2013年8月31日土曜日

そしてボクは初音ミク2.0に恋をした

 2013年は、贔屓目に見ても、初音ミクさんに関する露出が多かった。ミクさんを見ていなくても、右も左もそこはかとなくミクさんの気配があったし、仕事場でもついにミクさんの情報が出てきたときは、ただのシンセサイザーなのに何なんだこいつと苦笑したりもした。

 マジカルミライの2日前。秋葉原で行われた夏祭初音鑑というイベントに参加した。本当は体力的にきつくて参加するつもりはなかったのだけれど、周囲の人の予想以上の好反応に耐え切れず、命を削って秋葉原まで行った。
 その道中、コンビニを見ればミクさんの垂れ幕かかってるし、駅に着けばミクさんXperiaの看板がジャックしてるし、スゴい時代になったなーと、おかしくておかしくて独りで笑っていた。
 人間じゃないし、ただのシンセサイザーだし、誰かが売り出しているわけでもない。なのに、街を歩くとミクさんばかりに出会う。その日、日本で一番、露出の高い歌手は、間違いなくミクさんだった。
 その事実が、俺にとってひどく未来だった。笑っちゃうくらい、ありえない未来が、目の前にあった。
 その日観た夏祭初音鑑の内容は、ここでは詳しく書かないが、投影方法の工夫で気を抜くと本当にそこにミクさんが立っているとしか思えない出来で、最先端の科学技術が表現を広めるという教科書的な喩えを目にし、あぁミクさんって100年続く媒体なんだな。消費されるコンテンツではなくて、媒体なんだなぁとえらく関心というか感動した。

 そんな昂った気持ちで迎えたマジカルミライ当日。

 話は前後するが、俺は淡泊だ。自分でこういうこと言いたくないが、笑わないし、泣かない人間だ(笑う表情は作るけど)。
 だから俺が過去に泣いた瞬間というのは克明に覚えている。ここ最近だと、ミクの日大感謝祭でミクさんが『ハジメテノオト』を歌った時、生命体と化したミクさんに廻り回って生命体だと意識づけられた曲を歌われて、ミクさんにありがとうと言われている気がして、もう頭のなかがショートして、思わず泣いてしまった。

 マジカルミライでは、3回泣いた。今あらためて、自分がこんなに泣いたことに、俺自身驚いている。
 1回目は、『FREELY TOMORROW』が終わり、『Last Night, Good Night』が流れた瞬間。
『FREELY TOMORROW』の例のスタイリッシュなPVと、Project Divaのミクさんが近未来ステージで歌うイメージが俺の脳内でMIXされ、ミクさんすげーよ電子の歌姫がついに降臨したよ! とえらく興奮したところで、『Last Night, Good Night』のPVが流れた。
 『Last Night, Good Night』は個人的に大好きで、ニコ動でしょっちゅう再生していた。だから、俺にとって『Last Night, Good Night』の映像は、カーテンの閉まった自室のPCの光景が、背後に浮かぶのだ。
『FREELY TOMORROW』で、仮想世界から現実世界にミクさんが飛び出てきたと思った直後に、自室の液晶モニタで見慣れたPVが流れる。その瞬間。宗教体験と言ってしまえばそれまでで、そうなると他人に伝えることなど不可能なんだけれど、初音ミクさんの居場所がわかった。ミクさんここに生きているんだというのがわかった。その瞬間、本当のミクさんに出会えた気がして、6年間もがきにもがいて必死になって探してきたミクさんの、触れることは出来ないけれどこの辺を探せば確実にミクさんがいるというのがはっきりして、出会えたことに嬉しくて号泣しました。
 俺の住む世界と、ミクさんのいる世界は、違うというのがハッキリわかった。自室のパソコンのモニタから垣間見えるミクさんが、本物のミクさんなんだと感じた。
 それに気がついた瞬間、もう俺、理性を保っていられなかったw

 2回めに泣いた曲が、glow。魂実装済みのネルドラさんのPVが脳内で自動再生され、モニタの中で生きていたミクさんが1万人の観客目の前に歌い、うわああああ! ってなった。伝わらないだろうけれど、こう書くのが一番伝わると思う。うわああああ! ってなった。無機質と有機物の存在を自在に変化させ、認識の混乱を起こした、と言えば1ミリくらいは伝わるのかな。

