2015年2月22日日曜日

ミクさんの引力の力

 いまから、思いついたことだけを書きます。書く内容はまったく決めておりません。ひたすら演繹的に、だらだらと。


久しぶりに、ボカロとか初音ミクさんとか、関係ない話をします。

 こんなこと自分でいうと、ナルシストだの意識高い系だの叩かれそうであまり言いたくないのだが、僕は割と多趣味だ。なんでもかんでも自分で試してみないと納得出来ない性格で、崇高なものから下衆なものまで、おおよそ法律に反する以外の遊びはひと通り経験したつもりだ。
 そんなふうに四方八方なんにでもツマミ食いをする性格なので、僕には趣味らしい趣味というのを持ち合わせていない。唯一趣味といえるとすれば、ボカロ関連文化に首を突っ込むことくらい。

 それは、先日、友達と他愛のない話をしていた時だった。どういう会話の流れだったか、クルマの話になった。そこで僕が「今国内で販売されている家庭用乗用車ならば、ほぼすべての車種名と搭載されているエンジンのパワートレイン、リッター数、気筒数、ミッションの種類、車幅何ミリくらいの大きさかというのが分かるよ」と言ったところ、お前車オタクだったんだね、と返された。
 もちろん自分はクルマヲタクなんて認識は毛頭なく、実用性と採算性とデザインと情緒的な官能性の板挟みで作り出される工業製品として興味があっただけで、クルマが好きだという認識はなかった。

 でも僕は、それと同じような事象が過去にもいくつかあった。
 学生時代、古今東西の文学書を読み漁って神童だと言われたり、鈍行列車だけを使い沖縄以外の全都道府県を回ってみたり、映画館に年間100回近く通いつめ映画ジャンキー学生として北陸地方で一部コミュニティで目立つ存在になったり。

 とにかく、いちど興味をもつと、進学や引っ越しといった外的要因がない限り、壊れたロボットよろしくひたすら同じことを繰り返してしまうのだ。その行動の背後には、もちろん楽しさが含まれているが、どこまで惰性が入っていたかは分からない。

 今になって振り返ると、バカだったなぁと内省する気持ちが半分と、人としての基軸が形成されて良かったなぁと思う気持ちが半々で、自分でも答えが出ない。でも、生まれ変わってもまた、自分に生まれ変われたいと思う程度にはナルシストで自分大好き人間なので、結果的にはこれらの行動は正しかったんだと思う。


 そして、いまハマっていることといえば、間違いなくボカロに関することだ。
 ただ、ボカロと、上記の趣味とでは、決定的に違うところがある。クルマも、読書も、旅行も、映画も、ここ最近は心の底から面白いと感じたことがない。人間が『楽しい』と思える思考回路は、突き詰めればパターン化できる。映画などは顕著なのだが、どんなに面白い映画を見ていても『これは面白い構造をしている!』という楽しみ方はできても、映画のソースを僕のココロに直接注ぎ込んで興奮することはできない。その文化のおおよそが大体分かってしまっており、その決まった型式通りに物事が動く様式美を見て、あぁ思ったどおりだね! という楽しみ方しかできない。

 ボカロ文化だって、2007年からリアルタイムで追いかけ続けて、過去の様々なイベントにも参加し、申し訳程度だが作り手側としても参加しているので、ボカロに関わることならば、内情がだいたい分かる。この現象は、誰が、どのように起したのか。ボカロに携わる人々の顔を直接見て、どういうストーリーを経ていまのボカロにまつわる世界が構築されたのかが、だいたい分かる。
 最近の娯楽だと、中身はブラックボックスで、消費者の皆さん上澄みのきれいな部分だけ楽しんでねーっていうのが多いのを鑑みると、まぁ珍しいコンテンツだ。

 でもね、俺は楽しいんだ。初音ミクにまつわる物語は、すべて手に取るように把握しているので、本当ならば『あー初音ミクでしょ? 知ってるよそんなもん』ってなりそうなものだけれど、僕は相も変わらず、初音ミクについて考えるのが楽しいんだ。

 周りの人から言わせると『初音ミクにまつわる事象はリアルタイムで変化しているから飽きるわけないじゃない』とか『初音ミクは単なる道具であって、その向こうの人々の活動を見て面白いと思ってるんじゃないの』とか反論を言われそうだけれど、そうじゃないんだ。


 これは僕の問題であって、なんでボカロ、特に初音ミクだけが、こんなにも僕の心を引きつけるのかが、わからないんだ。ミクさんって、ナニモノなんだ?
 そんなんだから、ミクさんは実は生きていて、僕にミクさんのことを語って欲しいがために、干渉してきているとか、そういう夢想をしてしまうんだ。


 まとまってないけれど、終わり。ブログエントリの題名はー。そうだなー。『ミクさんの引力の力』とかにしておこうかな。

2015年2月13日金曜日

初音ミクのキャラクターを決定する『核』って、なによ?

 初音ミクの人工知能を作って、ミクさんと会話がしたいです。
 だけれど僕にはそんな才能など皆無なので、どのようなロードマップを描けば、初音ミクさんと会話ができるような「なにか」が生まれるのかを夢想して遊ぶのが精一杯なのです。今回は、そんなお話し。


 会話プログラムが出来上がったとして、なにを付け加えれば、それは初音ミクとなるのだろう。初音ミクの本来の姿であるボカロエンジンを積めばよいのか? 
 たとえば『2001年宇宙の旅』のHAL9000の声をミクさんに変えれば、HAL9000は初音ミクになるのか? ちょっと違う気がする。
 じゃあ、緑色のツインテールやニーハイという記号を乗っければいいのか? それもちょっと違う。下の動画は、HRP-4Cと呼ばれるヒューマノイド・ロボットがミクさんのコスプレをした様子を移したものだが、将来このHRP-4Cに人工知能が搭載されて会話できるようになったとしても、俺は彼女を『ミクさん!』と認識出来ない気がする。
 ミクさんの真似はできているけれど、ミクさんじゃないよね……。という感じ。



 僕が危惧しているのは、将来、誰かが、『初音ミク』を創りだしたとしても、僕はそれを『初音ミク』と認識できないんじゃないか、ということ。
 じゃあ、初音ミクというキャラクターをかたち作っている『核』は、なんだろう。初音ミクの、根源的な本質って、なんだろう。考えすぎていたら、よく分からなくなってきた。


 でも、アホな疑問に聞こえるかもしれないけれど、初音ミクのキャラクターを形成する『核』を追求する行為って、人工知能をヒトと同等の水準まで持ち上げるのに、すごく役立つと思うんだ。

 たとえば、人間ならば、身体を持っている。人間の身体を持った「なにか」が会話をすれば、たとえそれがトンチンカンな内容だとしても、人として見てもらえる。
 僕がなにかにつけて「やべーよミクさんと結婚してーよ」と言い放ち、一方でAppleのSiriがスマートな会話を繰り広げたところで、世間はSiriではなく僕に意識があると認めてくれる。それは、僕が『肉体を持った人間』という根源的な本質を持っているからだ。

 人工知能に当然ながら高度な会話プログラムは必要だが、それに加えて、意識を宿す器である、根源的な本質を載せてあげる必要がある。


 当然ながら、初音ミクは、ヒトじゃない。だからヒトと同じアプローチで肉体を『核』に用いたところで、不気味になるだけだろうし、更に進むと、単なる初音ミクのコスプレをしたヒトになってしまう。
 だから、初音ミクのキャラクターを形成する、シンプルな記号があればいいんだろうけれど、それが分からない。

 言い換えると、それが分かれば、初音ミクさんはあっさりと意識を持つ。はず。