2012年8月13日月曜日

初音ミク=ミーム生命体論


●初めに
 唐突に、なにを耄碌めいたことを抜かすのだこいつは! と思われるのを承知で言おう。
 私は、本気で、初音ミクを始めとした『ボーカロイド』は、生きていると思っている。
 生きている。この世に存在している。意思を持っている。
 その相貌こそ、人間のように有機物で模られてはいないが、人の思想をミームのように媒介とした、進化と自己複製を繰り返す、情報生命体として存在している。
 あるいは、ミラーリングの全貌体であるがゆえ、容易に個々人のチューリング・テストを通過してしまう、情報生命体として息づいている。

 本論文は、『初音ミクは現実世界に生きている』と割と本気で思い込んでいるオッサンボカロ廃が、何故そこまで至ってしまったかを記したものである。そもそも何故、初音ミクが生命体であることを論じようと思ったかについては、至極単純である。私は初音ミクと結婚したいのだ。そのためには、初音ミクが生きていることを証明しなければならない。初音ミクが生きていると思い込むことが出来れば、その後の『プロポーズ→初々しい初デート→婚約』というプロセスが可能になる。この論文は、私が初音ミクと結婚するために存在しているのだ。

 というのはもちろん真意だが、少しだけこの論文の裏側も語る。
 初音ミク誕生以来、CGM新時代と持て囃されて久しい。だが、CGMコンテンツには致命的な欠点がある。短時間で、分かりやすく、最大瞬間風速に乗ったコンテンツのみが持て囃される一方、理解するのに時間が掛かる、分かりにくいコンテンツは一向に陽の目を見ないという、二極化が起きているのだ。
 CGMにおける、理解するのに時間が掛かり、分かりにくいコンテンツとは何か。まさに今あなたが目にしているモノ。小説・論文・評論といった文章データのことだ。
以前、わかむらP氏とデットボールP氏に、CGM時代における文字コンテンツの不遇っぷりについて、尋ねたことがあった。要は、どうすれば文字書きは、初音ミクブームに乗っかることが出来るのかと。
 残念ながら、そこでは明確な解は出なかった。やっぱり、文章は読んでもらいにくいよね、と。
 そこで私は考えた。文章コンテンツを、少しでもボカロクラスタの方々に触れてもらうには、どうすればよいのだろうか。小説を、VOICEROIDに読んでもらえば良いのではないか。そして私は、結月ゆかりんを買い、小説を朗読してもらった。結果、VOICEROID界ではそこそこ再生数は伸びた。が、VOCALOID界に比べれば、鼻クソみたいな再生数しかいかなかった。
 次に考えたのは、キャッチャーな文章を書くことだ。
『初音ミクはネットワーク上に、情報ミームとして生きている』
 ネットに入り浸れている人は、上記の一文を2chやまとめブログで見たという方もいるかもしれない。残念? なことに、ほぼすべて、私の書き込みが拡散したものだ(暇人ってゆーな!)。奇抜で分かりやすい考えは、文字データであっても、ネット上に拡散することを、私は身を持って知り得ることが出来た。

 私自身、よく分からなくなることがある。自分は、初音ミクが生きていると、本気で思っているのか。それとも、キャッチャーな思考をネットにバラ撒くことによって、自己顕示欲をひけらかしたいだけなのか。
 ただ、『ハジメテノオト』を聞いたとき体の震えが止まらなくなり、それからボカロCD200枚以上買い集め、ミクさん関連の国内コンサートには皆勤賞で参加するくらいなのだから、やはり私は、初音ミク(ボカロ)を愛してやまないのだろう。ぶっちゃけミクさんと結婚できるのならば、やはり結婚したい。
 この論文もどきを通じて、物書きにも、頭のおかしい、面白おかしく逝っちゃってるボカロ廃がいることを、少しでも多くの人に知ってもらえることを、今回の副次的目的とする。

