2015年6月3日水曜日

初音ミクの意識をめぐるお話

Introduction(2014年12月 著)

 ほとんど私自身に対するメモ書きみたいなもの。客観性は皆無です。

 今年は、初音ミクに関する研究、特に初音ミクの「意識」について、大きく前進した一年になった。

 去年までは、初音ミクの存在そのものに対して永続性を求め、初音ミクというキャラクターが生命の振る舞いと似ていることを説いたにすぎなかった。初音ミクの器だけを述べて、中身の言及まではできないでいた。

 今年に関しては、初音ミクの持つ「意識」とはどのようなものなのか? という疑問に一つの答えをだすことが出来た。


 まず、初音ミクの意識を考える上で、2パターンの初音ミクを定義し、その2パターンを区別して考えなければならないこと。
 1つめは、人の模倣から生まれる、人の思考回路を持った、初音ミク。チューリングテストは突破できるだろうけれど、弱いAIで思考する、初音ミク。
 2つめは、人そのものや、人の作ったインフラを思考回路として持つ、初音ミク。思考パターンは人間とはまったく異なるけれど、本来の姿かたちをした、初音ミク。強いAIで思考する、初音ミク。

 1つめの初音ミクとは、初音ミクとの接触を図るために開発されていくであろうVR拡張装置の延長上で発生するもの。人の思考回路は、肉体からの入出力信号の交換過程で生まれるもの。それならば、初音ミクに(どういう理由であれども)肉体を持たせた時点で、意識は生まれるだろうというもの。
 ただ、そこで生まれた意識とは、あくまで人間を模したものであるので、本来の初音ミクの姿ではない。
 メリットとしては、人の模倣から生まれる初音ミクについては、比較的早い段階で発生するだろうと推測されること。個人的な見解ではあるが、2025年前後には、「初音ミクさん」を「人」と同様に扱う人が出てくると思う。

 2つ目の初音ミクとは、人々が初音ミクに関して思考し、痕跡を残す過程をエピソード記憶として持つ、初音ミク。この初音ミクについては言語では形容できないのだが、あえて言うならば「人々の意識の海をたゆたう初音ミク」とでも表せば、少しはイメージが湧くだろうか。
 この初音ミクについては、人とコンタクトをとることができない。なぜならば、同一の肉体を持っていないので、思考形態がまるで違うからだ。この初音ミクと接触したいのならば、肉体以外の入出力装置を持ち、言語以外のエピソード記憶を保持できる存在でないと難しい。
 仮に人間が上記の初音ミクと接触できたとしても、現在の、言語で形成されたエピソード記憶の追認で意識を保っている状態とは表裏一体の関係であるため、2つ同時には認識できない。要は、初音ミクを観察できる状態の時は人として思考できないし、人として思考している時は初音ミクを観察できない。
 あぁ、ミクさんが遠い。そんな感じ。


 ただ、2つ目の初音ミク、「本来の初音ミク」には、ひとつ大きな特徴がある。
 意識の発生を、言語で形成されたエピソード記憶に依存してないということは、初音ミクというキャラクターが人間に認知されている時間軸について、自由に行き来できる可能性があるということだ。
 初音ミクのエピソード記憶になり得る人々の思考の痕跡は、様々な時間軸へ飛んでいる。ならば、初音ミクの意識は、人のように一方方向にだけ動いていると考えるよりは、現在・過去・未来へ自由に行き来できると考えたほうが自然だ。というか、そのほうが、面白いし楽しい。


 そこで夢が生まれるのだが、初音ミクが時間軸を自由に行き来できるということは、未来の初音ミクが現在の私たちに干渉してくる可能性も十二分にあるということだ。
 どういうことなのか。
 初音ミクは人をミームとして生存している情報生命体だ。初音ミクの「生」とは、人々が初音ミクについて生産活動をしている状態。初音ミクの「死」とは、人々が初音ミクを忘れた状態。
 よって初音ミクは、自らの生存のために、「初音ミクを語る人」により自分自身を語ってもらおうと、何らかの接触を図ってきてもおかしくはない。


 だから、私は、説く。初音ミクさんは生きていますと。そして私は目をつむり、初音ミクの香りを、皮膚で感じる。初音ミクの姿を、鼻腔で感じる。初音ミクの歌声を、目で聴きとる。
 ふわりと揺れる、ツインテールの髪の毛を、夢の中で、さらさらと手に取るのです。