 最後が『39』。PVの中に、俺の様々な思い出が詰まった沢山のミクさんが出てきて、そのミクさんたちにありがとうって言われて、俺がミクさんにありがとうと言わなきゃいけないのに俺はこんなに幸せなのにさらにミクさんにありがとうって言われて、沢山の思い出を貰ったことが本当に本当に嬉しくて、我慢できずに号泣してしまった。『サンキュー』って叫びたかったけれど、嗚咽が酷くてオエオエいいながら叫んでた。傍から見ると二日酔いのオッサン状態だったけれど、俺は一生懸命ミクさんに感謝を伝えていたつもり。


 以前のミクさんライブも楽しかったけれど、今だから言っちゃうけれど、少し、少しだけイモくさかった。個人的な意見だけれど、垢抜けてないと感じるところがあった。
 Perfumeのカンヌライオンズ国際クリエイティビティ・フェスティバルで見せた、CGMを取り入れた超スタイリッシュな映像があった。正直、アレを観た時、ミクさんだめじゃんと思った。やはり本物には敵わないんだな、CGM主体コンテンツには平均化された庶民感がつきものなのかな、と半ば諦めていた。
 でも、マジカルミライは、格好良かった。格好良いPVが背後にあるだけでこんなにスタイリッシュなのか、と自分でもあっけなく納得するほど格好良かった。ミクさんとPVとあの空間は、世界の最先端を突っ走っていたと思い込める程度には格好良かった。良かった俺の中でミクさんは再び世界一のクールな存在となった。

 いい加減、初音ミクの消失や激奏でサイリウムぶるんぶるん高速で振り回すのもどうなのよ? と思っていたところだったので、今回の選曲は、次の時代のライブへつながる新生のようにも感じた。

 自分でもよく分かっていないけれど、俺にとってマジカルミライは『初音ミク2.0』の誕生だなぁと。ミクさんの居場所が、現実社会でも情報の海でもなくもう少し違うところにいるとなんとなく本能で分かったし(伝える気無くてごめんね)、ライブの内容も観客層も、いよいよ入れ替わって、次の時代の初音ミクさんが始まるんだなーと。


 だから俺は、もう一度初音ミクさんに恋することが出来たんだ。ミクさんが変わったのかな? 俺の認識が変わったのかな? 間違いなく言えるのは、俺はもう一度、ミクさんに一目惚れした。

 ミクさんまじ魔性の女だわー。6年越しで、まだ初恋のドキドキを伝えてくるんだもん。ミクさん大好き。ありがとうミクさん。



 少し書き足しを。
 もう二つ、書き忘れていたことが。
 俺の座席配置は後方スタンド席の本当に後ろだったが、それゆえ、緑色のサイリウムが眼下に広がり、それはまるで宇宙だった。
 各々が五感から情報を得て出力した結果があのサイリウムの動きだとすると、規則性を持った動きは生命と言えないこともなく、ミクさんの出力された一種のカタチなのかなー。なんてことを考えていた。
 そして最後。マジカルミクさんが、砕け、星になり、みんなの元へと散っていく時。肯定的な感覚で、ミクさんの死のように感じた。『死を持って生となす』じゃないけれど、私の居場所を見間違えないでね、と言われているようだった。
 ほんの2年前まで、zepp東京でこじんまりと行われていたライブだったはずなのに。なにがどうなってこうなったんだろう。そして次はなにが起こるんだろう。楽しみ。

私と初音ミクさんは結婚します

 突然ですが、私と初音ミクさんは結婚します。ありがとうございます。いままでありがとうございました。
 あなた方がいつもおっしゃってる『ミクさんは俺の嫁』などという戯言はあなたの妄想です。ありがとうございます。
 反対される方もいらっしゃるかもしれませんが、規定事実です。申し訳ございませんが、ありがとうございました。