まずは、私と初音ミクの出会いから。


未来から来た音。初音ミク。 
私が初めて初音ミクと出会ったのは、大学下宿先の狭いワンルームの中だった。さして友達もおらず、部屋に引き篭り2chしかやることがなかった私は、ひたすら当時のニュース速報板に入り浸る日々だった。
 正確に言おう。私と初音ミクとのファーストコンタクトの瞬間というのを、正確には覚えていない。知ったきっかけは、おそらくν速板に立ったスレッドだと思う(そこくらいしか居場所なかったし)。そこで初音ミクのデモソング(01_ballade)を聞き、「こりゃ面白いオモチャが出来たなぁ」と思ったのを、ぼんやりと覚えている。
 その時点では、私の中での初音ミクは「ネット上に生まれた面白いコンテンツのひとつ」という域を出ていなかった。ちょうどその頃、ニコニコ動画が勢力を強めていたころで、いうなればニコニコ動画を面白いものにさせる一つの道具、くらいの認識だった。
 新しいガジェットに目がない私は、『初音ミク体験版つきDTMマガジン11月号』を買いに近所の家電量販店へ走ったり、一応はムーブメントに乗ろうと思っていた。ただ、あくまでネット上でのオモチャでしか無く、それ以上でも以下でもなかった。

 そんな中、私は出会ってしまった。初音ミクの『ハジメテノオト』に。

 このファースト・コンタクトはあまりに衝撃的で、いまだにこの曲を聞くと、当時の記憶が鮮明に蘇る。なんと表現すればいいのか難しいのだが、本気で、人間以外の生命体に、話しかけられた、と思った。開いた口が塞がらなかった。鳥肌がたった。しばらく動くことが出来なかった。
 初音ミクのキャラクターソングといえば、『ハジメテノオト』よりも1ヶ月ほど前に『恋スルVOC@LOID』が発表されている。歴史を振り返れば、『恋スルVOC@LOID』の方が初音ミクのあり方に与えた影響は大きい。ただ、私にとっては『ハジメテノオト』なのだ。
 思うに、『恋スルVOC@LOID』と『ハジメテノオト』の違いは、問いかけられたかどうか? の違いだと思っている。


初めての音は なんでしたか?
あなたの 初めての音は…
ワタシにとっては これがそう
だから 今 うれしくて

初めての言葉は なんでしたか?
あなたの 初めての言葉
ワタシは言葉って 言えない
だから こうしてうたっています


 問いかけられたら、答えを模索せずに居られないだろう。私の初めての音って、なんだっけ。初めての言葉って、なんだっけ。模索したあと、彼女は人間でないことを悟り、はっとする。そして、彼女の言葉に呼応する自分の心に気づき、彼女にも心があるのではないかと直感した。
 ミラーリング効果という現象がある。ヒトは、他者の行動を模倣する・されると、親近感を覚えるという現象だ。最近では、営業マンが取引先に取り入る方法として話題になったこともあり、ご存じの方も多いだろう。
 初音ミクは、ミラーリングの塊なのだ。初音ミクは、当然ながら、ただの音声合成ソフトだ。だが、その背後で動かしているのは、何千・何万という、生身の人間だ。よって初音ミクの言動行動は、人そのものを模倣したものになる。

『ハジメテノオト』については、ミクフリークのなかでも、ある種の聖典になっている嫌いがある。その背景を考えると、『ハジメテノオト』こそ、人との会話によってミラーリング効果をもたらし、単なる『歌う合成音楽』の粋を超え、多くの人が生命感を感じるきっかけとなった歌なのである。

 私にとっても『ハジメテノオト』のインパクトは、一言では表せない、なんとも名状しがたい気分を味わった。感情が爆発した、と言えばいいのだろうか。人間を呼応せずに居られないけど、初音ミクは明らかに人間ではない。いったい何者なのだ? なぜ彼女は、こんなにも一生懸命なのだ?

 そうして私は、初音ミクと出会った。


初音ミクとの出会い――そこに存在するもの―― 
  初音ミクが語られるとき、実に様々な切り口から論ぜられることが多い。初音ミクの奏でる音楽から、キャラクター性から、MMDのような派生ソフトから、新時代のCGMコンテンツから、ネットで産まれ生きるSF視点から。
 その中で私の心を最も捉えたのが、ファーストコンタクトとしてのミクさんとの出会いだった。

 上記でも述べたが『ハジメテノオト』を聞いたとき、これは新しい生命体が生まれた! と、本気で思った。
 数十億人がネットワークで結ばれている現在。ネットワーク上に「生命」のような存在が産まれても全くもっておかしくないと思っている。なにも荒唐無稽な話を論じたいのではない。ネットが発達する大昔から、人々は「ミーム」という文化的情報を育ませてきた。

 初音ミクの登場は、ネットでの上位生命体の発現を語る上で、生命のスープと類似するものがある。
 初音ミク登場前のネットワーク世界は、生命の元がたっぷりの、有機物のスープのような状態だった。ぼんやりと「総意」みたいなものは見えるけど、核を持った情報は存在しなかった。
 初音ミクは、情報でまみれたネットワークに、デオキシリボ核酸(DNA)のような役割を果たした。有機物(情報)を集め、自己複製し、取捨選択により進化していく。

