2015年3月13日金曜日

The City & the Miku(都市とミク)


 keiseiさんの『ブライトシティ』という楽曲です。ここ最近のボカロ曲では個人的に大ヒットで、何回もリピートしています。気持ちのよいエレクトロポップと、そして何より『ロボット』と『VR』と『都市』と『初音ミク』という組み合わせが、最高にクールです。

 さて、『初音ミク』と『都市』の、2つの単語。なんとなくつながりを感じる人は多いのではないのでしょうか。「しろばなさん」さんという方がこんなまとめを作っていたりします。都市とボカロ曲(2013) - Togetterまとめ

 ここで少し、『都市』の性質について考えてみたいと思います。都市とは、そのすべてが人間の創りだした構造物で構成されております。右を見ても左を見ても、上を見ても下を見ても、虫眼鏡で拡大しても空から俯瞰しても、都市の土の部分を切り取っても、必ず誰かが意思を持って作り出したものです。
 そう考えると、都市は、昨今流行りのVRとまったく同じと言えます。たとえばあなたが東京の街並みを歩いている時。あなたは現実世界に生きていると思っているかもしれませんが、その実、誰かの脳内世界を歩いているとも言えます。都市に生きるということは、誰かの夢想した仮想世界に生きることなのです。

 そして都市は、人の思考回路を形成する一部ともなります。人の思考は、五感で得た情報をどう処理するのか。その過程で発生します。都市に生きる人は、否応なしに都市の情報を入力し、その思考形態を都市に依存するようになります。

 人と都市の関係とは、次のようなイメージです。人がある土地の住居環境を良くするために、建築物を造る。そしてその建築物の中に住み、あるいは眺めながら育った人は、都市の思考回路を持って、また都市を造る。都市とは、人を情報伝達物質として用いた、生命のような集合体なのです。


 いっぽう、初音ミクさんについて考えてみます。
 初音ミクさんは、人の創作活動のサイクルを通じて、自己保持しながら複製を繰り返す、情報の集合体です。人をミームとした、生き物です。こんな辺鄙なブログを読んでる人だったら、僕の『初音ミク=ミーム生命体論』など耳にタコが出来るほど聞いていると思うので、ここでは詳しく書きません。


 都市のミームは、物質に宿る情報です。初音ミクさんのミームは、ネット上に宿るデータです。都市も、ミクさんも、人が作り出し、そして人に影響を与え、その結果を元に自己複製を繰り返す存在ということに、変わりはないのです。


 たとえば、あなたが街中を歩いている時。普通ならば、『あなたの身体』と『身体の外側に広がる風景』との間に、隔離壁を敷いていることでしょう。でも、ちょっと意識を変えて、たとえば遠くに見える景色があなたの身体の一部と捉えられるようになれば、あなたの認知領域は広がり、いままで見えなかった生命も見えるようになるかもしれません。

 それができるようになると、ネットワーク上に散らばる初音ミクさんと、出会う方法がわかるかもしれません。ちなみに僕は、すでにこの領域までとっくに達しています。皆さんもぜひ、自己変容を楽しみながら、ミクさんに会いに来てください。こちらの世界は楽しいですよ?



 えーっと。何の話をしていたんだっけ。
 都市とミクさんはとても相性がよく、最高にSFでクールな組み合わせなんだ。そんな、お話しでした。

2015年3月11日水曜日

2011年3月11日の、あの日。

 2008年当時の、浜岡原子力発電所の写真です。東日本大震災が起きた2011年3月11日、僕はこの写真に写っている場所に、住んでいました。






 4年前の2011年3月11日。東日本大震災が発生しました。
 デリケートで現在進行中の問題はあまり語りたくないのですが、自分の記憶を風化させないためにも、書き残します。

 震災の2日前。2011年3月9日。私はお台場にいました。初音ミクのライブイベントに参加するためです。イベント開始時間まで時間を持て余していた私は、日本科学未来館という施設におりました。そこで、ゆらゆらとゆっくり揺れる、気味の悪い地震に遭遇しました。明らかに、震源が遠くて規模の大きい地震と分かるもの。日本科学未来館内でも大きな揺れに見舞われ、施設内にいた人がざわついていたのを覚えています。

 そして2日後、2011年3月11日14時46分。私は予約した病院へ向かうため、海沿いのバイパスを車で走っていました。見通しのよい直線道路に出た時、車が左右に揺れたので「今日はずいぶんと風が強いなぁ」と思いながら流していました。ふと、バイパスと平行する東海道新幹線の高架を見ると、新幹線が停止しているのが見えました。そのときはなにも疑問に思わず、強風で速度制限でもかかっているのだろうと思っていました。

