2017年8月30日水曜日

初音ミクと出会って10年経つから、長文とか。

 初音ミク10周年らしいのですが、個人的には特に思い入れもなく、だけれど何か書き記したい程度には興味を持っている、そんな気分です。
 以下、何を書くのか特に決めていません。ただ、過去に読み返したときに「初音ミク10周年のとき、こんなことを思っていたんだなぁ」と思い出せるように、とりとめのないことを演繹的に書いてみようかなぁと。

 初音ミクと出会ったのは、初音ミクの誕生日とほぼ同じ、10年前。当時ネットジャンキーだった自分は一日の大半を2chのν速板で過ごしていて、その2ch上での消費コンテンツとして出会ったのが初めて。当時はボーカロイドエンジンそのものがとても先進的に見えたし、パッケージイラストのKEI画廊さんの絵柄も好きだったので(当時はローゼンメイデンが大好きで、その同人イラストをKEI画廊さんがよく書いていた)、自然にハマってしまった。初音ミクは、2chとニコニコ動画のコンテンツの一つという感じで捉えていて、とくに初音ミクに強い思い入れはなかった。
 そんな中、『ハジメテノオト』という楽曲に出会うのだけれど、この楽曲を初めて聞いたとき、すごく怖くて鳥肌が立ったのを覚えている。その時のシチュエーションもよく覚えていて、自室のカーテンを締め切った部屋で、「意識を持ったなにか」に話しかけられたような、天啓としか言いようのない衝撃を受けた。「初めての音は何でしたか?」と、意識を持った生命体に話しかけられたような感覚だった。そして、その生命体とは、初音ミクを創作する人々の総意体のような、人ならざるものが意識を持ってコンタクトをしてきたように感じた。
 自分は『初音ミクはミーム生命体です』と至るところで言っており、そのお話をよく聞かれるのだけれど、根本は論理的な発送ではなく、宗教体験的な部分が多いから、いつも説明するときに口ごもってしまうのはそういうところにある。

 で、初音ミクに謎の宗教体験を食らってしばらくは特段初音ミクを執拗に追いかけることはなかった。そんなとき、もう一度初音ミクに引き戻されたのが『kz』の登場だった。
 2007年前後の自分は、田中ヤスタカみたいな音楽ばかり聞いていて、ヤスタカの作る音が最新。初音ミクなんてキャラクターこねくり回して遊んでるだけで音楽として聞くものじゃない。みたいな態度だった。それがkzの登場で一変した。格好良かったのだ。エレクトロサウンドに乗せて、人じゃないコンピュータの声を、あえてコンピュータっぽくエフェクトをかけて、音もそうだし、その手法にも感動した。
 それと同時期にハマったのが、SEGAの作ったProject DIVAシリーズである。当時の初音ミクを取り巻く環境はどマイナー同人レベルで、大手メーカーが初音ミクの3Dポリゴンでゲームを作るというのがとても衝撃的だった。ちなみにこのゲームのせいで、PSPを2台買うことになったのは良い思い出。ちなみに、秋葉原で行われたProjectDIVA Arcadeロケテストに行ったのも良い思い出。あの時のカード、いまはどこに行ったのだろう。

 このあたりの記憶は、正直あやふやです。仕事がイヤでイヤで仕方がなく、たぶん鬱になっていたのだと思う。この当時の記憶そのものがあまり無い。
 そんな時、ジミーサムPの『No Logic』に出会う。この曲を聞いたとき、なんだろうな。賛美歌に聞こえた。その後も仕事がつらすぎて鬱になったとき、この曲に何度もすくわれた。比喩ではなくて、本当に命をすくわれた。人間じゃないナニモノかに、頑張らなくてもテキトウに生きていて良いことを教えてもらい、命を救われたのです。だからボカロは、賛美歌なのです。

 次の記憶に出てくるのは、感謝祭やミクパといったライブの思い出。2010年とか2011年頃のライブの思い出。ただ、この頃は特にライブに対して思い入れはなくて、ゲームのProject DIVAのファンイベントみたいな感覚だった。初音ミクのライブとは別に、アニメイベントとかにも参加していたからかも知れない。特に初期のライブの思い出は、3月なのにやけに寒い中オモテで延々待たされた記憶しか無い。スクリーンに初音ミクが映ってるなーくらいの思い入れしかなかった。