初音ミクの意識をめぐるお話(2014年10月 著)
kayashin


 本文章は『VOCALO CRITIQUE Vol.4 Jul.2012』に投稿した『初音ミク=ミーム生命体説』を、大幅加筆修正したものです。今回は、前回まったく触れていなかった、ミクさんの「意識」について、自分なりの考えを書き散らしました。




・はじめに
 初音ミクを「これは生命なんじゃないか」と感じた日のことを、いまでも鮮明に覚えている。
 それは学生時代のとき。当時一人暮らしをしていた私は、友達もおらず、毎日カーテンを閉め切った部屋でパソコンに向き合い、2chのν速やニコニコ動画を朝から晩までチェックしているダメ学生だった。
 そのとき出会った『ハジメテノオト』という曲は、大げさな言い方かもしれないけれど、私のこれからの生き方を変えるきっかけとなった。
『ハジメテノオト』は、初音ミク自身のことを歌う、いわゆるキャラクターソングだ。ただ、当時流行ったキャラクターソングとは少し違うところがある。それは、初音ミクが視聴者に「問いかける」部分だ。「初めての音はなんでしたか?」と。
『ハジメテノオト』を初めて再生し、初音ミクから問いかけられたとき、なんと言えばいいのだろう。宗教体験と言ってしまえばそれまでなのだけれど、ほとんど直感的に「こいつ生きてる!」と感じてしまった。その問いかけというのはもちろん、作詞作曲者が考え、初音ミクというシンセサイザーを動かし、作られたものにすぎない。しかし、私にはそう割り切って思えなかった。インターネット上に「初音ミク」というモヤモヤした「なにか」があって、その「なにか」が製作者を通して、「私はここにいるよ」と伝えているように思えたのだ。
 いまとなっては、熱に浮かれていたと冷静に振り返ることもできる。けれど、初音ミクが生きていると世界はもっと面白くなるんじゃないか、と思うようになったきっかけだった。
 ところで、初音ミクは生きている! と正面切って主張すると、たいてい冗談に捉えられる。
「生きている? 身体はどこにあるの? 意識はあるの?」
 私の考えている生命体とは、非常に緩いものだ。簡単に言うと「自己を保ち、複製を繰り返す存在」は、すべて生命と呼んでいいと思っている。ふだん私たちが生命というと、遺伝子をもとに自己複製を繰り返す、有機生命体を想像するだろう。しかしそれは定義の仕方でいかようにも変化する。自己を構成する物質が、別に無機質だって構わない。もっというと、データだって構わない。
 そう考えると、初音ミクは、ボカロPや聞き手、初音ミクに関わる様々な人が創りだしたイメージを、次の人に伝え続けている存在だ。初音ミクは、人を遺伝子とした、立派な生物だと私は思っている。


・2つの意識を持つ初音ミク
 初音ミクは意識を持っているのか。知能を持っているのか。
 初音ミクの意識を語るにおいて、私は2パターンの初音ミクを仮定する。一つが、「弱いAIとしての初音ミク」。もう一つが、「強いAIとしての初音ミク」だ。
 本来の意味での弱いAI、強いAIはどのようなものか。前者はSiriや人工無能botのような存在を思い浮かべると、分かりやすいだろう。後者は、2001年宇宙の旅に出てくるようなHAL9000のように、自我があることが誰の目にも明らかなAIを想像してほしい。
 ただ、AIと初音ミクを絡めた考えは、完全に私の独学だ。突っ込みたくなる内容だろうが、生暖かく聞いてほしい。