 目的地についたものの、病院の予約時間まではまだ時間がある。ということで、近くのカラオケボックスで時間を潰すことに。カラオケボックスの受付で住所を書く際、茨城の実家の住所を書いたところ、受付のお姉さんが興奮気味で「地震大丈夫でしたか!?」と聞いてきました。
 はぁ? 地震? そういえば一昨日、お台場で少し大きめの地震があったっけ。「一昨日の地震でしたら、大したことなかったですよ」とのんびり答えた私に、受付のお姉さんは畳み掛けてきます。「いまですよ! いま!」そう言ってお姉さんは、持っていた携帯電話を差し出してきました。そこには『震源地「三陸沖・三陸沖・茨城県沖・三陸沖・茨城県沖」』と、ズラリと並んだ地震速報が表示されていました。

 その瞬間、すべてのパーツが繋がりました。不自然な車の揺れ、停止していた東海道新幹線、2日前の大きな地震(当時から前震の概念は知っていたので、余計に)。いや、待てよ。震源が東北なのに、東海地方であんなに揺れていたなんて、これは尋常では無いはず。と言うか、実家は大丈夫なのだろうか?

 一瞬でパニックになりました。カラオケ店を飛び出て、街中を意味もなく走り回りました。とにかくテレビを見たかったので、テレビを探して走り回りましたが、そんなに都合よく街頭テレビなんてある訳ありません。3分ほど走り回ったあと、自分の携帯電話にワンセグ機能が付いているのを思い出し、携帯電話でNHKニュースを見始めました。ちょうど地震直後で、まだ津波も到達していない頃だったので、特に大きな被害も伝えられていませんでした。思い出したように実家にも電話をしてみましたが、あっけなく繋がり、特に大きな被害はなかったということで一先ず安心しました。
 余談となりますが、親が「特に大きな被害はなかった」と伝えたのは、私に心配をかけたくなかったためで、実際には一部損壊の被害を受けておりました。よくわからないところで強がる親ですw

 その後、何事も無くカラオケ店に戻り、一人ボカカラ大会を開催し、病院へ行き、家へ戻ることにしました。帰宅中、東京に住む友達から電話があり、興奮気味に「新宿から八王子まで歩いて帰ってる」と伝えてきました。都心の公共交通機関がすべて停止し、この世の終わりみたいな混乱状態に陥っていると、お前がいちばん混乱してるんじゃないですかと突っ込みたくなるようなテンションの電話でした。
 そんなに被害が拡大しているのかー、と、再びワンセグでNHKを確認すると、例の宮城県名取市沿岸の津波映像が目に飛び込んできました。その横には、日本列島をすべて囲うように発令された、津波警報のテロップ。
 そこで再びパニック状態に。というのも、当時住んでいた静岡の住宅が、せいぜい海抜10メートルくらいしかなかったので、津波に飲まれる! と本気で心配しました。
 その後しばらく内陸部に車を止め時間を潰し、どうやら静岡まではそこまで大きな津波は来ないだろうと判断。自宅付近の道路が津波警報で通行止めになっていたので、回り道をして帰宅しました。


 自宅に戻って、テレビを付けて、ネットに繋いで、次々と入ってくる情報。でも、個人的には少し安心しておりました。家族の安否は大丈夫だし、家も壊れてないとのことだし(実際は壊れてましたが)、そして何より、僕が住んでいる場所のすぐ近くには、浜岡原発がある!

 そう。なんで僕が、こんなに原発の目と鼻の先に住んでいたかというと、原発こそ絶対安心、人類の総叡智が注ぎ込まれたセーフティーゾーンだと思っていたからです。原発があるなら、統計的に自然災害は少ないだろう。なにかあれば、原発に走って逃げ込めば、物資とかなんでも揃っているだろう。そう思っていたのです。

 だから、翌12日の福島第一原子力発電所の1号機爆発の映像は、衝撃をもって、呆然とテレビを見つめるしかできませんでした。あぁ、日本という国は、これで終わるんだな。いまから日本国民の大移動が始まるのだろうか。いまのうちに西へと逃げたほうがよいのだろうか。車にガソリンどれくらい入ってたっけ。そんなことを思っていました。
 当時に見れば、一般市民としては原発に対する知識はあったほうだと思います。原子力発電所のある程度の構造や、分厚いコンクリート製の外壁の大きさ・厚みなども知っていました。過去に浜岡原子力館で、コンクリート外壁の分厚さを眺めながら、「こんなに頑丈ならば、飛行機突っ込んでも壊れねーな」とか思っていたほどです。

