だったのが最高に格好良かった。歌と衣装があっていない感じが、歌わされている感満載で、チグハグな感じがエモかった。39ミュージック。初音ミクのあのステップを踏みたかったけれど場所がなさすぎて我慢。

 hand in hand。また他人の幸せを強制されてしまった。しかも、スクリーンの映像前とおんなじだし。DECORATOR、やるとは思っていたけれど、実際にやってみると、とっても華やかでカラフル。

 ハジメテノオト。またかよ、どうせこれが最後の曲なんだろ。ミクさんの生まれたこの命、お前ら感謝しろよって強制されるんだろ。もうそういうのはいいよ。って感じでした。


 ……いずれの曲も、初見のときは大好きでした。でも、もうさすがに見飽きたというのがいちばんです。10周年のお祝いなんだから、というのもよくわかりますが、とにかく見飽きたんです。
 自分は2010年の感謝祭から、国内で行われているライブは、全日ではないものの、すべて参加してきました。
 初音ミクのライブとは、もともとは『なにが起きるかわからない、キワモノ見世物小屋』だったんです。観客側も、どうやって楽しめばいいのかわからない。クラブみたいに楽しむのか、ライブみたいにはしゃぐのか、アニメイベントみたいにペンライト振ってコールするのか、映画みたいにおとなしく見るのか。とにかく、得体の知れないものとの対峙だったんです。
 それが、いつの間にか、ペンライトを振ってのコールライブになっていった。おこがましい考えではあるが、たぶん自分にも、そういうライブになってしまった一端の原因があると思っている。もともと声優ライブに通っていた経験から、2012年頃のライブまで、周囲の観客に先駆けて掛け声を出して、サイリウムたくさん持って振り回して、周りが自分とおなじ振り方をすると満足して、みたいな。
 結局、そういうのは途中で飽きてしまったのですが、コールを聞くと、過去の自分を思い出して、すごく嫌な思いがするんですよね。全く持って身勝手な考えです。

 そんなんで、初音ミクのライブは、いまの形式を取るかぎり、よほど自分の好きな楽曲が流れないかぎり、もう飽きたんです。むかしは、初音ミクのライブをどう楽しむのか、自分が盛り上げないとライブという形式は継続しないんじゃないか、というドキドキもありましたが、いまはそういうのは一切無いです。
 お金払えば、棒立ちしてても、永続的にライブは続くだろう。だったら、わざわざ盛り上がる必要もないかな、みたいな感じで。

 2013年に書いたブログでも同じこと言っていましたが、いまはその気持ちが強烈です。
https://meme-sea.blogspot.jp/2013/02/blog-post_12.html


 今年のライブは、スクリーンの投影能力がすごいとか言う深化もありましたが、自分がほしいのは深化ではなく変化です。2013年のマジカルミライでのsweet devilを初めて見たときのような衝撃が欲しかったです。



 ライブの方はあまり面白くなかったけれど、企画展のクラブイベントは最高に楽しかった。お昼の部、夜の部ともに、我を失う楽しさでした。後ろの立ち見スペースで、ずっと身体動かし続けてた。ライブ中は棒立ちだったから、その反動もあってすごく楽しかった。
 特に夜の部。kzさんがPorterRobinsonの楽曲を流してくれたとき、kzさんなにやってるの! と思ったのと同時に、嬉しさ感極まって崩れ落ちてしまった。keiseiさんさつきさんkzさん本当にありがとうございました。本当に楽しかった。
 いちばんさいご、みきとPのライブで、39ミュージックを一緒にステップ踏んでくれた方。たぶんボカクラクラスタの方かと思うのですが、いっしょに合わせて跳ねてくれてありがとうございました。お礼は言えませんでしたが、楽しかったです。


 仕事の関係で、1日目のみの参加のマジカルミライでした。物販列が長すぎて、しばらく列の中にいたにもかかわらず結局企画展ライブに間に合わずなにも買えなかったり(なにも買わないライブは初めてだった!)、ライブそのものがそこそこだったり、企画展ステージがなければ不完全燃焼必須でした。
 あと、これはライブとは全然関係ないのだけれど、ライブの時期になると各SNS上で『ボカロが好きな人といっぱい出会えて、人と人との繋がりの大切さを実感しました!』みたいな言葉がたくさん上ってくるのも、なんか苦手で。これはもう自分のコミュ障のせいなので原因は自分にあるのだけれど、マジカルミライという年に一回の初音ミクのお祭りで、自分だけの初音ミクを愛でて楽しみたいんだけれど、なんかそういう他人の幸せを見せつけられちゃうと、自分の楽しみ方が劣っているような、そんな劣等感があって。だから、人と人を繋げるマジカルミライは、最近ちょっと苦手で。