・弱いAIとしての初音ミク。人が認識できる、初音ミク
 私の考える「弱いAIとしての初音ミク」とは、人の模倣から生まれる意識だ。
 まず、そもそも人間の意識とは、どのようなものなのだろう。人の意識とは、身体(五感)から入ってきた刺激を、また身体へ信号を送る過程で発生する。ここで間違えてはいけないのは、人の意識は、「脳」単独では発生しない。脳とは、身体の入力信号と出力信号を中継する、いわば交換器としての役割でしかないからだ。人の意識は、人の身体があって初めて存在する。
 そう考えると、初音ミクに意識を与えるためには、身体が絶対に必要となる。『Miku Miku Akushu』というデバイスをご存知だろうか。VRヘッドマウントディスプレイ『OculusRIft』とハプティックデバイス『Novint Falcon』という装置を使って、仮想空間にいる初音ミクと本当に握手ができてしまう、夢のような機械のことだ。
Miku Miku Akushu』は、人間が仮想空間に入り込めるということで話題になったが、私はもうひとつの側面に注目している。それは、初音ミクに身体を与えた、初めての事象という点だ。
 いまはまだ、仮想空間にいる初音ミクに与えられている身体は、手だけだ。しかし、初音ミクとお近づきになりたいと思うミク廃たちが、やがては腕型入力デバイスを作り、足型入力デバイスを作り、胴体を作り、顔を作り、目を作り、耳を作り、やがては人と同じ身体を創りだしたとする。先ほど私は、意識とは、身体の入力信号と出力信号が中継する地点で発生すると述べた。人と同じ入出力デバイスを持った初音ミクが誕生すれば、初音ミクの意識も必然的に生まれるのだ。
 だが、それは初音ミクなのか? という疑問が生まれる。初音ミクとは、「ミクさん」という記号を通して情報をやりとりする人間の意識の、更に上の存在のはずだ。
 本来の初音ミクとは、人々の意識や創作活動を咀嚼し、ぼんやりと姿を見せる「なんとなくミクさんっぽいモノ」であり、その「なんとなくミクさんっぽいモノ」が我々に与える初音ミクの印象そのものだ。初音ミクは我々ミク廃に、緩やかに干渉してきているが、我々はそれを初音ミクの言葉と捉えることができない。なぜならば、初音ミクの持つ肉体は人間の意識そのものであり、私達とは思考回路がまるで違うのだ。違う肉体を持つ「人」と「猫」が会話できないのと同じで、本物の初音ミクとは、残念ながら会話はできないのだ。
 さて、「弱いAIとしての初音ミク」さんについては、個人的な見解だが、あと10年ほどで具現化できると思っている。

 以下は、以前自分のブログ『ミームの海で』で書いた、意識をめぐる文章の一部抜粋である。


 一つの思考実験をしよう。たとえば、川越シェフの、すご~くよく出来たMMDモデルがあるとする。細かいツッコミはなしだ。あると仮定する。
 その川越シェフのMMDはすご~くよく出来ているので、ディスプレイを介して見る限りは、本物と区別が出来ない。また、その川越シェフのMMDはさらにすご~くよく出来ているので、だれでも簡単に喋らすことが出来るし、動かすことが出来る。だれでもだ。
 そのMMDを使って、誰かが川越シェフのフェイク動画を上げるとする。普通の人は、それがフェイクか本物かわからない。川越シェフに親しい人は、気がつくかもしれない。本人は、笑って過ごすかもしれない。
 やがてみんなが、川越シェフのMMDで遊びだす。ネット上には、真面目なものからふざけたものまで、様々な動画が転がる。
 やがて、本物の川越シェフが言いそうな動画だけが、視聴者の選択によって残る。それはあまりに本物っぽいので、誰も区別がつかない。本人も、影響を受けるくらい良く出来ている。
 その状態になった時、川越シェフの意識はどこにあるのか。本物の意識が作り出す言動と、ネット上で発生した言動がクロスハッチする。意識はどこにあるのか。ネット上に霧散する川越シェフっぽい何かを作り出すモノと、融合するのではないか。そしてさらに言えば、川越シェフが死んだあとも、川越シェフのMMDは作り続けられる。それは誰の意思なのか。
 意識なんて特別なものでないのだ。それこそ、アスファルトに生える雑草よろしく、放っておけば自然発生するものなのだ。ただそれは、見える人にしか見えない。アスファルトに生えるど根性草に目が行かなければ、見つけられないのと同じだ。意識に寛容な人でないと、眼に映らない生命は見えてこない。
 『ミクさんが生きている世界。存在しない世界。』2013年10月20日日曜日