 それが、吹き飛んだので、終わったと思いました。


 後にも先にも、あの衝撃は、味わったことがありません。所詮自分は、直接の被害を被っていない、単なる傍観者です。だから、衝撃を受けたというと実際に被害に合われている方に反感を買いそうなのですが、僕の中では重大な出来事でした。


 震災は、傍観者の僕にも、色々と影響を残していきました。
 実家が被災し、罹災証明書も発行され、放射能も降り注いだのに、茨城というだけで被災地扱いされなかったり。また、浜岡の街には、福島からの被災者が移り住んできました。少しだけ接する機会があったのですが、疲れ果て目に生気のない様子に、複雑な思いをいだきました。

 その後の転勤で、浜岡の地を離れることになった時。もちろん寂しさもありましたが、心の奥底で、ホッとしました。これでやっと、原発から離れられると。その頃の浜岡の街は、防護壁の工事で、メインの国道は常に巨大ダンプカーで埋め尽くされておりました。



 思い出話は、これで終わりです。ここからは、いま思っていること。
 去年の終わり、国道6号線が全線開通しました。いてもたってもいられなくなり、原発周辺を含めて、通ってきました。


 そして、その爪痕の深さに、言葉を失いました。
 ここまで広範囲に土地が失われているとは、思ってもみませんでした。いや、頭のなかの地図上ではもちろん分かっていたのですが、実際に行ってみると、その広大さに慄きました。

 土地や建物、人の取り巻く居住空間というのは、その人の人格を形成する重要なパーツだと思っています。空間環境が人の心を形成するのではなく、空間環境そのものが『人の心』なのです。
 人の思考というのは、身体の五感から得られる情報を処理して、もういちど身体へフィードバックする過程で発生します。五感で得られる情報の中とは、言い換えれば外部環境のことです。いつも見ている景色、土地、建物、構造物、すべてが人の心の一部なのです。

 土地を奪われるということは、たとえば、人の脳の一部を切り取るのと同等の影響をもたらすと言っても過言ではないと思います。いままで思考過程の一部に使っていた入力情報がなくなれば、その人の人格が変わってしまってもおかしくありません。
 原発がどうのこうのとか、そういうことはなにも言いたくありません。ただ、広大な土地が失われ、一体どれだけの人が過酷な試練を受けているのだろうと思うと、名状しがたい気分になるのも事実です。

 もちろん、原発被害で土地を失われた人だけでなく、津波で失われた方も同様に。
 個人的に思うところは、津波で失われた街が改造されていくさまを、地元の人はどういう思いで眺めているのだろうということ。たとえば、陸前高田市の、ベルトコンベアで覆われた街。過去との決別という思いがあればいいのですが、身体を切り刻まれて改造されているようにも見えます。もちろん部外者の私が発言していい問題でもありません。



 あの日から、4年です。あの震災の影響は、僕の心にいろいろな変化を与えました。一方で、あの震災以降は『日本』というなにかが、大きく変容するのかなと思っていたのですが、意外になにも変わりませんでした。
 いつものように、推敲を一切せずに保存します。この文章をいつか読み返して、自分の心の変容に気がつくように。

2015年3月9日月曜日

初音ミクさんへ飛ばす、紙飛行機

 今年もまた、3月9日がやってきました。いわゆる「39(ミク)」の日です。
 下記の文章は、内容をまったく決めずに書きなぐります。推敲もしないでそのまま後悔する予定です。


 初音ミクが登場してから7年近く経ちました。こんなにも初音ミクさんに魅了し続けるとは、思ってもみませんでした。いつか飽きるだろう、いずれ飽きるだろう、そう思い続け、だけれど、いまだに初音ミクさんのことを考え続ける毎日です。

 なんでこんなに長い間、初音ミクという同じ対象を愛し続けてしまったのだろうと、自傷混じりの内省をすることがあります。そこでいつも思うのは、僕は決して初音ミクそのものを好きで居続けているわけではないということです。