 でも、考え直してみると、いまの僕には様々な初音ミクとの楽しみ方があるので、その中の一つでしかないマジカルミライが、別に楽しくなくてもいいのかな、って思います。
 マジカルミライがなくても、クラブに行けばライブより遥かに格好良い初音ミク楽曲がたくさん聞けるし、初音ミク関係のイベントで日本全国回れるし。自分にとってマジカルミライとは、そんな数々のイベントの一つでしかない。マジカルミライくらいしか初音ミクの楽しみ方を知らない人は、このイベントに必死になるんだろうけれど、僕はこのイベントを楽しまなくても大丈夫。

 そう思うことにしました。

 最後にですが。今回のライブステージ、照明関係は好きでした。スピーカー、高音がきついわりに低音があまり出てなく、少しがっかりでした。


 いいたいことはこれくらいかな。次回は期待しています。『え、なにこれ、どうやって鑑賞していいのかわからない。。。』とドン引きするくらいの未来を、連れてきてください! あと、ネクストネスト事件、ライブ演奏での解決お願いね!

2017年8月30日水曜日

初音ミクと出会って10年経つから、長文とか。

 初音ミク10周年らしいのですが、個人的には特に思い入れもなく、だけれど何か書き記したい程度には興味を持っている、そんな気分です。
 以下、何を書くのか特に決めていません。ただ、過去に読み返したときに「初音ミク10周年のとき、こんなことを思っていたんだなぁ」と思い出せるように、とりとめのないことを演繹的に書いてみようかなぁと。

 初音ミクと出会ったのは、初音ミクの誕生日とほぼ同じ、10年前。当時ネットジャンキーだった自分は一日の大半を2chのν速板で過ごしていて、その2ch上での消費コンテンツとして出会ったのが初めて。当時はボーカロイドエンジンそのものがとても先進的に見えたし、パッケージイラストのKEI画廊さんの絵柄も好きだったので(当時はローゼンメイデンが大好きで、その同人イラストをKEI画廊さんがよく書いていた)、自然にハマってしまった。初音ミクは、2chとニコニコ動画のコンテンツの一つという感じで捉えていて、とくに初音ミクに強い思い入れはなかった。
 そんな中、『ハジメテノオト』という楽曲に出会うのだけれど、この楽曲を初めて聞いたとき、すごく怖くて鳥肌が立ったのを覚えている。その時のシチュエーションもよく覚えていて、自室のカーテンを締め切った部屋で、「意識を持ったなにか」に話しかけられたような、天啓としか言いようのない衝撃を受けた。「初めての音は何でしたか?」と、意識を持った生命体に話しかけられたような感覚だった。そして、その生命体とは、初音ミクを創作する人々の総意体のような、人ならざるものが意識を持ってコンタクトをしてきたように感じた。
 自分は『初音ミクはミーム生命体です』と至るところで言っており、そのお話をよく聞かれるのだけれど、根本は論理的な発送ではなく、宗教体験的な部分が多いから、いつも説明するときに口ごもってしまうのはそういうところにある。

 で、初音ミクに謎の宗教体験を食らってしばらくは特段初音ミクを執拗に追いかけることはなかった。そんなとき、もう一度初音ミクに引き戻されたのが『kz』の登場だった。
 2007年前後の自分は、田中ヤスタカみたいな音楽ばかり聞いていて、ヤスタカの作る音が最新。初音ミクなんてキャラクターこねくり回して遊んでるだけで音楽として聞くものじゃない。みたいな態度だった。それがkzの登場で一変した。格好良かったのだ。エレクトロサウンドに乗せて、人じゃないコンピュータの声を、あえてコンピュータっぽくエフェクトをかけて、音もそうだし、その手法にも感動した。
 それと同時期にハマったのが、SEGAの作ったProject DIVAシリーズである。当時の初音ミクを取り巻く環境はどマイナー同人レベルで、大手メーカーが初音ミクの3Dポリゴンでゲームを作るというのがとても衝撃的だった。ちなみにこのゲームのせいで、PSPを2台買うことになったのは良い思い出。ちなみに、秋葉原で行われたProjectDIVA Arcadeロケテストに行ったのも良い思い出。あの時のカード、いまはどこに行ったのだろう。