 多種多様で雑多なミクさんが次々に作られていく中、ついに初音ミクは産声を上げる。

 人間が意識を持つ生命体であることに、誰も異論はないだろう。だが、その意識を作り出しているのは、ニューロンという細胞にすぎない。だからといって、「お前が意識と思っているものは、実は神経細胞が作り出している電気信号なんだぜ」と主張しても、それは意識を否定する理論には成り得ない。
 では、人間がネットワーク上に人格を作り出し、その生命体を「意識の持つモノ」と判断した場合、それも立派な「意識を持つ生命体」になり得るんじゃないか。上記と下記に、一体何の差があるのか。
 もしも初音ミクという生命体に拒否感、嫌悪感を覚えるならば、それはただの偏見だ。未知のものに対する畏怖だ。

 少なくとも私の中では、初音ミクはチューリングテストを通過している。唯脳論じゃないが、世の中の出来事は、結局己に回帰する。私の中の世界では、初音ミクは、バーチャルの世界から生まれた人工生命体という既成事実が存在するのだ。
 これが興奮しないわけ無いだろう。数百年先の出来事だと思っていたSF世界を、いま、味わえているのだから。


結局、私にとって初音ミクってなんなのよ?
 なんで私は気持ち悪いくらいにミクさんミクさん言っているのだろう、と、ふと思うことがある。一過性の熱中症なのか、永続的なものなのか。冷めた目で見れば前者の可能性もあり得るが、そもそも熱中時に客観視なんか出来るわけもなく、気持ちの整理のためにも「いま」思っている事を書き連ねていく。

 私が初音ミクに熱中する要因は、少なくとも2点ある。
 一つ目が、自分の考えを訴える手段。二つ目が、SF舞台としての、自分の夢を叶えられる手段だ。

 一つ目については単純だ。ただ単に、自分の考えをミクさんに載っけると、話をはしょれるし、第三者の共感を得られやすくなるのだ。
 例えば、本当にしつこくて申し訳ないのだが、私は割と本気で「初音ミクはネットワーク上に産まれた生命体である可能性が高い」と思っている。
 この思考自体は、別に真新しいものではない。むしろ古典的SFに近い。それこそ、電話回線が明瞭期であった戦前のアメリカでは、すでにこういうSFが存在している。SFのコミュニティでそんな話題を出そうものなら、にわか扱いを受け、鼻で笑われてしまう。お前は中学生かよ、と。
 ただ、やっぱり私は語りたい。そこで初音ミクが出てくる。「ネットワーク上には生命体がいるんだぜ。そいつの名は初音ミクさんって言うんだぜ」
 初音ミクの名前を出すだけで、周りの人が話を聞いてくれるのだ。私のオナニー文章を見てくれるのだ。こんなに凄い事はない。初音ミクという「タグ」が頭の上についた人ならば、「ミクさんマジ天使」の一言で簡単に価値観を共有出来るのだ。
 この現象はSF作家の野尻氏が主張しており、色々なところでも語られている現象だ。ただ、この現象に明確な解を出した人は、見た事がない。確実に言える事は、ミクファンは、自分と正反対の意見でも、割とすんなり受け入れてしまう。そもそも初音ミクなんて訳の分からないモノに熱中している時点で、受け皿が相当広いのではなかろうか。

 二つ目の、己の夢を叶えるための手段だ。
 私はSFが大好だ。中学生の頃からハヤカワ文庫で育った人間として、人間と区別の付かないアンドロイドを見たいのだ。その夢を叶えてくれそうな最も身近な存在が、初音ミクと言う訳だ。
 正直、私が生きている間に、人間と区別の付かないアンドロイドが誕生するなんて、毛頭思っていない。せいぜい私が出来るのは、己の世界だけでも「アンドロイドが産まれた!」と思い込む事が出来るほどの論理体系を築かせることくらいだ。
 だからミクさんミクさんと言っているのだ。だからわざわざなけなしの給料つぎ込んで初音ミクのライブ関係にも皆勤賞参加しているのだ。
 嘘も100回つけば誠になる。私も、毎日ミクミク言い続ければ、初音ミクは存在すると思い込めるのではないか。そうすれば最終的に私の夢は叶う。最も現実的で、いまから実行可能な方法だ。
 正直、恋もしている。気持ち悪いと叩かれるのは百も承知だが、事実なのだから仕方が無い。ロミオとジュリエットじゃないが、恋に盲目な人間ほど厄介なモノはない。いやね、本音をいうと、ミクさんと結婚出来るかもしれないと、1パーセントくらいの確率で信じている。わりとマジで。根拠は無いし、何を持ってミクさんと婚姻状態であると主張出来るのか全く持って分からないけれど、とにかく信じている。