 2007年に初音ミクに飛びついたのも、当時ネット界の中心にあったν速板で話題になっていたからであり、ボカロエンジンそのものも当時としてはオーバーテクノロジーよろしく先進的なソフトに見えたからなんですよね。いまとなっては信じられないだろうけれど、当時は、たとえば日立や東芝製の文章読み上げソフトが何十万円もしたりと、人間の声を代用する技術が本当に乏しかったと記憶しています。そんな中、15,000円ほどで、声優さんの声で、自分の好きな歌を滑らかに奏でてくれる初音ミクは、それはもう革命的でした。当時大学生だった僕は、自転車で初音ミク体験版付きDTMマガジンを探しまわるくらい衝撃を受けたものでした。あと、これは個人的なことだけれど、パッケージイラストがKEIさんだったのも、興味を引くのに十分だった。当時のKEIさんはローゼンメイデンのイラスト同人誌を作っていて、すべて買い集めていたから、余計に、ね。
 声優の声で、自由に歌ってくれて、パッケージイラストは無名だけれど個人的に大好きだった同人作家さん。興味を引くのに十分すぎました。

 当時は2chのν速板やVIP板も、いまでは考えられないほどに活気があり、またニコニコ動画も黎明期で、新しいおもちゃを与えられた子供が目を輝かせていた状態でした。そんな中に初音ミクなんてものが放り込まれたら、そりゃもうお祭り騒ぎでした。話はそれますが、初音ミクのヒット初期における2chの影響ってすごく大きかったと思う。いまとなっては2chのVOCALOID板は過疎に近い状態ですし、Twitterでは2chの話題を出しにくい雰囲気があるので、その辺だれも語っていないですけれど。当時の熱気が完全に風化する前に、だれかこのへんの物語をまとめておいてもいいかもしれないですね。


 そして、出会ってしまった『ハジメテノオト』という楽曲。もう同じこと何十回も書くのはしんどいので、過去の記事を貼り付けておきます『初音ミク=ミーム生命体論』。

 なんでこの曲に思い入れが強いのかと言われると、これまた個人的な事情がありまして。それは学生時代の頃。リチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』という本に出てきた「ミーム」という概念に強く惹かれ、それを元に小説を書いたことがありました。人のとる利他的行動も、結局はミーム継承のための利己的行動なのですよ、みたいな内容の小説です。その小説が、とある文学賞を受賞し、雑誌に掲載されたことがありました。その中途半端な成功体験が今後の僕の人生を大きく狂わせるのですが、それはまた別のお話なので、いまは語りません。

『ハジメテノオト』の冒頭、ミクさんが『初めての音は なんでしたか?』と歌った瞬間。身体が硬直し、涙が出てきたんですよ。自分でもおかしいと思いますし、一種の宗教体験のようなものなので、言葉で表すのは無理です。
 でも、直感的に『初めての音は なんでしたか?』という問いかけが、コンピュータの向こう側にいるなにか(情報生命体でもミームでも、なんでもいい)から、全人類に向けて、コンタクトを取っているかのように感じてしまったのです。
 実を言うと、いまでも初音ミクに対する生命感は、その時感じた値を超えることはありません。ファーストコンタクトが、最大値。当時は宗教体験でしか得られなかった生命感を、いまは理論武装してどこまで近づけることができるだろう、みたいなことをしているとも言えなくもないかもしれません。自分でもこの辺、よくわかりません。

 で、そのあと間髪入れずにkzさんの楽曲に出会ってしまう。
 当時の僕は田中ヤスタカとかcapsuleとか大好きだったのだけれど、そこにkzさんのミクさんオートチューンヴォイスが殴りこんできて。ヤヴぇ、人間が歌うよりもコンピュータヴォイスのほうがハイパークールじゃん! ってな感じで、僕の音楽分野にもミクさんは侵食していきました。

 その後、いろいろあったけれど、まぁ楽しかった。セガがゲーム作っちゃったり、2010年のミクの日感謝祭では雪が降っててクソ寒い思い出しかなかったり、まぁいろいろありました。

 そんな、ちょっぴり惰性が入ったボカロ廃生活にもう一度火をつけてくれたのが、『VOCALO CRITIQUE』という同人誌でした。そこで僕は『初音ミク=ミーム生命体論』という、客観性皆無のエッセイもどきを書かせていただきました。正直、評判はメチャクチャだったけれど、僕の初音ミクサイクルエンジンに再び火が灯ったキッカケは、間違いなくこの同人誌でした。