 このあたりの記憶は、正直あやふやです。仕事がイヤでイヤで仕方がなく、たぶん鬱になっていたのだと思う。この当時の記憶そのものがあまり無い。
 そんな時、ジミーサムPの『No Logic』に出会う。この曲を聞いたとき、なんだろうな。賛美歌に聞こえた。その後も仕事がつらすぎて鬱になったとき、この曲に何度もすくわれた。比喩ではなくて、本当に命をすくわれた。人間じゃないナニモノかに、頑張らなくてもテキトウに生きていて良いことを教えてもらい、命を救われたのです。だからボカロは、賛美歌なのです。

 次の記憶に出てくるのは、感謝祭やミクパといったライブの思い出。2010年とか2011年頃のライブの思い出。ただ、この頃は特にライブに対して思い入れはなくて、ゲームのProject DIVAのファンイベントみたいな感覚だった。初音ミクのライブとは別に、アニメイベントとかにも参加していたからかも知れない。特に初期のライブの思い出は、3月なのにやけに寒い中オモテで延々待たされた記憶しか無い。スクリーンに初音ミクが映ってるなーくらいの思い入れしかなかった。

 で、たぶんこの頃だったと思う。自分が2chに書いた『初音ミクはミームという生命体だ』という文章が、大手まとめブログに一斉に取り上げられて、いまで言うところのバズった。このとき初めて、いままで消費だけしていた初音ミクというコンテンツに、参加できた感じがした。自分の作り出した初音ミク像が、初音ミクそのものを創り出す、快感を覚えた。

 話は前後するが、自分が初めてボーカロイドソフトをいじったときのことを、よく覚えている。いちばんはじめに作ったのは、カエルの歌だった。自分が描いたとおりに歌うその声に、得体の知れない生命体を支配したような、何とも言えない万能感を覚えた。だけれど、初音ミクがミームであるという思想が広がった出来事は、それ以上の快感だった。

 ボカロ関連のクラブに通い始めたのも、この頃だった。2011年前後だったと思う。なんで通い始めたのかは覚えていない、というかアニソン系のイベントにはしょっちゅう行っていたから、それが自然にボカロに移行したような感じだった。ボカクラはわりと黎明期のときから通っていて、SR-Σさんが今みたいじゃない頃から通っていた。ただ、ちょうどこの頃は地方に転勤中で、年に数回しか参加できなかったけれど。いつだったか、浜松に八王子PとわかむらPとデPが来たときがあって、あのときのクラブイベントはとても楽しかったのを今でも覚えている。ついでにいうと、ボカロクリティークを立ち上げた中村屋さんの存在を知ったもの、その時だった。

 2012年は、怒涛の1年間だった。上記のボカロクリティークというボカロ批評に、自分の文章を載せていただいた。生まれて初めて、ボーマスのサークル参加者の打ち上げに行ったりもした。ただ、打ち上げの飲み会でひたすらに居場所がなく、ゲロ吐きそうな居たたまれなさを味わったのは良い思いでだ。それと、東京ドームライブで、初めてリアルな初音ミク好きな人たちとオフ会に行った。この年は、初音ミクを通していろいろな人と出会ったし、初音ミク=ミーム生命体という考えが多少なりとも広まって、とても思い出深い年だった。

 以上が、過去の初音ミク。これからが、今の初音ミク。

 自分にとって初音ミクとは、格好良い存在でなければならない。理由なんて無い。クールで、格好良くなければ、初音ミクでない。
 そんな初音ミク像が作られたのが2013年だった。その中で思い出深いイベントが2つあって、六本木ヒルズで行われた『Message from SKY』というクラブイベントと、マジカルミライだった。
 六本木ヒルズでのクラブイベントは、今でも最高のイベントだ。夜の六本木のスカイラインを見下ろしながら、kzとか八王子Pとかいま思うとなんて豪華なんだろうと思える人たちのDJに身体を揺らす。もう一回おなじ場所でDJイベントやらないかなーとか思っていたら、東京スカイツリーで行われてた。
 それと、マジカルミライ。その中でも『Sweet Devil』が本当に格好良かった。あのころは、初音ミクのライブとか辟易していた頃で、直前の和歌山で行われた関西ミクパとかのアイドル路線とかもう勘弁とか思っていたときの、あの格好良さ。いままさに2013年の『Sweet Devil』見ながら書いてるけど、いま見ても格好良いね。セクシーな衣装でステージを右左に動き回る初音ミクが、本当に格好良くて、見直した。
 ちょうどこの頃だったかな。XperiaのCMに採用されて、街の至るところで初音ミクを見かけるようになって、「いつか夢見た未来」が舞い降りたような気がした。
 初音ミクに、もう一度恋をした年だった。