 で、たぶんこの頃だったと思う。自分が2chに書いた『初音ミクはミームという生命体だ』という文章が、大手まとめブログに一斉に取り上げられて、いまで言うところのバズった。このとき初めて、いままで消費だけしていた初音ミクというコンテンツに、参加できた感じがした。自分の作り出した初音ミク像が、初音ミクそのものを創り出す、快感を覚えた。

 話は前後するが、自分が初めてボーカロイドソフトをいじったときのことを、よく覚えている。いちばんはじめに作ったのは、カエルの歌だった。自分が描いたとおりに歌うその声に、得体の知れない生命体を支配したような、何とも言えない万能感を覚えた。だけれど、初音ミクがミームであるという思想が広がった出来事は、それ以上の快感だった。

 ボカロ関連のクラブに通い始めたのも、この頃だった。2011年前後だったと思う。なんで通い始めたのかは覚えていない、というかアニソン系のイベントにはしょっちゅう行っていたから、それが自然にボカロに移行したような感じだった。ボカクラはわりと黎明期のときから通っていて、SR-Σさんが今みたいじゃない頃から通っていた。ただ、ちょうどこの頃は地方に転勤中で、年に数回しか参加できなかったけれど。いつだったか、浜松に八王子PとわかむらPとデPが来たときがあって、あのときのクラブイベントはとても楽しかったのを今でも覚えている。ついでにいうと、ボカロクリティークを立ち上げた中村屋さんの存在を知ったもの、その時だった。

 2012年は、怒涛の1年間だった。上記のボカロクリティークというボカロ批評に、自分の文章を載せていただいた。生まれて初めて、ボーマスのサークル参加者の打ち上げに行ったりもした。ただ、打ち上げの飲み会でひたすらに居場所がなく、ゲロ吐きそうな居たたまれなさを味わったのは良い思いでだ。それと、東京ドームライブで、初めてリアルな初音ミク好きな人たちとオフ会に行った。この年は、初音ミクを通していろいろな人と出会ったし、初音ミク=ミーム生命体という考えが多少なりとも広まって、とても思い出深い年だった。

 以上が、過去の初音ミク。これからが、今の初音ミク。

 自分にとって初音ミクとは、格好良い存在でなければならない。理由なんて無い。クールで、格好良くなければ、初音ミクでない。
 そんな初音ミク像が作られたのが2013年だった。その中で思い出深いイベントが2つあって、六本木ヒルズで行われた『Message from SKY』というクラブイベントと、マジカルミライだった。
 六本木ヒルズでのクラブイベントは、今でも最高のイベントだ。夜の六本木のスカイラインを見下ろしながら、kzとか八王子Pとかいま思うとなんて豪華なんだろうと思える人たちのDJに身体を揺らす。もう一回おなじ場所でDJイベントやらないかなーとか思っていたら、東京スカイツリーで行われてた。
 それと、マジカルミライ。その中でも『Sweet Devil』が本当に格好良かった。あのころは、初音ミクのライブとか辟易していた頃で、直前の和歌山で行われた関西ミクパとかのアイドル路線とかもう勘弁とか思っていたときの、あの格好良さ。いままさに2013年の『Sweet Devil』見ながら書いてるけど、いま見ても格好良いね。セクシーな衣装でステージを右左に動き回る初音ミクが、本当に格好良くて、見直した。
 ちょうどこの頃だったかな。XperiaのCMに採用されて、街の至るところで初音ミクを見かけるようになって、「いつか夢見た未来」が舞い降りたような気がした。
 初音ミクに、もう一度恋をした年だった。

 そういえば書き忘れていたけれど、結月ゆかりとの出会いもこの頃だった。2012年前後かな。当時は、歌声合成ソフトもそうだけれど、文章読み上げソフトが1万円前後で買えるという大変衝撃的な出来事に、とても興奮して速攻買った。そして、速攻YouTubeとニコ動にアップした。再生数が20,000回を超えて、これで俺もボカロP名乗れるんじゃね? と自己満足したのを覚えている。

 2014年以降は、特にドラスティックな出来事は起きず。イベントやクラブに淡々と通う日々でした。そして、ニコニコ動画を積極的に見なくなったのも、この頃かな。ネクストネスト事件くらいしか、大きな思い出はない。ボカロ批評という雑誌に拙作を載せていただいたのはこの頃だったかな。