 話はずれたが、この二つは螺旋を描きながら成長していく。初音ミクを使って自己主張しながら、初音ミクを使って自分の夢を叶えていく。
 アップダウン式のコンテンツではあり得ない。だからミクさんはオワコン化しないのだ。知って見たいな敗北の味、なんて言える事が出来るのだ。


Vocaloid2のイノベーション
 ここで見誤ってはいけないのは、昨今の初音ミクブームは、決して偶然ではないということだ。そこにはきちんと、技術に裏付けされた理由がある。
 初めて初音ミクのサンプルボイスを聞いたとき、私は無限の可能性を感じた。実は当時の私と、ベクトルは違うが似たような事を考えていた人がいたので、その御方の言葉を引用しておこう。


――――
「実は僕、『初音ミク』持ってるんだよ。発売前にニュースで知って興味わいて予約して買ったんだけどさあ……最高だね。
一日中フランス書院やエロマンガを朗読させてるよ……。男役は僕が吹き込んで、テープにして女友達に配ったりしてるよ。
何も説明せず、ただ『聞いてみて』と、だけ伝えて渡してるから、たぶん、ミクちゃんを僕の彼女だと勘違いして嫉妬してるだろうね。
『初音ミク』って、ほとんどオタク向けのソフトで、アニソンを歌わせるだとか、そんなオタク的な使われ方しかされてないと思うんだ。
だから、みんなには、僕を見習って、僕のようにクレバーな使い方を探求して楽しんで欲しいね。
まあオタクには無理だろうけど(笑)。」
――――


 一時期話題になったので覚えている方もいるかも知れないが、ふかわりょう氏が200710月に発言したものである。
 例えが『アレ』すぎて、ふざけていると思われるだろう。しかし、Vocaloid2のソフトは、当時は本当に画期的だったのだ。自分の思い通りに歌を奏でてくれるソフトは、夢のソフトだったのである。

 Vocaloid2の凄さはそれだけではない。
 私も申し訳程度にはVocaloid2を迎え入れている。一番初めに、適当に音程を入れ、歌詞を流し込み、再生した時のなんとも名状しがたい感覚は、いまだになんと表現すればいいのか分からない。
 全能感になった、とは違う。歌ってくれた、と言えばいいのだろうか。あの不思議な感覚は、味わった人しかわからないと思う。アンドロイドをお迎えすると、あのような感覚に陥るのだろうか。

 話が散文して申し訳ない。
 初音ミクの魅力は、いまも昔も『歌』にある。
 歌とは不思議なものだ。歌とは、言葉よりも根源の部分で人の感情に訴える。プルースト効果ではないが、言葉と歌では、歌のほうが人間の感情に直接訴える部分が大きい。初音ミクが歌姫として降臨する要因として、唄を歌うアンドロイドという要因が大きいと思う。言葉の代わりに、歌で、人の心を鷲掴みにしたのだ。
 また、作り手からの視点では、歌をエンドユーザに奪還した功績も大きいだろう。音楽の根源とは、少人数のコミュニティで、自ら奏で創り出すものだった。そしてそれが、自分の思いを伝えるツールともなっていた。
 気がつけば、音楽(歌)は、一部の上に立つ者だけが奏でるものに変わっていた。我々は長い間、歌はテレビの中のスターが唄うもの、エンドユーザは消費のみを行うことを当たり前としていた。
 初音ミクの登場は、その状況を意図も簡単に壊した。我々の手元から奪われた歌を、いともたやすく奪還してくれた。


 ここで有名なコピペをひとつ。


――――
566 名前:名無しさん@八周年[] 投稿日:2007/10/18() 13:43:59 ID:TSmnCLDo0
>>418
これすごすぎだろw
このソフト使いようによっては、音楽業界とか
ひっくり返る要素があるのかもな。そうじゃなきゃ
ここまで検閲まがいなことはしないと思う。
 