 そういえば書き忘れていたけれど、結月ゆかりとの出会いもこの頃だった。2012年前後かな。当時は、歌声合成ソフトもそうだけれど、文章読み上げソフトが1万円前後で買えるという大変衝撃的な出来事に、とても興奮して速攻買った。そして、速攻YouTubeとニコ動にアップした。再生数が20,000回を超えて、これで俺もボカロP名乗れるんじゃね? と自己満足したのを覚えている。

 2014年以降は、特にドラスティックな出来事は起きず。イベントやクラブに淡々と通う日々でした。そして、ニコニコ動画を積極的に見なくなったのも、この頃かな。ネクストネスト事件くらいしか、大きな思い出はない。ボカロ批評という雑誌に拙作を載せていただいたのはこの頃だったかな。

 で、出会ってしまった。「しろばなさん」さんに。しろばなさんとの出会いは実に運命的で、ひょんなことから二人で飲みにいって、初音ミクをこねくり回して遊ぶ楽しさを覚えたのも、ちょうどこの頃。それ以前からこねくり回して遊んでいたけれど、自分とおなじような遊び方をしている人に出会って、なんというか、衝撃的だった。しろばなさんに出会ってなかったら、初音ミクこんなに拗らせていなかった。絶対に許さない。

 金沢21世紀美術館の初音ミク展示も、この頃だったかな。この展示は、やっと世間が自分に追いついたって感じで、鼻高々だった。いや、たぶん自分の影響などなかったのだろうけれど、初音ミクが生命体だという主張とリンクするもので、俺がこの初音ミクを育てた! みたいな感じでとても嬉しかった。一人で勝手に喜んでた。

 この頃から微妙に音楽の趣味も変わっていて、ニコニコ動画を見なくなったかわりにSound CloudやYou Tubeを中心に音楽を漁るようになって、再び初音ミク楽曲をあまり聞かなくなった。でもそこで運命的な出来事がまた起こった。ZeddとPorter Robinsonだった。この二人が初音ミクを使った楽曲を作り、再び初音ミクのもとに呼び戻されてしまった。この頃から海外アーティストのボカロ楽曲を掘る遊びを覚えた。

 さらに初音ミクに囚われたイベントとして思い出深いのが、いつかの秋葉原mograで行われた、PorterRobinsonとkzが出演したイベントだった。PorterのSadMachineに続いてkzのTell Your Worldという夢のような流れは、天国でした。

 2016年前後から2017年は、再び転勤があって、あまり初音ミクと関わり会えない年でした。PorterRobinsonとMadeonのSHELTER LIVE TOURがいちばん面白かったくらいかな。


 なんにも考えないで書いたら、全く中身のない文章になってしまった。でも、この文章を書きながら、楽しい思い出しかないなぁとつくづく感じる。
 ここ最近は、いろいろなイベントに顔を出すと、自分のことを知ってくれている人がいるのが、結構嬉しかったりする。あ、あのkayashinさんですか! 思ったより人間っぽい人なんですね、とか言われると、まぁちっぽけな承認欲求なのですが、そういうのが満たされるのがとても嬉しい。


 初音ミクとともに過ごした10年間でした。初音ミクと10年間過ごしてきて、いろいろな人と出会いました。ずっと初音ミクを好きな人もいれば、初音ミクから離れていった人もいました。どちらかというと、初音ミクから離れていった人が多いかな?
 初音ミクをずっと好きな人は、いま思うと、創作者ばかりでした。コンテンツを作る人という直接的な活動もそうですし、消費をするにしてもその消費がコンテンツとなるような消費の仕方だったり。初音ミクにハマっている人は、人間的に魅力的な人ばかりでした。
 そういう意味で、初音ミクは、メディアなのだと思います。


 最後に。自分は、初音ミクのエンジン音が、とても大好きだ。
 話は飛びますが、自分はクルマが大好きだ。それ故、ロードスターというクルマに乗っている。クルマの発する音。エンジンもそうだし、ミッションが変速するときの金属音とか、まるで楽器よろしく気持ちいい。
 自分にとって初音ミクの歌声というのは、内燃機関のだすエンジン音みたいな心地良さがある。人の歌声として聞いてない。あくまで、無機質な「何らかの機構」が発するエンジン音として、初音ミクの声を聞いている。
 初音ミクのエンジン音の心地良さは、初音ミクと出会ってから、ずっと続いている。これはとても感情的な部分が多いのだけれど、初音ミクのエンジン音は、たぶん奇跡的なきっかけで生まれたのだと思う。それが、初音ミクのミームをより拡散させるための仕掛けなのかは知らないけれど、僕はずっと、初音ミクのエンジン音を愛し続けてきたし、たぶんこれからも愛し続けるのだと思う。