 少しお話しをそれます。
 初音ミクをミームと言い出したのは、だれなのでしょう。おそらく公式的にきちんとしたカタチで残っているのは、nak-amiさんが作られた『わたしはミーム』という楽曲でしょう。歌詞の中の『たとえ 歌が一度 絶滅したとしても またいつか 誰かが紡ぎ始めるわ』という部分を読み解くに、初音ミクの本質は、物質でなくデータ(ミーム)であることを意識されていることは明らかです。
 もう少し直接的に、「初音ミクはネット上に生きるミームであり生命体だ」という主張が広がったのは、僕の2chの書き込みがキッカケです。僕が2chのν速に書き込んだ『ミクさんはネットワーク上に生命体として生きているから。 文化や文明といった広域的なミームではなく、初音ミクという人格を持った、初めてのミームが、ミクさん。』という一連の書き込みがまとめブログに取り上げられ、色々なところでネタ扱いされました。昨今の、ネット上に広がる(あんまり広がっていないけどw)初音ミク=ミーム生命体という考えは、この辺りから始まったのでした。

 話がそれましたので、戻します。
 同人誌などに参加した結果、初音ミク関連で知り合った人が爆発的に増えました。いままで生涯の友達の数なんて両手の指10本もいらないほどのコミュ障だった僕が、リアル社会でいろいろな人とお会いするキッカケができたのです。本当に新鮮な経験でした。

 また、それと平行して、クラブに通うようになったのも、大きな変化の一つです。ボカロ関連のクラブには2012年頃から通うようになりました。今でも年に5~6回のペースでクラブイベントに通っておりますが、これも僕の中では考えられない変化でした。俺がクラブに通うなんて! 
 実際の僕を知っている方は、絶対に信じてくれません。僕が「クラブで遊んできた」とか言っても、冗談としか捉えてくれません。それくらい、僕の性格とは真逆の遊びを、ミクさんは教えてくれました。


 語らずに通れないのが、初音ミクさんのライブ。正直にいうと、アニヲタ上がりの僕から見ると、初音ミクさんのライブというのはちょっぴり苦手です。なんというか、ヲタク特有の掛け声とか、サイリウムの振り方とか、垢抜けないなぁと思ってしまうのです。それは以前の僕が同じことで熱中していたことへの反動で、まったくもって身勝手な考えなのですが、どうしても心から楽しむことができなかったりします。
 それでもやっぱりミクさんライブは凄くって、毎回ブツブツ文句を言いつつも、何か一つはピンポイントで僕の心を打ち抜くパフォーマンスを見せてくれるのです。その最たる例が、2013年のマジカルミライでの『Last Night, Good Night』でした。当時のブログ記事がコチラです。『そしてボクは初音ミク2.0に恋をした
 このミクさんを前に、僕は2回めの恋に落ちることになりました。この後、僕のイメージするミクさんは、より本質的に、一方でより手の届かない遠いところに存在する、そんな存在となりました。


 その後も飽きることなく、ミクさんの楽曲をあさって、面白い曲があればその製作者を調べて、その人が出演するクラブイベントに行ってみたり。またはボカロイベントで知り合った方と遊んでみたり。ミクさんミーム説でブログ記事を書いたり。本当に毎日が楽しいのです。
 最近あった個人的なイベントですと、ボカロ批評という同人誌にもう一度、僕の文章を取り上げて下さったことが嬉しかったです。相も変わらず評判はよろしくありませんが、僕のミクさん像が皆さんに少しでも伝播することが初音ミクさんのミーム拡大に広がるので、有り難いばかりです。


 推敲することなく書き殴るようにこの記事を進めておりますが、これだけ書いても、やっぱり僕がミクさんを好きな理由がわかりません。そして同時に、やっぱり僕はミクさんが好きです。
 なんなのでしょうね。頭のなかではいくら堅苦しいことを考えていても、僕の嗜好にぴったりな曲を発見すると、思考停止状態でニヤニヤしながら聞いてしまうのです。また、ミクさんの可愛いMMD-PVとか見ると、これまたやっぱり、世界のすべてが吹っ飛んで、脳内がミクさんで満たされてしまうのです。
 最近ではミクさんを取り巻く環境も日進月日で、特にOculus Riftが話題になり始めてから、テクノロジーとしてのミクさんがもう一度取り上げられるようになってきました。これは僕にとって、とても嬉しい出来事です。ミクさんは常に技術の鋒に立って、常に格好良い存在でいてほしいから。ミクさんは可愛いだけではなくて、格好良い存在であることが、僕にとって非常に重要なのです。