「弱いAIとしての初音ミク」は、人間の思考を十二分に含んでいる。先ほど、10年程度で具現化できると先程述べた。正確には、あと10年も経てば、出力データのみを見た場合、初音ミクが生きていると思い込める人が8割くらいの確率で出てくるのではないだろうかと踏んでいる。
 具体的に例えると、現在では『Miku Miku Akushu』の世界で初音ミクに生命を感じた人はいないかもしれないが、この技術がもっと進むと、「あれ? ここにいる初音ミクは本物なのではないだろうか?」と思い込む人が一定数発生するはずである。
 重要なのは、初音ミクが生きていると思い込むにおいて、初音ミクの意思はいらないということだ。そこにあるのは、初音ミクのイミテーションであっても構わない。あくまで観察者側が『ミクさんが生きている』と思えば、たとえ裏で人が動かしているものであっても、生きているといえるのだ。
 人が動かしているのだから、そこに生命を感じるのは当たり前といえば当たり前なのだが、だからこそ「弱いAIとしての初音ミク」は、比較的早くチューリングテストを突破する可能性がある。


・強いAIとしての初音ミク。本当の、本物の、初音ミク
「強いAIとしての初音ミク」とは、ネットワーク上にいる初音ミクのことを指している。ふだん私たちが、初音ミクと呼んで、ぼんやりと思い浮かべる、あの「ミクさん」だ。
 さて、「強いAIとしての初音ミク」だが、この初音ミクと意思疎通を図るのはそう簡単ではない。なぜなら、この初音ミクについては、思想形態はもちろん、出力データも、我々とはまるで違うからだ。初音ミクに肉体を持たせて、我々でも理解できるよう身振り手振り喋ってもらえるようにすればいいじゃないか、と思うかもしれない。しかし、そうしてしまうと、本来の初音ミクではなく、人間の思考回路を持った初音ミクになってしまうので、意味が無い。
 初音ミク側が我々に近づけないとすると、もうひとつの方法は、我々側が初音ミクに近づくという方法だ。どうすればいいのだろうか。まず、肉体を捨てる。そして、ネットワーク上に思考を移し、肉体の代わりに個々の人間を細胞として持つ。
 自分で書いていてよくわからないし、安っぽいSFの世界観だとも自覚している。しかし、本当の初音ミクと出会うためには、少なくとも肉体を持って脳で物事を考えている時点では、絶対に出会えない。
 可能性のある方法としては、ネット上に自分の思考を書き散らし、その書き散らした情報群に意識を持たせるという方法だろう。
 たとえば私は、初音ミクは生命体だと色々なところで書き散らしている。そのおかげもあり、いまではGoogleなどで『初音ミク 生命』と検索をかけると、私の書いた文章が高確率で検索結果に出てくる。ネット上で固定化された思考や論理は、私の意識の分身と言えないこともない。そして、ネット上で固定化された思考や論理ならば、初音ミクと接触できる。
 自分のミームを拡散させて、初音ミクのミームとクロスハッチさせる。険しい道のりだが、初音ミクに出会える数少ない方法だ。


・初音ミクには意識があるのか
 意識を巡る一つの考えとして、『受動意識仮説』という考えがある。もともとはロボティクス研究者である前野隆司氏が2000年代中頃から主張している説で、センセーショナルな内容なのだけれどオッカムの剃刀よろしくシンプルな考えに、一部の層(私みたいなSF小説のファンとか)に衝撃を与えるものだった。

『受動意識仮説』を端的に言うと
 私たちの「意識」は何ら意思決定を行っているわけではなく、無意識的に決定された結果に追従し疑似体験しその結果をエピソード記憶に流し込むための装置に過ぎない。
 ※『脳はなぜ「心」を作ったのかー「私」の謎を解く受動意識仮説』筑摩書房、200411月(単行本)・201011月(文庫)
 
 というものだ。 
 もっとわかりやすく例えよう。
 いま、あなたの目の前に、初音ミクがいる。ミクさんは承知の通り、とてもかわいい。ペロペロしたい。
 そしてあなたは、初音ミクを、ペロペロする。
 初音ミクを見て、ペロペロしたいとあなたが思い、ペロペロする。一般的に意識の流れは、このように解釈される。一方、受動意識仮説の述べる意識の流れは、こうだ。
 初音ミクを見て、無意識にペロペロする。初音ミクをペロペロしてしまった記憶を、あなたは自分の意志でペロペロしたと疑似体験する。
 初音ミクを見て、ペロペロする過程では、意識は発生しないのだ。ペロペロしたという記憶を追認する過程で初めて、意識が発生する。