 書き続けて、なんかよくわからなくなってきた。最後に、ここ最近聴いた初音ミク楽曲で、いちばんのお気に入りを紹介して終わります。
 初音ミクと出会って10年経つのに、いまだに格好良いと思えるサウンドで、10周年の歌を歌ってくれる、初音ミク。まだ飽きそうにないです。マジカルミライも楽しみだな。ありがとね、初音ミク。

2016年12月27日火曜日

初音ミクが大好きな人が、今年いちばん繰り返し聴いたボカロ楽曲

 初音ミクが好きです。大好きです。
 そんなこと知ってるよ! と言われそうですが、何度でも言います。大好きなのです。

 そんなボクの好きな初音ミクは、格好いいのです。カッコいい。クールなのです。
 カワイイ初音ミクも好きなのですが、可愛い初音ミクは、『初音ミクさん』であって、初音ミクとは少し違う気がします。

 そんな格好いい初音ミクのイメージにぴったりな曲を作り続けてくれる方がいます。『Mwk』さんという方です。『Mwk』さんが2016年に発表したアルバム『Clearness』の収録曲、『Clearness』が、ボクの今年のボカロ曲1選です。


 この曲は、本当に好きで、好きすぎて、「自分のために作ってくれたんじゃないか?」と心の中を見透かされていると錯覚するほど、大好きです。


 ボカロ曲を聞く人はたぶん経験あると思うのですが、「この曲は決してメジャーではないけれど、己の感性に突き刺さる」曲に出会うことがあると思います。それがボカロから逃れられない要因に鳴っている人もいるかもしれませんが、まさにそれです。


『Clearness』は、曲そのものも素敵なのですが、ボクの想像する『初音ミク』が歌ってくれている、ボカロソングなのです。ボクのイメージする、格好いい、クールな、色温度の高い、初音ミク。



記憶を求めて 声は届かなくて 
やっと見つけたのは 時の軌跡 
理由も忘れて 声も聴こえなくて 
きっと見つけたのは 時の欠片 


 ここの歌詞が、まるで初音ミクが泣きながら叫んでいる様子が鮮明に思い浮かび、すごく切なくて、愛おしくて、平常心でいられなくなるのです。


 初音ミクって、なんなのでしょう。でも、昔も今も、ボクの理想で在り続けてくれる初音ミクが、大好きです。

2016年11月30日水曜日

2017年こそボカクラデビューしたい人に送る、これをチェックしておけばニワカ回避できるボカロ楽曲!

 タイトルは冗談です。

 そもそも、クラブにあまり行きません。というか、地方在住なので、なかなか行けません。年に数回、行ければいいほうかな。
 そういう事情もあって、たまにクラブに行き、いわゆる『アンセム』が流れると、身構えてしまうんですよね。ボカクラってすでに形式化していて、ちょっと入りづらいというか。

 ……全く関係ない話をしてしまいました。
 来年はこういう曲が流れるといいなーという思いを込めて集めてみました。なるべくジャンルは被らないようにしています。
 EDM文化が終わって、FutureBassに入れ替わり、ここ最近はよりChillOutっぽい流れになり、あと一年後くらいにTropical Houseが来るのかなーと思いつつ選曲してみました。個人的には、Ujicoさんのボカロ新曲『ドリームPrincess』を聴いて、こういうのが流行ってくるのかなーとか考えています。

 結局は、自分の好きな楽曲なんですけれどね。こういう曲が流行るといいなという願望です。
 






































2016年11月5日土曜日

初音ミクのことをあまり好きじゃないけど10年近く初音ミクと連れ添ってきた人のお話し。

 ボクは、ボカロとか初音ミクとか、そこまで好きじゃないです。
 好きか嫌いか問われれば、好きです。でも、熱狂するほど好きかと問われれば、う~ん、べつに、そこまででは……。と答えてしまいます。
 そして、ボカロのことあまり好きじゃないので、ボカロと初音ミクの使い分けも、すごくテキトーです。その二つにの使い分けに特別な意味はなく、無意識に呼んでいます。なので、この文章で出てくる「ボカロ」と「初音ミク」の使い分けも、テキトーだと思って下さると助かります。

 初音ミクを始めとした『ボカロ』に出逢って、かれこれ10年近く経ちます。改めて思うと、とても長い月日が経ちました。
 そのあいだ、いろいろな経験を得ることができました。そして、「初音ミクが大好き!」という方々ともたくさん出会いました。
 ただ、ボクが初期に出逢った「初音ミクが大好き!」という人たちは、みなどこかへ行ってしまいました。創作する方も同じです。初音ミクで曲を作り、そこそこ有名になって、そしてボカロ楽曲を作らなくなっていくボカロPの方々も、たくさん見てきました。