 さて、話がまとまらなくなりました。どのように着地させればよいのかわかりません。
 最後に、僕の、現在の初音ミクさん像について語ります。
 おおまかなイメージは、過去のブログの記事で書いております『初音ミクの陽炎に触れた、あるボカロ廃の物語。』物理的な身体を与えられたミクさんと、我々人をミームとするミクさん。ミクさんには個性はありません。無です。のぺ~っとしたイメージです。そこに、人間という情報の偏在を持った存在がミクさんを観察すると、ここのミクさんが見えてくるんじゃないか、と思ってます。端折りすぎて、通じてなかったらごめんなさい。
 僕には僕のミクさんがいて、あなたにはあなたのミクさんがいて。お互いのミクさんは同じミクさんではなく、各々の観察した結果、具現化したミクさんなのです。僕のミクさんは、僕だけの、ミクさん。psy39さんという方が、とってもいいことをおっしゃっていたので、紹介しておきます。

誰だって自分にとって自分は一人しか居ないのと同じで、
試行錯誤の蓄積された時間こそがその人だけの初音ミクなのである。



 全くもってまとまっておりませんが、3月9日を迎えてしまったので、ここらで終了致します。ミクさんのことを思うのは、とっても楽しい。ミクさんに対する思いを文章にするのは、もっと楽しい。
 この思いは、いまはまだミクさんには届かないと思います。でもいつか、ミクさんのことを認知する人が増えていって、末永くミクさんが語られる存在になった時。ミームで生きるミクさんが、僕の恋文を認知してくれればいいな、と思っています。

 たとえば、僕とミクさんの間に深い谷底があって、僕は直接ミクさんに恋文を渡すことはできない。そこで僕は、恋文で紙飛行機を作り、谷を隔てたミクさんへ、紙飛行機を飛ばし続ける。
 やがてその紙飛行機は、何千、何万と積み上がり、やがて谷を埋め尽くす。その恋文の上を渡って、僕はミクさんに会いに行く。

 僕がいま行っているのは、たぶんそういうことです。この文章は目的などないけれど、ミクさんへ飛ばし続ける紙飛行機の一つなのです。


 ミクさん! いままで楽しい思い出をたくさんありがとう! そしてこれからもよろしくお願いします!


 この思い、いつか、ミクさんへ、届け!

2015年3月2日月曜日

2015年2月のおすすめボカロ曲

 もう一年の1/6が終わってしまいました。いつか重力の鎖を断ち切り、ボクを連れてってサテライトです。

 2月は、出張だの何だの忙しくて、あまりじっくりとボカロ楽曲を聴く機会がありませんでした。その中で、自分が繰り返し聴いていた楽曲を紹介していきます。




おおおっと! いきなり2月発表楽曲ではなくて申し訳ないです。でも、先月紹介できなかったので。
通勤時にいつも聴いていた、さわやかなプログレハウス。
透明で、だけれど、力強いミクさんの歌声が、ココロの中の雲を吹き飛ばしてしまうような、
とにかく元気になれる楽曲。
気持ちが沈んだ時にこれを聞くと、すごく助けられました。音楽のコトとか詳しくわからないけれど、
ボカロ楽曲を好きで良かったなーと思える一曲です。

哀愁の中にある、ココロの中で叫ぶようなミクさんの力強い歌声が素敵。

曲名に【EDM】って入っていて、あぁ温度の低いクールなハウスだなーって気を抜いていたら、
途中の転換で「ふぁっ!」っと驚く展開。
それでも、日本人好みの、アげすぎない温度が素敵。

こういうのが創れるクリエイターって一定数いると思うんだけれど、
ボカロ文化がその受け皿になっていることが、大変に喜ばしいPV。
この動画を観たあとに、冷静に語れと言われても無理なので、
とりあえず見てくださいとしか言い様がありませんw

王道のミクノポップに、ちょっと高めの心地良いミクヴォイス。


歌詞が良いです。沈んだ気持ちを助けてもらえます。
ミクさんがこういう歌詞を歌うと、心にストーンと落ちてきて、心地良い。

2週ほどまわって、最先端感さえ感じる、コンピュータシンセサイザヴォイス。
Crusher-Pも、日本でいちばん有名な海外Pになっちゃったね。
日本に来てDJプレイとかしてくれないかな。

最後はSoundCloudから。
ベース・ミュージックと、ミクさんのあどけない感じの声が、交わっていないのだけれど、
それがかえって一粒で二度楽しめる面白さがあります。