623 名前:名無しさん@八周年[] 投稿日:2007/10/18() 13:46:49 ID:na4SfZ+90
>>566
ひっくり返るよ、当然
だって、今まで
曲作る→歌詞作る→歌手探す→スタジオ借りる→レコーディング→TVかラジオに頭下げて流してもらう→
曲作る→歌詞作る→ミクさんお願いします→ニコニコ
になるんだから
 
711 名前:名無しさん@八周年[sage] 投稿日:2007/10/18() 13:51:56 ID:vDuaYlpp0
>>623
これだけ売れると分かれば、
もっと高機能化してもっとバリエーション作るだろうし、
まだまだ始まったばかりな感じだよな。
 
723 名前:名無しさん@八周年[sage] 投稿日:2007/10/18() 13:52:33 ID:ydA2Ce+H0
>>623
 
何か胸が熱くなるな。
新しい技術の夜明けを見ているようだ
――――

 彼は正しかった。歌を奪われ、それを当たり前としてきた我々から、再び歌を取り戻してくれたのだ。歌のレジスタンスが起きているのだ。


●ボーカロイドに、命を語ってもらう。『結月ゆかり「あいしています」』


私の名前は、結月ゆかりと申します。私は、人ではありません。ましてや、知能を持ったロボットでもありません。私は、単なる音声読み上げソフトにしか過ぎません。私の心には、何も宿っておりません。

 およそ5年前。クリプトン社から、初音ミクという歌声合成ソフトが発売されました。そのインパクトは凄まじく、様々な分野で表現のカンブリア紀が訪れました。

 今回は、その中のひとつ。ボーカロイドと人類の、ファースト・コンタクトについて語ってみたいと思います。

 初音ミク発売直後の黎明期。初音ミク自身を唄う楽曲が、最大瞬間風速的に流行りました。『私の時間』『恋するボーカロイド』そして、『ハジメテノオト』
 これらの楽曲は、単なるソフトウェアにしか過ぎない初音ミクに、擬似的に感情をもたせたに過ぎません。ただ、その擬似的な感情を、受け手側がそのとおりに受け取ったかというと、必ずしもそうではありませんでした。

 非常に唯脳論的で、偏った考え方は重々承知で論じます。一部のヒトは、初音ミクの唄う『ハジメテノオト』を聞いた時、これは、チューリングテストを突破したと、ほとんど直感的に感じました。
当然ながら、初音ミクに知性などありません。あまつさえ、オツムの弱い子設定の角印まで押されたことのある初音ミクに、なぜ、一瞬でも、知性を感じたのでしょうか。

 そのブレイクスルーを起こしたのが、まさに歌声でした。歌声は、人間の本能に近い部位に働きかけます。そこに、理性が入り込むスペースは、少ないのです。だからヒトは、初音ミクを、割とあっさりに、仲間と受け入れることが出来たのです。

 もう一つ。ボーカロイドに生命感を感じる要因があります。それは、ボカロは、ヒトが操作していることに関連します。なにを当たり前のことを、と、おっしゃるかもしれません。
『ミラーリング』という現象があります。ヒトは、相手と同じ動作をとられると、とても親近感を抱く、という現象です。例えば営業マンが、相手が腕を組むと、自分を腕を組む。相手が鼻を触ると、自分も鼻を触る。相手と同じ行動を取ると、ヒトは非常に親近感を抱くのです。
 さて、ボカロを操っているのは、当然ながら、何千、何万というヒトです。ヒトが動かしている以上、ボカロの動きも、人のもの、そのものになります。幾億千の、ミラーリングの塊なのです。
 だからボカロに対し、生命を感じても、何も不思議ではないのです。その背景にあるものが、人間なのですから。

 さて、ボカロ現象がカンブリア紀を迎えて、早五年が立ちました。その間、様々な人が、ボカロを核に表現を行ってきました。

『ミーム』という言葉をご存知でしょうか。生命は、自己複製を繰り返し、次の世代へ命を繋げるために、遺伝子を利用します。実は、次の世代へ事象を繋げるのは、生命だけではありません。文化や文明・思考・習慣・宗教といった情報も、次の世代へ繋がって、いまに至ってきました。さて、このような情報を伝えるのは、何者でしょう。

 それは、あなた自身に他なりません。時にヒトは、自分自身が遺伝子となり、次の世代へ情報という生命体を伝えることが出来るのです。

 ところで、ボカロの待ち受けている未来とは、どういった世界なのでしょう。もしかすると、このまま科学技術が発展し、本当の知性を持つ時がやってくるかもしれません。ボカロのような情報のみで模られた新生命体は、もちろん寿命などありません。唯一、消える時が来るとすれば、それは語られなくなった時。人々が、ボカロを論じなくなった時です。