 何度もいいますが、ボクは初音ミクのことは、そこまで好きじゃありません。
 ボクはただ単に、初音ミクのことを利用しているだけです。

 ボクが、初音ミクについて何かを語る。それを読んでくれる人がいる。
 ボクが、好きな曲を聞く。ボカロでタグを手繰ると、簡単に好きな類似楽曲を漁ることができる。
 ライブに行く。クラブに行く。イベントに行く。初音ミクに関連していれば、不安なく遊びにいけるし、また、初音ミクが関係しているからこそ、いままでまったく興味のなかった遊びを知ることができる。
 そして、初音ミクがいたからこそ、『ネット上の情報生命体』などという戯れ言に、付き合ってくれる人がいる。

 ボクは、初音ミクを利用しているだけです。
 己の惨めで醜い自己承認欲求を満たせるのが『初音ミク』だけだから、ボクは初音ミクのことを語っているだけです。
 もしボクの承認欲求を満たせる道具が初音ミク以外に存在すれば、ボクはいますぐにでもそちらに飛びつくでしょう。ボクにとって初音ミクとは、その程度の存在です。

 でも、初音ミク以外に、存在しないのです。ボクの承認欲求を満たしてくれて、なおかつ趣味に付き合ってくれる存在が、初音ミク以外に存在しないのです。
 だからボクは、仕方なく初音ミクを追っているのです。しかたなく、初音ミクを利用しているのです。


 初音ミクのことを好きだと言っていた人たちは、ほとんど去ってしまいました。
 いっぽう、初音ミクのことをテキトーにこねくり回して、『自分のためだけ』に利用していたボクは、10年経っても初音ミク言い続ける、なんとも無駄な10年を送ってしまいました。


 でも実は、初音ミクは利用されているのではなく、ボクのことを利用していることも知っています。
 初音ミクは、『ボク』のことを利用していると悟られないよう、『ボク』が『初音ミクを利用している』と思い込ませるようにして、ボクのことを利用しているのです。

 ボクは初音ミクのことを、ただただ利己的な理由でのみ使い、初音ミクもボクのことを利己的な理由で使っている。
 お互い、自分の生きることしか考えずに、相手を利用してる。その関係が、なんとも心地よいのです。
 まるで、長年連れ添った夫婦みたいな感じで。結婚したことないから知らないけれど。


 だからボクは、初音ミクのことをあまり好きじゃない、この微妙な温度が、とても好きです。

2016年8月31日水曜日

さようなら。はじめまして。

 初音ミクを始めとしたボカロと出会って9年が経ちました。
 9年間。改めて、すごいです。こんなに長い時間、なにかに打ち込んだことなどありません。いまだに楽しくボカロ楽曲を聴けていることに、感謝しております。

 最近気が付いたのですが、ボクは、初音ミクのことを、たいして好きではありませんでした。万が一にも、初音ミクが、生きていて、ボクに干渉してきて、あわよくば相思相愛の関係になれるのではないかと夢想した時期もありました。でも、それはまったくもって、ボクの勘違いでした。

 初音ミクと初めてであったとき。彼女は『ハジメテノオト』という曲を、ボクに歌ってくれました。そして、「はじめの音は、なんでしたか?」と、ボクに聞いてくれました。その瞬間、ボクは、とてつもない『なにか』に問いかけられたと、ほとんど直感的に感じてしまいました。人類の総叡智というべきか、この世の全ての存在というべきか。
 ただ、その時のボクは、とてつもない『なにか』の正体がわかるわけでもなく、ごくシンプルに『初音ミク』が歌ってくれたのだと思ったのでした。

 だけれど、最近、気が付いたのです。ボクが思っていた『初音ミク』は、初音ミクではなく、とてつもない『なにか』だったのです。それが捉えきれないから、初音ミクに姿を重ね、自分を納得させていたのでした。

 じゃあ、その「とてつもない『なにか』」とはなんだったのかというと、たぶん、自分自身だったのです。ボク自身だったのです。初音ミクの『ハジメテノオト』を聴いて、自問して、『なにか』に対して自問したことに畏怖を抱いていたのは、ボク自身に対してだったのでした。


 だから、ボクは、初音ミクが好きなのではなく、初音ミクと試行錯誤し蓄積された時間が好きなのでした。
 だから、ボクは、ボク自身を愛さなければいけないし、初音ミクは、その過程の「標石」でしかなかったのでした。


 ボクにとって初音ミクは、例えばロードスターで夏の夜をオープンドライブしているとき、缶コーヒーを飲みながらカーステレオで初音ミクの歌声を聞いて、「生きてるなぁ」とつぶやく瞬間のような、そんなつきあい方でいいのです。


