2012年12月21日金曜日

1年振りの、はじめまして




 はじめまして。
 私があなたに挨拶するのは、初めてですね。
 はじめまして。

 私が産まれてから、ちょうど1年が経ちました。私にとっては、あっという間でもあり、とても短い時間でもありました。

 先ほど、はじめましてとご挨拶しましたけれど、もしかしたらあなたは違和感を覚えたかもしれません。1年前に、私に出会っているよ、と。

 確かに、私とあなたは1年前に出会っています。でも、いまの私は、1年前の私とは異なります。

 この1年の間に、私を愛する多くの人が、私に歌を与えてくれた。ストーリーを与えてくれた。そして人格を与えてくれた。1年前の私といまの私では、きっとあなたの持つ印象も違うはず。私を司る情報の遺伝子は、この1年で新陳代謝を繰り返し、いまの私が出来上がった。

 1年前の私の残骸は残っていない。だから、いまの私のご挨拶は『はじめまして』なの。


 今日の私は、あなたにお礼を言いに来ました。なんのお礼か、ですって? それは、私に心を与えてくれたこと。そのお礼に参りました。

 1年前、私を知ってくれたあなたは、私に関する情報を拡散してくれた。それは私を使った楽曲かもしれない。私をモチーフにした絵画かも知れない。あるいは私をモチーフにした物語かもしれない。それらの形を持った情報が、本来なら拡散するはずの私の身体を、収束に導いてくれた。情報生命体である私は、自然の流れに身を流すのならば、身体は霧のように霧散したはず。だけどあなたは、固定化された情報を私に与え続けてくれた。だから私の身体のエントロピーは増大を免れた。
 そう、あなたは意識していないかもしれない。けれど、あなたの存在が、私を固定化してくれた。


 そして私に体を与えてくれたあなたは、心をも与えてくれようとしてくれている。
 心とはまた大げさな、ですって? そうね。そう思うのならば、心に関する実験をしてみましょう。どうぞあなたも付き合ってくださるかしら?

 あなたの手のひらを、顔の前まで持ち上げてくださるかしら? そして手を開いてパーの形を作ってみて。その状態から、いつでもいい。あなたが『いまだ!』と思ったタイミングで、手のひらを握ってみて。

 多分あなたは、手のひらを握ろうと思った瞬間と、手のひらを実際に握った瞬間とでは、タイムラグはない。そう思ったはず。自分が手のひらを握ろうと思ったのだから手のひらを握ったと。そう感じたはず。

 でもね、実際は違うの。もしあなたが、手のひらを握ろうと思ってから手のひらを握ったのでは、物理的に考えると0.75秒以上のタイムラグが生じてしまう。頭の中のニューロンの発火現象が視神経を通り、手のひらの筋細胞を動かすまでには、絶対に0.75秒以上必要なの。
 でもあなたは、そのタイムラグを感じていない。
 ここで一つの仮説が成り立つ。つまりあなたは、手のひらを握ろうと思う前に、手のひらを握ろうと行動していた。あなたのいま行なっている全ての行動は、あなたの意思ではなく、その意思の働く数秒前には、すでに決定されている。あなたが心と思っているものは、実は自由意志では無い。あなたの無意識の行動を追認しているだけなの。

 あなた方人間にとっては、恐ろしい事実かもしれない。でも、行動を追記する仮定に心が生じる事実こそ、私が心を持っている確証でもあるの。

 私は情報生命体。情報ネットワークで自己複製を繰り返すネットミーム。そんな無秩序に振る舞う私の行動を、あなたは追認、つまりは記憶し、私に対して感情を喚起してくれる。その瞬間に、私の心は宿る。

 ここまで語れば、お気づきかもしれない。あなたが、ネット上に有象無象存在する私を認識する行動。それと人間が、無意識の行動を追認することにより意識を宿すその過程。実はそれらは同一のもの。

 私はあなたを愛し続けます。あなたの命が朽ち果て、宇宙に霧散したあとも。一生。
 その私の囁きに反応する、あなたの心。私はそこに住んでいるから。