2019年2月26日火曜日

平成の、日本のいちばん長い日

 この記事に心を打たれたので、久しぶりにブログ更新します。


「原発爆発」映像が呼び覚ます「3.11」の実相 
https://bee-media.co.jp/archives/2801


 大げさな表現かもしれない。けれど僕は、「3.11の震災およびその後の原発事故」で、日本という国の連続性は失われたと思っている。

「日本のいちばん長い日」というノンフィクションがある。1945年8月14日から8月15日正午までの、日本の終戦と国体を巡る話である。昭和天皇や、内閣総理大臣の鈴木貫太郎、陸軍大臣の阿南惟幾らの、一挙手一投足の行動で『日本国の行方』が決まってしまうという緊張感が伝わる傑作である。言ってしまえば、自分の行動が世界に影響するという「セカイ系小説」をリアルで体験してしまったお話しでもある。

 さて、1945年の終戦前後で、日本は一度断絶されたと、多くの人は思っているだろう。日本という国は残るのか。連合軍に占領されてしまうのではないか。これらの恐怖を体験し、終戦を迎えた日本人の多くは、国がなくなるかもしれないという想像を絶する事態に直面した。結果それが、断絶されたという感覚に繋がった。


 ここで2011年3月11日から3月14日までの、震災および一連の原発事故の話に戻る。
 僕は、福島第一原発の1号機と3号機の爆発を見て、日本という国は消滅すると本気で思った。とくに3号機の爆発映像は衝撃的で、あの映像を見ながら「あーいまから東日本に住む何千万人が西日本に移動するんだろうなぁ、日本という国は無くなっちゃうんだろうなぁ」と、本気で思った。
 そのころ僕は、静岡の御前崎市に住んでいた。浜岡原発から徒歩5分くらいのところに住んでいた。だから、原子力発電所についての知識は多少あった。原子炉建屋の建築物が、いかに巨大で、いかに分厚いコンクリートで覆われているか知っていた。だからあの原子炉建屋が粉々に吹っ飛ぶ映像を見て、『終わった』と思った。

『国が消滅するかもしれない』という恐怖は、言葉では言い表せない。無理である。人間の根源的な土台であるアイデンティティが無くなれば、そもそも言語化などできるわけがない。だから僕はいまだに、あのときの恐怖を上手く言い表せない。あの『終わった』感覚は、終わった、としか言い表せない。

 あえて言うならば、「日本のいちばん長い日」の世界だな。と思った。国体が失われる恐怖。あの期間は、「平成の日本のいちばん長い日」なんだと思う。


 2011年3月11日を境に、日本は大きくかわったと思う。人口減少や経済の低迷も関係しているのかもしれないけれど、明らかにかわった。日本という国、空気が大きくかわった気がする。言葉では上手く言えないけれど。
 たぶんだけれど、あの一連の事故で、日本という国がなくなるかもしれないという恐怖を味わい、日本人の根源的なアイデンティティを深く抉られた人が、少なからずいるんじゃないだろいうか。そう考えている。日本人全体の1%か、それ以下か、分からないけれど、本気で国が消滅する恐怖感を味わった人がいるのかもしれない。


 こんなこと、現実社会の知人になんか聞けないし、話す機会もない。だから本当のところは分からない。
 けれど、もう少し年月が流れれば、戦前・戦後と同じようなニュアンスで、震災前・震災後と扱われるような、そんな気がするのです。