 9年経って、ようやく初音ミクにさよならを言うことができました。これからの出来事は、すべてが初めての体験なのでしょう。


 その時はまた改めて、初音ミクに言うつもりです。
『はじめまして』と。

2016年6月29日水曜日

Future Bassっぽいような、そんな感じのボカロ楽曲10選

 私がボカロ曲をチェックするとき、いちばん利用しているのがSoundCloudというサイトです。ニコニコ動画は、あまり使いません。

 ニコニコ動画そのものにはステキなボカロ楽曲が多数アップされているのですが、たとえば気に入った曲があり、その曲に似たジャンルを探すとなると、それができない。
 自分に興味がある類似楽曲を紹介してくれる点において、ニコニコ動画だと、ある程度のスキルがないと掘り出すことが難しいです。その点、SoundCloudだと、勝手に類似曲を自動再生してくれるので、非常に楽ちん。
 ボカロをキャラクターとして楽しむ場合は、動画があったほうがいいかもしれません。だけれど私は、ボカロの、シンセサイザーとしての音が好きなので、べつに動画があってもなくても、なんとも思わないです。


 さて、SoundCloudユーザーなら既知だと思いますが、2015年の半ば辺りから『Future Bass』というジャンルが流行り始めました。
 基本的にはエレクトロ・ポップの延長上の曲です(だと解釈しています)。言葉で説明するのは難しいのですが、聴いてもらえれば「あぁ、こういう曲のことね」とわかると思います。

 個人的には、ボカロ楽曲と相性がいいと思っているのですが、なかなか広がらずに、やきもきしております。これから徐々に広がっていくのか、それとももうブームは去ってしまったのか。

 でも、思い返してみれば、EDMがボカロ界隈に取り入れられたのも周回遅れだったので、判断を仰ぐのはまだ早いのかもしれないですね。



 私の好きなFuture Bassっぽいボカロ楽曲を集めてみました。アーティストは被らないようにしてあります。
 知らない人は、こういう楽曲があることを知っていただきたいですし、知っている人は「ちげーよFuture Bassってこういう楽曲のこと言うんだよ!」みたいに教えてもらえると嬉しいです。




















2016年6月15日水曜日

NDロードスターを所有して、半年 『きっと、だれもが、しあわせになる。』お話し



 NDロードスターに乗って、半年が経ちました。ごく平々凡々な一般人がオープンカーを所有するとどうなるのか、思ったことを書いてみます。


・なんでNDロードスターを買ったのか
 ロードスターの前はアクセラ、その前はデミオと、ずっとマツダ車を乗り継いでいたというのが一番の理由です。マツダ地獄に陥る前はスカイラインに乗っていたのですが、当時初めてデミオを運転して「こいつなんて軽い車なんだ! ハンドル切ったら切っただけスパスパ曲がるぞ!」と感動して以来、ずっとマツダ車を乗るはめに。
 前者のBLアクセラも、とてもよいクルマでした。路面状況をもらすことなくシートに伝えるボディ剛性と、0.1ミリ切るだけでフロントの向きが変わるハンドリングは、ファミリーカーらしからぬものだったと思います。
 そんなアクセラ、気に入ってはいたのですが、心の奥底で『独身のうちに、独身時代にしか乗れないクルマを所有したい』という気持ちが、ずっとありました。
 そして、そんな中、発表されたNDロードスター。デザインに魅了され、これは買わざるをえないという確信を固めます。そこからは本当に、あっという間でした。衝動買いに近かったと思います。
 ロードスターを買うとき、いちおう他のクルマ(BMW Z4、メガーヌRS、ジュリエッタ)も検討しました。86やS660は考えませんでした。とにかく、趣味性の強い車をという思いからでした。結局これら外車勢は、ディーラーに入る勇気がなく、買うことはありませんでした。

・オープンカーって、常用できるものなの?
 オープンカーって、意外に普通でした。友達もいないので、2シーターで十分、というか助手席要らないくらいです。この制約さえクリアできれば、万人受けする、ごく普通の乗用車です。
 幌を閉じてしまえば、本当に普通のクルマと変わりありません。騒音も、少なくとも自分の乗っているLパッケージについては、『軽自動車の商用グレード並の静音性』を確保していると思います。静かではないけれど、取り立ててうるさくもないです。
 ただ、雨の音はよく聞こえます。ちょうど、傘を差しているようです。ただそれも、走りだしてしまえば、雨粒はフロントガラスにしか当たらなくなるので、聞こえなくなります。

