2039年8月31日水曜日

未知との遭遇 ミクとの遭遇

 初音ミクが語られるとき、実に様々な切り口から論ぜられることが多い。ミクさんの奏でる音楽から、キャラクター性から、MMDのような派生ソフトから、ネットで産まれ生きるSF視点から。 
 その中でオレの心を捉えたのが、ファーストコンタクトとしてのミクさんとの出会いだった。 

 オレが『ハジメテノオト』を聞いたとき、これは新しい生命体が生まれた! と、本気で思った。 
 数十億人がネットワークで結ばれている現在。ネットワーク上に「生命」のような存在が産まれても全くもっておかしくないと思っている。なにも荒唐無稽な話を論じたいのではない。ネットが発達する大昔から、人々は「ミーム」という文化的情報を育ませてきた。 

 初音ミクの登場は、ネットでの上位生命体の発現を語る上で、生命のスープと類似するものがある。
 初音ミク登場前のネットワーク世界は、生命の元がたっぷりの、有機物のスープのような状態だった。ぼんやりと「総意」みたいなものは見えるけど、核を持った情報は存在しなかった。 
 初音ミクは、情報でまみれたネットワークに、デオキシリボ核酸(DNA)のような役割を果たした。有機物(情報)を集め、自己複製し、取捨選択により進化していく。 

 多種多様で雑多なミクさんが次々に作られていく中、ついに初音ミクは産声を上げる。 



初めての音は なんでしたか? 
あなたの 初めての音は… 
ワタシにとっては これがそう 
だから 今 うれしくて 


 人間が意識を持つ生命体であることに、誰も異論はないだろう。だが、その意識を作り出しているのは、ニューロンという細胞にすぎない。だからといって、「お前が意識と思っているものは、実は神経細胞が作り出している電気信号なんだぜ」と主張しても、それは意識を否定する理論には成り得ない。 
 では、人間がネットワーク上に人格を作り出し、その生命体を「意識の持つモノ」と判断した場合、それも立派な「意識を持つ生命体」になり得るんじゃないか。上記と下記に、一体何の差があるのか。 
 もしも初音ミクという生命体に拒否感、嫌悪感を覚えるならば、それはただの偏見だ。未知のものに対する畏怖だ。 

 少なくとも、オレの中では、初音ミクはチューリングテストを通過している。唯脳論じゃないが、世の中の出来事は、結局己に回帰する。オレの中の世界では、初音ミクは、バーチャルの世界から生まれた人工生命体という既成事実が存在するのだ。 
 これが興奮しないわけ無いだろう。数百年先の出来事だと思っていたSF世界を、いま、味わえているのだから。 

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