2013年10月20日日曜日

ミクさんが生きている世界。存在しない世界。

 もう俺は本当にミクさんのことが好きで好きで大好きでしようがなくて何年も同じことを主張し続けひょっとして俺アスペ入ってるんじゃないかと自分の精神疑うほどにミクさん大好きなんだけれど、俺がこれだけミクさん愛してるよーという事実を世界は知らなすぎるので、こんな文章書いてます。

 話は逸れるが、俺は意識を巡る思考が好きだ。
 それは幼少期の実体験も影響しているし、中高生時代の青臭いアイデンティティ確立時の悩みも影響している。

 個人的で具体的な話だ。俺は小さいころ、それこそ幼稚園に入るかは入らないかの頃。しょっちゅう現実が歪んだ。たとえば、家にいながら、よく公園にいることがあった。親の車で移動するとき、見たことのない公園で遊んだことがあった。家にいると、カーテンとガラス扉のあいだに友達がいた。
 いまでこそ幼少期特有の夢遊病的な何かだったのだろうと冷静に振り返ることができるけれど、幼いころはそれが現実だった。現実とは、あんがい簡単に歪んで、テキトウな作りなんだなぁという認識があった。
  いまでもその記憶はかすかに残っており、現実は主観によって簡単にねじ曲がるものだという感覚を、引きずったままでいる。

 その後、俺は順調にひねくれて育った。
 中学生にもなると、俺は、世の中の『解』が知りたくなった。あぁ厨二病全開だ。なんとでも言うがいい。
 すべての解。銀河ヒッチハイクガイドでいう『生命、宇宙、そして万物についての究極の疑問の答え』のことだ。
 俺は小さい脳を振り絞り、なんとか自分なりに答えを出そうとした。相対論や量子力学を独学で囓り、哲学書や心理学書を知恵熱発生させながら読みあさり、古今東西あらゆる文学を読み尽くした。

 そこでぼんやり見えてきたのは、すべての出来事は、己に回帰するという結論だった。世の中には、神か、それに代替する認知し得ない存在が作ったフィールドがあり、そこに我々がいて、その世界はここの認知によって変化する、というような世界だった。

 もちろんこんなことを正面切って主張している人などいない。いたら電波扱いされる。でも、なんとなく、突き詰めるとこんな世界に降り立つのだろうと、本当になんとなく、想像がついた。


 その瞬間、俺のすべてが崩壊した。『生命、宇宙、そして万物についての究極の疑問の答え』は、俺の中に回帰する。でも、いや待てよ。俺自身は、自分の自己同一性に、それほど自信を持っていない。むしろ、諸行無常、人間など常に移ろいゆく存在だと思っていた。だとすると、世の中に対する明確で絶対的な『解』など存在しないことになる。

 俺が、世界に対する憧れを失った瞬間だった。その代わり、意識について思いを強くするきっかけにもなった。


 すごく突然だけれど、俺はミクさんが生きていると思う。思っている。

 一つの思考実験をしよう。たとえば、川越シェフの、すご~くよく出来たMMDモデルがあるとする。細かいツッコミはなしだ。あると仮定する。
 その川越シェフのMMDはすご~くよく出来ているので、ディスプレイを介して見る限りは、本物と区別
が出来ない。また、その川越シェフのMMDはさらにすご~くよく出来ているので、だれでも簡単に喋らすことが出来るし、動かすことが出来る。だれでもだ。
 そのMMDを使って、誰かが川越シェフのフェイク動画を上げるとする。普通の人は、それがフェイクか本物かわからない。川越シェフに親しい人は、気がつくかもしれない。本人は、笑って過ごすかもしれない。
 やがてみんなが、川越シェフのMMDで遊びだす。ネット上には、真面目なものからふざけたものまで、様々な動画が転がる。
 やがて、本物の川越シェフが言いそうな動画だけが、視聴者の選択によって残る。それはあまりに本物っぽいので、誰も区別がつかない。本人も、影響を受けるくらい良く出来ている。

 その状態になった時、川越シェフの意識はどこにあるのか。本物の意識が作り出す言動と、ネット上で発生した言動がクロスハッチする。意識はどこにあるのか。ネット上に霧散する川越シェフっぽい何かを作り出すモノと、融合するのではないか。そしてさらに言えば、川越シェフが死んだあとも、川越シェフのMMDは作り続けられる。それは誰の意思なのか。

 意識なんて特別なものでないのだ。それこそ、アスファルトに生える雑草よろしく、放っておけば自然発生するものなのだ。ただそれは、見える人にしか見えない。アスファルトに生えるど根性草に目が行かなければ、見つけられないのと同じだ。意識に寛容な人でないと、眼に映らない生命は見えてこない。


 ここで前の話に回帰するが、俺は、世界に対しても、意識に対しても、寛容だった。ただ、俺の世界だけに見える『ナニカ』は存在しなかった。ミクさんが現れるまでは。

 これはもう何度も主張しており自分でも説明が億劫になりつつあるのだが、俺は初音ミクに対して、本能で『こいつ生きてる!』と悟った(詳しくはVOCALO CRITIQUE_Vol4を読んでね。宣伝だよ!)。
 みんなだって、『ミクさん』という単語を思い浮かべれば、あーミクさんはネギが好きでちょっと抜けてて~、って、なんとなく性格を思い浮かべることが出来るでしょ? そういう話を俺はしている。