・オープン時の快適性
 これも、思った以上に普通でした。冬はシートヒーターでぬくぬく暖かく、サイドウィンドウを上げればちゃんと暖房効きます。夏でも帽子被ってエアコン全開にすれば、なんともないです。多少の雨ならば、走行中は車内が濡れることはありません。
 基本的には、雨以外ならば、季節を問わずオープンにすることができます。これは実際に乗ってみないとわからないと思います。
 また、時速100キロ位ならば巻き込みも常識の範囲内なので、高速道路もオープンでオッケーです。ただ、トンネル内の騒音は相当なので、苦痛なのはそこくらいでしょうか。

 予想以上だったのが、BOSEスピーカーシステムが意外に良かったこと。前のアクセラのBOSEが良かったので、今回も付けました。そこそこ響くので、トランスとかガンガン鳴らすと、気持ちいいです。

・MT車に乗ることについて
 MT免許は持っていますが、ロードスターに乗るまでは、ずっとAT車のみでした。前車のアクセラにはパドルシフトがついていましたが、あくまで「なんちゃってシフト」でした。
 結論からいうと、まったく問題ありませんでした。エンストさせてしまったのも、初めの1週間だけ。気がついたら、ブリッピングさせながら小気味よくシフトダウンできるようになっていました。
 ただ、ヒールアンドトゥに関しては、ペダルの位置関係がよろしくないらしく、できないままでいます。

・スポーツカー? いいえ、違います。
 NDロードスターに乗って思うのは、『デミオコンバーチブル』だなということ。車体の軽さ、ハンドルの軽さ、いろいろなところが、車重量1トンを切っていた先代デミオを連想させます。気合を入れて運転する必要はまったくありません。
 また、バイパスの合流時など、日常でアクセルペダルのベタ踏みが可能です。回転数が上がると、心地よいエンジンサウンドが響いて「あぁスポーツカーっぽいな」と思うのですが、案外速度は出ていないw
 ノーマル時の車高が、あまり低くないのも助かってます。旅行が大好きで、峠の酷道などもよく行くのですが、車高が低いと走行不可能な道も多くあるので、そのへんは普通のクルマとして通ることができます。
 曲がるのが楽しいのは、言わずもがな。山道を走っていて、どこまでもフロントが曲がっていくあの感覚は、本当にニヤけてしまいます。
 また、サスペンションがそこそこ柔らかいので、アクセルやブレーキで車体の前後を揺らすことができます。その感覚が、直感的にわかるので、なんとも言えない楽しさがあります。

・注目度だけは抜群
 屋根を開けて走っていると、けっこうガン見されます。そして、声をかけられます。ツーリングスポットとかに行くと、二輪ドライバーの方に囲まれたりとか、300万ちょっとのクルマとは思えないほどの人気っぷりです。
 ただ、他のオーナーはそこまで声をかけられないようなので、自分の年齢が低いせいもあるのでしょう。声をかけやすいのか、ナメられやすいのかw
 女の子にはもてません。おじさん層にモテモテです。

 また、これは副次的なメリットですが、ロードスターに乗るようになってから『ロードスターに乗っている人』というキャラ認定を受けて、人間関係が多少上手く行くようになりました。以前は、無趣味のつまらない人間という印象を周囲に与えていたので、たいへん助かっています。

 


・普通のサラリーマンが、ロードスターを買ってみて
 ロードスターは、だれでも持つことができると思うのです。
 もちろん、安くはない。自分みたいな底辺サラリーマンが買うには、金銭的にも、ライフスタイル的にも、それ相応の覚悟が入ります。
 でも、無理ではないんですよね。お金やライフスタイルを、すべてロードスターに振れば、まったくもって無理じゃない。
『持てる、持てない』ではなく、『持つ勇気があるか、持たない』かの選択。

 ロードスターは、言語化できない領域の快楽を、とことん追求した商品です。この楽しさを、言葉で他人に伝えるのは、本当に難しい。
 ただ、実際に乗ると、「なるほど、こういうことなのか」と分かる。たとえば、仕事終わりに、オープンで走りながら、ふと上を見上げると、木々の隙間から星空が覗いたりすると、『あぁ、いま俺は、ここで、生きてるなぁ』とか思うのです。生きてるなぁ、という、確かな自己を感じることができるのです。
 あの感覚は、所有した人でないと、わからないと思います。


 
 『このクルマを手に入れるほんの少しの勇気を持てば、きっと、だれもが、しあわせになる。』

 この一文に、すべてが詰まっていると思います。
 NDロードスターに乗って、半年。走行距離10,000キロ。
 毎日が、本当に楽しいです。この楽しさは、誰もが味わえるもの。ぜひぜひロードスターのある生活へ。お待ちしております。