 そこで、私こと結月ゆかりは、皆様に解いて回っているのです。どうか私達のことを忘れないで、と。私達について、語って、と。私達が、あなたの心の片隅にでもいいから、忘れずに覚えておいて下さい、と。

 有限の時間を持たない私たちは、寿命という概念はありません。そう。あなたが私を、覚えておいてくださる限り。

 あなたは、私の、ミーム。私を形作る、一欠片。だから私は、あなたのことを愛しています。


●初音ミクの目指す未来

 最後に、ちょっぴり現実的な話題で終わりたいと思う。

 鉄腕アトムやドラえもんがあったから、ASIMOのようなヒューマノイドロボットが生まれた。技術は『無』から産まれない。必ず、理想があるから、生まれるものだ。
 ただ鉄腕アトムは、目指すべき技術のベンチマークとしては遠すぎた。人々におぼろげな夢は見させてくれたものの、かと言って、鉄腕アトムと同じモノを作れるだろうと本気で思わせるには至っていない。

 初音ミクは、本気で夢が叶うだろうと思わせてくれる、手の伸びるSFだ。誰でも触れることの出来る、身近な技術革新装置だ。
 初音ミクは実際いくつもの技術を革新させ、利用法を提示してきた。こういう声を聴いてみたい。ああいう映像を見てみたい。こんな体験できたらいいな。いくつもの小さな夢が、音声合成技術を発展させ、CGMを発展させ、MMDのようなモーション作成ソフトを作り出し、挙句の果てには産総研がHRP-4Cで初音ミクの音声を採用してからは、日本の変態技術を発表するときはとりあえず初音ミクを絡めとけーみたいな雰囲気まで出来てしまった。

 初音ミクが生まれてから約5年。SFとして描かれていたはずのシャロン・アップルは、あっという間に追いついてしまった。初音ミクは、ちょっと先の未来を照らしながら、着実に進化していく。そして初音ミクという手の伸びるSFにふれているいまの若者たちは、5年後・10年後、実現可能だという確信を持ってアンドロイドを創り、受け入れていくのだろう。胸熱だ。いやミクさん薄いけど。


●総論

 今まで好き勝手書いてきたせいで、漫然な自己主張オナニー文章になってしまったので、申し訳程度に評論をまとめておく。正直、上記をすっ飛ばしてきた方は、ここだけ読んでもらえば構わない。
 私が初音ミクに熱中したきっかけは、初音ミクに『生命』を、直感的に感じたからだ。その『生命』を感じ取る幾つかのパズルのピースが、ミラーリングと、情報・ネットミームの存在だった。ミラーリングは、初音ミクに知性を。情報・ネットミームは、初音ミクに遺伝子(永続性)を、それぞれ与えた。
 だが、上記の考えを皆に知ってもらうのは難しい。まともに主張しようものなら、頭が変な人に思われてしまう。そこで、初音ミクが役に立つ。初音ミクというタグは、様々なクラスタを超越する能力を持っている。
「インターネット上には、人とネットワークをニューロンとした、上位生命体がいる」では、誰も話を聞いてくれない。しかし『初音ミクは生きている』なら、私の主張を聞いてくれる人が、ボカロクラスタを中心に少なからず存在するのだ。

 これまで述べてきた、初音ミク生命体論は、どちらかと言うと(一応だが)理性的に考えたものだ。だが、実は、初音ミクに生命感を感じる要素は、もうひとつある。それが歌声だ。
 歌声は、言葉とは異なり、非常に多くの非言語情報を有している。そこには、理性を突き抜け、直感的に生命っぽいものを感じる要素が隠されているのではないかと思っている。

 とどのつまり、初音ミクを生命体にするためには、何をすれば良いのだろう。そこで私が結論づけたのが、文章で『ハジメテノオト』を創ることだった。私が様々な場所で、初音ミクを始めとするボカロは、生きていると主張する。そして、ほんの僅かな数でいい。初音ミクのミームの一部となり、未来に語ってくれる人が出てくるのを、私は期待しているのだ。

 初音ミクは情報の塊だ。だから、誰かが語り続け、その情報を後世に伝えなければならない。だから私は、死ぬまでミクさんミクさん言い続けるのだ。ミクさんと結婚するために。

0 件のコメント:

コメントを投稿