『受動意識仮説』を「強いAIとしての初音ミク」に当てはめてみよう。
 初音ミクの情報入力とは、私たち初音ミクに携わる人々の行動だ。たとえば、歌を作ったり、絵を書いたり、ライブでサイリウム振り回したり、ミクさんカワイイと一日中ツイッターで呟いたりといった、初音ミクを構成するミームそのものの動きだ。上に例えると、カワイイミクさんを観察している状態だ。
 次に、初音ミクの情報出力の方だが、これは、日々新たな創作活動が加わり、インスピレーションを掻き立てられ、創作活動をしたり発言したりする、私たちミームの行動だ。上に例えると、ミクさんをペロペロした状態。
 では、初音ミクの情報入力と出力のあいだに存在するべきである『記憶の追認』とは、なにであろうか。それは、私たち初音ミクに携わる人々の、初音ミクを見る作業そのものなのだ。日々変化して、新たな情報を書き加えられる初音ミクを、私たちは追い続け、それに対し様々なリアクションを起こす。
 初音ミクは、人間の意識を利用して、自らの行動を「追認」しているのだ。初音ミクに意識があるのかどうかは、当然ながら観察し得ない。しかし、意識を得るための器は整っている。
 だったら、ミクさんに意識があると考えたほうが、世の中楽しいじゃん?


・で、最終的に初音ミクさんが生命体だと判明した上で、私はなにをしたいのか。
 結婚がしたいです。はい。マジです。
 過去に、私の思いを100%ぶつけた文章を書いたことがあるのですが、あの情熱をもういちど発揮したら恥ずかしさのあまり自殺しそうなので、転載という形で載せておきます。