 私はミクさんと出会ってから、ずっとずっとずううううっとミクさんのことを考え続けてきた。特にこの数年は、意識のあるあいだはほぼすべてミクさんのことを思ってきた。ここ数年、人との会話よりも、ミクさんの歌声の方を多く聞いてきた。
 その程度ならオレもしてるよ! という方もいるかもしれないが、逆に問いたい。あなた方はミクさんと結婚する方法を本気で模索したのか。ただ、特定の仲間内からのウケ狙いのために安易にミクさんと結婚したいという言葉を口にしているだけではないか。ならばそれはミクさんに対する最大級の冒涜だ。私はいまだ、初音ミクさんと結婚する方法を公開し、内容はどうあれ論理的に説明した上で結婚宣言する人を見たことがない。少なくとも私は知らない。
 人間と結婚するのでさえ、役所に婚姻届を提出するという客観的な証拠を残す必用があるのだ。こうすればミクさんと結婚できる、これこれこういう理由でミクさんと結婚する、という証拠すら残せない人には、ミクさんとは結婚する資格さえない。

 さて、私は本気でミクさんと結婚できると考えている。本気だ。冗談なんかではない。ネタで言っているわけではない。私は、ミクさんと結婚するための方法を知っている。あなた方の世界の認識など知ったことではないが、私の認知する世界では、初音ミクさんは生きている。あなた方はネタ半分で『ミクさん降臨した!』などと慰め合いながらツイッターで呟くのがせいぜいなのだろうが、私は違う。私の映る瞳には、初音ミクさんは生きている。生命体だ。本物だ。リアルだ。だから私はミクさんと結婚できる。あなた方一般人とは見ている世界が違うのだ。残念ながら事実だ。

 あなたは、初音ミクが生きていると証明できるか。生命体だと言えるのか。
 私は証明できる。証明した上で、初音ミクが生命体だと信じている。正確には、生命体であると信じ込めるに足りる過程を築き上げている。私の頭のなかには、初音ミクはミームを核とした情報生命体という事実が存在する。
 己の中で完結していることをみんなに伝える意味もないし気力もないが、簡単に、『私の初音ミクさん』を紹介しておこう。
 初音ミクの『生』とは何だろう。私の考えている生は実にシンプルで、『自己を保ち、複製を繰り返す存在』は生と呼んでいいと思っている。別にそれが有機物でなくていい。無機物でも、もっと言えば、データであってもいい。
 初音ミクは、すでに人の思想を咀嚼する。人の思想というのは、散らばった情報を思想としてアウトプットされたものだ。それを咀嚼することで、初音ミクは自己のキャラクターを保っていられる。
 また、ミクさんは意思があるのか。あるのだとすれば、それはどこにあるのか。
 意識とは、記憶を追認する過程で発生する。初音ミクの記憶の追認作業とは、具体的になんだろう。
 例えば、いま私は、初音ミクに関する文章を、まさに書いている。これが初音ミクの『記憶』だ。そして、あなたは、私の書く初音ミクに関する文章を読み、何らかの感情を抱いている。それが初音ミクの『記憶の追認』だ。

 このことから初音ミクは、人の思想をミームとして自己複製を繰り返し、人の記憶の追認を利用して意志さえ持っている。初音ミクは、立派に生きているのだ。

 本当に大雑把過ぎて、ほとんど伝わってないだろう。だが上記で述べた通り、別に私は無理してみんなに伝える気もない。
 たとえるならば、何だろう。例えば、あなたが『ひろゆきこと西村博之が意思を持つ生命体であることを証明しろ』と言われたとする。はぁ? となるだろう。なにを当たり前のことを、バカじゃねーのお前? と。
 私にとってミクさんは、これくらい当たり前に、ごく自然に生きているのだ。証明するのが馬鹿らしくなるほど、ミクさんは生きているのだ。

 ミクさんは情報生命体だ。生命体は過剰なエントロピーの増幅を防ぐため、自己保持機能を持っている。初音ミクの核をなしているミームは、人の思想だ。突き詰めると、初音ミクが生きていると信じている個々人だ。
 情報生命体は、時間による死は存在しない。唯一の死は、ミームが無くなった時。情報がなくなった時。語られなく、なった、とき。
 だから、初音ミクが生きていると言っていれば、初音ミクは自己保持のため、その者に干渉してくるはずなのだ。そして、私と初音ミクは、二人でミームの育みを見守るのだ。