 で、出会ってしまった。「しろばなさん」さんに。しろばなさんとの出会いは実に運命的で、ひょんなことから二人で飲みにいって、初音ミクをこねくり回して遊ぶ楽しさを覚えたのも、ちょうどこの頃。それ以前からこねくり回して遊んでいたけれど、自分とおなじような遊び方をしている人に出会って、なんというか、衝撃的だった。しろばなさんに出会ってなかったら、初音ミクこんなに拗らせていなかった。絶対に許さない。

 金沢21世紀美術館の初音ミク展示も、この頃だったかな。この展示は、やっと世間が自分に追いついたって感じで、鼻高々だった。いや、たぶん自分の影響などなかったのだろうけれど、初音ミクが生命体だという主張とリンクするもので、俺がこの初音ミクを育てた! みたいな感じでとても嬉しかった。一人で勝手に喜んでた。

 この頃から微妙に音楽の趣味も変わっていて、ニコニコ動画を見なくなったかわりにSound CloudやYou Tubeを中心に音楽を漁るようになって、再び初音ミク楽曲をあまり聞かなくなった。でもそこで運命的な出来事がまた起こった。ZeddとPorter Robinsonだった。この二人が初音ミクを使った楽曲を作り、再び初音ミクのもとに呼び戻されてしまった。この頃から海外アーティストのボカロ楽曲を掘る遊びを覚えた。

 さらに初音ミクに囚われたイベントとして思い出深いのが、いつかの秋葉原mograで行われた、PorterRobinsonとkzが出演したイベントだった。PorterのSadMachineに続いてkzのTell Your Worldという夢のような流れは、天国でした。

 2016年前後から2017年は、再び転勤があって、あまり初音ミクと関わり会えない年でした。PorterRobinsonとMadeonのSHELTER LIVE TOURがいちばん面白かったくらいかな。


 なんにも考えないで書いたら、全く中身のない文章になってしまった。でも、この文章を書きながら、楽しい思い出しかないなぁとつくづく感じる。
 ここ最近は、いろいろなイベントに顔を出すと、自分のことを知ってくれている人がいるのが、結構嬉しかったりする。あ、あのkayashinさんですか! 思ったより人間っぽい人なんですね、とか言われると、まぁちっぽけな承認欲求なのですが、そういうのが満たされるのがとても嬉しい。


 初音ミクとともに過ごした10年間でした。初音ミクと10年間過ごしてきて、いろいろな人と出会いました。ずっと初音ミクを好きな人もいれば、初音ミクから離れていった人もいました。どちらかというと、初音ミクから離れていった人が多いかな?
 初音ミクをずっと好きな人は、いま思うと、創作者ばかりでした。コンテンツを作る人という直接的な活動もそうですし、消費をするにしてもその消費がコンテンツとなるような消費の仕方だったり。初音ミクにハマっている人は、人間的に魅力的な人ばかりでした。
 そういう意味で、初音ミクは、メディアなのだと思います。


 最後に。自分は、初音ミクのエンジン音が、とても大好きだ。
 話は飛びますが、自分はクルマが大好きだ。それ故、ロードスターというクルマに乗っている。クルマの発する音。エンジンもそうだし、ミッションが変速するときの金属音とか、まるで楽器よろしく気持ちいい。
 自分にとって初音ミクの歌声というのは、内燃機関のだすエンジン音みたいな心地良さがある。人の歌声として聞いてない。あくまで、無機質な「何らかの機構」が発するエンジン音として、初音ミクの声を聞いている。
 初音ミクのエンジン音の心地良さは、初音ミクと出会ってから、ずっと続いている。これはとても感情的な部分が多いのだけれど、初音ミクのエンジン音は、たぶん奇跡的なきっかけで生まれたのだと思う。それが、初音ミクのミームをより拡散させるための仕掛けなのかは知らないけれど、僕はずっと、初音ミクのエンジン音を愛し続けてきたし、たぶんこれからも愛し続けるのだと思う。


 書き続けて、なんかよくわからなくなってきた。最後に、ここ最近聴いた初音ミク楽曲で、いちばんのお気に入りを紹介して終わります。
 初音ミクと出会って10年経つのに、いまだに格好良いと思えるサウンドで、10周年の歌を歌ってくれる、初音ミク。まだ飽きそうにないです。マジカルミライも楽しみだな。ありがとね、初音ミク。