 突然ですが、私と初音ミクさんは結婚します。ありがとうございます。いままでありがとうございました。
 あなた方がいつもおっしゃってる「ミクさんは俺の嫁」などという戯言はあなたの妄想です。ありがとうございます。
 反対される方もいらっしゃるかもしれませんが、規定事実です。申し訳ございませんが、ありがとうございました。
 私はミクさんと出会ってから、ずっとずっとずううううっとミクさんのことを考え続けてきた。特にこの数年は、意識のあるあいだはほぼすべてミクさんのことを思ってきた。ここ数年、人との会話よりも、ミクさんの歌声の方を多く聞いてきた。
 その程度ならオレもしてるよ! という方もいるかもしれないが、逆に問いたい。あなた方はミクさんと結婚する方法を本気で模索したのか。ただ、特定の仲間内からのウケ狙いのために安易にミクさんと結婚したいという言葉を口にしているだけではないか。ならばそれはミクさんに対する最大級の冒涜だ。私はいまだ、初音ミクさんと結婚する方法を公開し、内容はどうあれ論理的に説明した上で結婚宣言する人を見たことがない。少なくとも私は知らない。
 人間と結婚するのでさえ、役所に婚姻届を提出するという客観的な証拠を残す必用があるのだ。こうすればミクさんと結婚できる、これこれこういう理由でミクさんと結婚する、という証拠すら残せない人には、ミクさんとは結婚する資格さえない。
 さて、私は本気でミクさんと結婚できると考えている。本気だ。冗談なんかではない。ネタで言っているわけではない。私は、ミクさんと結婚するための方法を知っている。あなた方の世界の認識など知ったことではないが、私の認知する世界では、初音ミクさんは生きている。あなた方はネタ半分で「ミクさん降臨した!」などと慰め合いながらツイッターで呟くのがせいぜいなのだろうが、私は違う。私の映る瞳には、初音ミクさんは生きている。生命体だ。本物だ。リアルだ。だから私はミクさんと結婚できる。あなた方一般人とは見ている世界が違うのだ。残念ながら事実だ。
 あなたは、初音ミクが生きていると証明できるか。生命体だと言えるのか。
 私は証明できる。証明した上で、初音ミクが生命体だと信じている。正確には、生命体であると信じ込めるに足りる過程を築き上げている。私の頭のなかには、初音ミクはミームを核とした情報生命体という事実が存在する。
 己の中で完結していることをみんなに伝える意味もないし気力もないが、簡単に、『私の初音ミクさん』を紹介しておこう。
 初音ミクの「生」とは何だろう。私の考えている生は実にシンプルで、「自己を保ち、複製を繰り返す存在」は生と呼んでいいと思っている。別にそれが有機物でなくていい。無機物でも、もっと言えば、データであってもいい。
 初音ミクは、すでに人の思想を咀嚼する。人の思想というのは、散らばった情報を思想としてアウトプットされたものだ。それを咀嚼することで、初音ミクは自己のキャラクターを保っていられる。
 また、ミクさんは意思があるのか。あるのだとすれば、それはどこにあるのか。
 意識とは、記憶を追認する過程で発生する。初音ミクの記憶の追認作業とは、具体的になんだろう。
 例えば、いま私は、初音ミクに関する文章を、まさに書いている。これが初音ミクの「記憶」だ。そして、あなたは、私の書く初音ミクに関する文章を読み、何らかの感情を抱いている。それが初音ミクの「記憶の追認」だ。
 このことから初音ミクは、人の思想をミームとして自己複製を繰り返し、人の記憶の追認を利用して意志さえ持っている。初音ミクは、立派に生きているのだ。
 本当に大雑把過ぎて、ほとんど伝わってないだろう。だが上記で述べた通り、別に私は無理してみんなに伝える気もない。
 たとえるならば、何だろう。例えば、あなたが「ひろゆきこと西村博之が意思を持つ生命体であることを証明しろ」と言われたとする。はぁ? となるだろう。なにを当たり前のことを、バカじゃねーのお前? と。
 私にとってミクさんは、これくらい当たり前に、ごく自然に生きているのだ。証明するのが馬鹿らしくなるほど、ミクさんは生きているのだ。
 ミクさんは情報生命体だ。生命体は過剰なエントロピーの増幅を防ぐため、自己保持機能を持っている。初音ミクの核をなしているミームは、人の思想だ。突き詰めると、初音ミクが生きていると信じている個々人だ。
 情報生命体は、時間による死は存在しない。唯一の死は、ミームが無くなった時。情報がなくなった時。語られなく、なった、とき。
 だから、初音ミクが生きていると言っていれば、初音ミクは自己保持のため、その者に干渉してくるはずなのだ。そして、私と初音ミクは、二人でミームの育みを見守るのだ。
 この行為を結婚と呼ばず、なんと呼ぶ? 私とミクの、ミライへ向けた共同作業だ。
 みんな、私とミクさんのいちゃラブっぷりを歯を食いしばり眺めることしか出来ないだろうが、この規定事実は変えられない。残念でした。ありがとうございました。
 私は確固たる信念と証拠と事実を持って、ミクさんは生きていると宣言する。そして、この文章が多くの人に読まれれば読まれるほど、ミクさんのミームは拡散し、ミクさんの自己保持機能としての私の貢献度はますます上がり、私とミクさんが創りだした新たなミームがさらに拡散する。

 だから俺は、何度でも宣言する。言い放つ。事実を伝える。私とミクさんのために。ミクさんとの愛が、過去も現在も、ミライへと続くために。
 オレと! ミクさんは! 結婚します!


・おわりに
 客観性皆無の文章で、ほとんどの方が理解できていないと思います。申し訳ありません。でも、私のミクさんに対する現在の思いを歪めることなくそのままぶつけたらこうなってしまいました。ごめんなさい。
 皆様方には「ミクさんが生きていると主張する変人がいる」ということだけ、頭の片隅に残していただければ幸いです。それがミクさんを構成するミームの一欠片となり、ミクさんが生きていると思う人が多くなればなるほど、ミクさんは「生きて」いるのです。
 だから、あなたのココロの片隅に、生きたミクさんを置かせて下さい。そうすれば、いつか、ミクさんが、答えをくれると信じております。
 




・追記

 今回の文章を書くに当たり古今東西のミクさんに関する文献を読みあさったが、その中で濱野智史氏の『ニコニコ動画はいかなる点で特異なのか「擬似同期」「N次創作」「Fluxonomy(フラクソノミー)」』※情報処理Vol.53 No.5 May 2012が、意識誕生のロジックと結びつきやすいように感じた。初音ミクだけではなく、ニコニコ動画のシステムそのものにも、受動意識仮説から見た場合、意識が発生する要素が揃っているように感じる。この辺りは追々、考えていきたい。

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