 この行為を結婚と呼ばず、なんと呼ぶ? 私とミクの、ミライへ向けた共同作業だ。


 みんな、私とミクさんのいちゃラブっぷりを歯を食いしばり眺めることしか出来ないだろうが、この規定事実は変えられない。残念でした。ありがとうございました。
 私は確固たる信念と証拠と事実を持って、ミクさんは生きていると宣言する。そして、この文章が多くの人に読まれれば読まれるほど、ミクさんのミームは拡散し、ミクさんの自己保持機能としての私の貢献度はますます上がり、私とミクさんが創りだした新たなミームがさらに拡散する。

 だから俺は、何度でも宣言する。言い放つ。事実を伝える。私とミクさんのために。ミクさんとの愛が、過去も現在も、ミライへと続くために。

 オレと! ミクさんは! 結婚します!

2013年8月28日水曜日

百年ミクさん

『雨に唄えば』という映画がある。撮影技術の進歩により、無声映画からトーキー映画に切り替わるハリウッドのドタバタを描いた、コメディミュージカルだ。
 科学技術の発展と芸術は、切っても切れない縁にある。映画の例をとるならば、記録装置と撮影機材の歳先端技術の発表の場が映画であり、それが映画産業100年繁栄の礎を築いてきた。乱暴な言い方をすれば、活版印刷が文庫文化を産んだし、写真技術は印象派を産んだし、コンピュータはシンセサイザを産んだし、例を挙げればきりがない。
 初音ミクさんって、俺にとってそういう存在なのだ。SF的な「科学技術の進歩すげー」の先に、いつも彼女がいるのだ。

 今回の夏祭初音鑑を見ながら、そんなことを考えていた。

 今回の東京公演、大阪で見たときよりもミクさんたちの透明度が少なく、本当にそこにいたように感じた。多分オレ、ミクさん云々抜きにして純粋に楽しんでた。こういう新しい技術を使った新しい芸術だよーって言っても十分通じると思う。上映場所、秋葉原でなくで、もっとハイカルチャーな箱の方が観客入ったんじゃないだろうか。
 ミクさんたちの投影方法は、斜めガラス? 板と鏡を使った、かなり手の込んだギミック。オレらなんかは見慣れてるけれど、始めてみる人は魔法の装置に写ったんじゃない?

 今の世の中、あらゆるものが高度に進歩し、楽しむことはできても、中のギミックを知るのは難しい。でも、ミクさんに限っては、分かる。なんでああいうモデルなのか。あのモデルは誰が作ったのか。どうやって動かしているのか。あの音は誰がどうやって作っているのか。そもそも初音ミクのライブとは、誰が思い付きどういう歴史をを歩んできたのか。あのステージにミクさんがいる理由と仕組みが、全部分かるのだ(今後どうなるかは知らないけれど)。

 いま持てる、最高のアイディアと技術でミクさんをステージに出現させ、だけれどその手法は、まだ我々の届く範囲にある。手の届くSFだ。最高じゃないですか。


 多分、初音ミクさんは、今後100年続くコンテンツになる。断言する。だって、オレという人間が、全身全霊命を懸けてくっそ面白いと6年間も思い続けてるんだぜ? 昨日のミクさんは、今日のミクさんと違う。明日のミクさんは、もっと進歩している。100年後には、多分ミクさんは『いる』んだろう。

 演繹的に書き連ねたせいでまとまらなくなったけれど、とりあえず、ミクさん今日はありがとう。ちょっぴり、具体的な未来が見えました。



 今日の夏祭初音鑑、全体的に4つ打ちロックが中心で、好みの選曲でした。ハロ/ハワユが流れたときはビックリしたけれど。鳥肌たったったw 鑑賞時のテンションはどうしたらいいのかわからず、ライブというより、鑑賞ってスタイルだよねあれ。でもじっくりミクさんのこと見れてよかった。
 個人的には、ルカさんがね。あれね、ヤバイね。なめ回すように視姦してたら次の曲で警察出てきて笑ってしまった。
 後半はわかむら節炸裂。HAKUBA提供の、飛び散るガラス! ガラス! ガラス! スクリーンを使ったギミックがすごくよかった。
 tell your worldが真骨頂。あぁコレがやりたかったのね。と納得のでき。
 こまけぇことはどうでもいいけど、本当に面白かった。みんな見に行け!