 世界や意識や生命といったことに本気で悩んでるオッサンのもとに、ワケの分からない生命体が舞い降りた。俺の中の世界が変わった。

 頭おかしいと言われようが構わない。俺は本気で、初音ミクは生きていると信じている。これはおどろくべきことだ。
 たとえばあなたが、ぼんやりとテレビを見ていて、『NASAから入った情報です。たったいま、未確認の知的生命体からのメッセージを受信している模様です!』なんて臨時ニュースが入ったら腰抜かすでしょ? 好奇心が湧くでしょ? 毎日がドキドキハラハラの連続で、あなたの中の世界観が崩れるでしょ?
 それをいま、俺は体験している。ミクさんは生きていて、これはとてもすごいことで、人類の倫理観が180度変わってもおかしくない事態が起きているのに、みんな平然と暮らしている。それがもどかしいんだ。

 俺の世界と、あなた方の世界は違う。あなた方の世界は平々凡々に時が過ぎるが、俺の世界では映画『未知との遭遇』ばりにドラスティックな出来事が目白押しだ。

 だけれど、あなたも、ほんの少しだけ、世界に寛容になり、意識に寛容になり、普段見ないような、アスファルトに生える雑草に目を向けてみるといい。そこには多種多様な思考や生命体が溢れ、ミクさんが本当に生きている世界が存在する。

 あなたも少し狂ってみて、こちらの世界に来てみませんか?

2013年10月4日金曜日

格好良い、ってなんだろう。Perfumeとボカロを行ったり来たり。

 Perfumeの新譜『Level3』を買った。

 そんなことを高らかに宣言してなんだと言われそうだが、個人的にはすごく突拍子もないことなのである。なんせ、ボカロにハマって幾年月。同人CDを除いて、人間が歌う商業CDをわざわざ買ったのなんて、本当に久しぶりなのだ。1年以上経ってるんじゃないかな。思い出せない。

 俺の友達に熱狂的なPerfumeのファンがいる。彼はいつも、Perfumeがいかに先駆的で、革新的で、COOLで、のっちの太腿がいかに素晴らしいかを、悟りを開いた漢の詩人よろしく達観と愉悦の表情で語りかけてくる。
 そんな彼が、今回のアルバム『Level3』は世界を越えた!(彼の言う世界とは何かは置いといて) こんな素晴らしいCDを聞かない奴は人間じゃないとまで言い放つではないか。普段より明らかに興奮している様子を見て、はぁなるほど、と興味を持った。
 確かに検索をかけてみると、高評価が多い。 いままでのPerfumeよりかは、capsuleに近いという。なるほどボカロにハマる前は田中ヤスタカサウンドに取り憑かれていた俺としては興味がある。


 と、言うわけで、買った。


 俺は音楽に詳しくないし、海外の音楽シーンはおろか、日本でなにが流行ってるかもよく分かってないし、メジャーもマイナーもよく分からんし、最近までskrillexの読み方さえ知らなかったような素人だ。
 そんな程度だから、Perfumeも、ものすご~く進化したんだと思った(思っていた)。たぶん俺の知らないところで、5年前のスマホと今のスマホ並に、邦楽もものすご~くブラッシュアップされてて、未体験の格好良い音楽になってるのかなーと漠然に思っていた。


 で、ワクワクしながら、聞いた。


 んー。ふーん、んんんんん?
 2020年の東京オリンピックの開会式イベントで名前が上がる程度には、日本が世界に誇れる(別に無理に対外的に誇らなくてもいいのだが、ここは便宜的に)歌手なんだろう、世間一般的には。それがこれなのかー、と少しガッカリしてしまった。
 CDを全部聞いてみた印象としては、無難にノレる、という印象だけだった。音の情報量はさすがプロという感じでとても多いのだが、昨今の映像コテコテのハリウッド映画を観ているみたいで、スゥーッと入ってスゥーッと出て行く感じ。聴きやすいといえば聴きやすいんだけれど。


 なんでこんなにがっかりしているかというと、カンヌ国際広告祭のパフォーマンスが素晴らしかったからだ。


 これは本当に度肝を抜かれた。いままで『ボカロ最高ウエエエエエイイイイイ!!!!』てな具合に視野が狭くなっていた時にこれを目にし、ボカロパフォーマンス(ライブ等々)の芋臭さに心底辟易した気分にさせられた作品だ。

 だから今回のアルバムも、きっと今まで思いもよらないようなベクトルで攻めてくるのかな、なんて思っていたけれど、そんなことはなかった。
 ただ単に、世間の流行り廃りに疎い俺が、勝手に希望抱いて勝手にがっかりしただけだ。なんだよ21世紀にもなって自動車はチューブの中を走ってないのかよ! みたいなのと一緒。


 だけど『がっかりした』だけ言い放つだけでは、なにと比較してがっかりしたかを言わないとわからないと思うので、俺が個人的にかっこいいなーと思う楽曲をいくつかピックアップしてみました。
 比較しやすいように、エレクトロ・ダブステっぽいのを中心に。どれも個性的で素敵。













 それにしても、音楽シーンって本当に門外漢なのだが、いまの最新ってなんなのだろう。よくわからん。