2014年10月27日月曜日

『ボーカロイドオペラ 葵上 with 文楽人形』をみて、思ったこととか、いろいろ。




 去る2014年10月24日、DIGITAL CONTENT EXPO 2014にて『ボーカロイドオペラ 葵上 with 文楽人形』が上映されました。そちらに参加して、思ったことなど。


 初めに言っておきますと、僕は本当に学も何もない下賤の民です。うんこまんです。文楽人形と書こうとして「ぶんがくにんぎょう」と打ち込んで、何で漢字変換できないんだろうと悩むくらいアホです。それを踏まえたうえで、あぁ底辺の人間がなんか言ってるなーくらいに捉えていただければと。

 ストーリーはこんな感じです。自分で書いて誤解されても困るので、ホームページに載っている文章を貼り付けます。

作曲家「ヒカル」と共に活動する人気歌手「アオイ」に起こった奇妙な一夜の物語。
アオイが事故にあったと聞いて病院に駆けつけたアオイの「マネージャー」。
マネージャーが病室で出会ったのは「精神科医」と、アオイと全く異なる人格「ミドリ」でした。
ミドリとはかつて一世を風靡したボーカロイド。
人々や作曲家から忘れ去られたミドリがアオイにとり憑いたのか?
それともアオイの葛藤が生み出した多重人格なのか…


http://www.opera-aoi.com/


 作品を観るまでは、上記のストーリーは何かの比喩的表現で、実際はもっと文楽っぽいものを想像しておりました。文楽っぽいものって、自分でもよくわからないのだけれど、あえて言うなら「文楽」というフォーマットにのっとって作品が作られているのかと思ったのです。

 で、実際に観ると、もうそのままだ。実に分かりやすい。直球だ。あまりこういう言葉を使いたくないけれど、安っぽい。現代劇って、こういうことなのだろうか。

 これはもう本当に評価が難しい。ひょっとすると、原典の能を知っていると、表面には見えない物語が隠されているのだろうか。そして、そういった予備知識があれば、もっと深い物語が見えてくるのだろうか。そう疑いたくなるし、皆が絶賛しているところをみると、俺みたいな学が無い人間では理解できない作品なのだきっと。

 だってだって、僕は信じられなかったのだ。文楽を観に来たのに、もてないボカロPが女の体を知っちゃって歌い手に傾倒しあげく女の歌い手がミクさんに発狂して狂って治りました終わり! なんて物語を観せられるとは思わなかったのだ。文楽を観に来たのに!

 ミクさんが葵にとりついたのか、葵がボカロPの愛を信じられなくなって狂ったのか、なんて議論はどうでもいい。どちらであっても僕の評価は変わらない。
 なんでこんな「わかりやすい」ストーリーにしちゃったのかな。
 あと、音楽。初めの5分くらいは、古風な雰囲気を残したデジタルミュージックに酔いしれていたが、それが延々30分続くとは思いませんでした。


 全然関係ない話をします。
 僕は映画が大好きです。学生時代は、年間100回ほど映画館に通っていました。社会人になって映画館に通う回数は減りましたが、それでも年間50~100作品はコンスタントに見続けています。

 映画好きを語ると、よく「好きな映画はなんですか?」とか「最近観た映画で面白いものはなんですか?」とか聞かれるのですが、いつも返事に窮します。これだけ映画を観ていると、ほぼすべての映画が工業製品のひとつに見えるのです。どれも同じ骨格、同じ枠、似たような作品ばかり。
 でもそれは当り前で、いくら作品といえど、商業でやっている以上は、ある程度システマティックに作らざるを得ないのは百も承知です。

 そこそこ映画を観てきた僕ですが、いまだに脳裏にこびりついて離れない作品があります。『埋もれ木』という作品です。興味のある人はググってみてください。あまりに実験的な作品で、映画というよりも、崇高な現代美術館で上映されていそうな、そんな映画です。
 この映画のすごいところは、あまりに美しい映像と、あまりに空っぽな内容があいまって、上映中に熟睡してしまったことです。
 僕は基本、貧乏性なので、映画館ではぜったいに寝ません。お金もったいないから。その僕が、あまりのつまらなさに眠ったのです。その事実があまりにショックで、結局はもう一度映画館に通うことになるのですが、やはり2回目も、苦痛を通り過ぎて軽くトランス状態に入るほどのつまらなさでした。

 でも、いまになって振り返ると、いままで何百本という作品を観てきた中で、細部まで詳細に覚えているのは10年前に観たきりの、この『埋もれ木』という映画なのです。
 この事実が、僕にいつも問いかけるのです。本当にすばらしい作品というのは、一般的にいう「面白い」作品なのだろうか。それとも、万人が口をそろえてつまらないというが、脳裏にこびりついて離れない作品なのだろうか。

 僕は、後者だと考えています。


 ボーカロイドオペラも、どうしてこうなってしまったのか、なんとなく想像はつきます。
 未知のメディアに作品をのっけるにあたり、議論した結果、無難な内容になったのだと思います。でもそれって、どうなんでしょう。

 この作品は、本当に評価が難しいのです。普段、映像作品をあまり見ない方は、面白かったのではないでしょうか。目新しいし、映像も音楽も終始テンション高いし、なによりボカロ補正が入っているし。
 でも、普段からいろいろな作品に接している方や、ボーカロイドオペラを世に広めているイノベータやアーリーアダプタと呼ばれる人たちは、本当に面白かったのでしょうかね。でも、その方々もわかってはいるのだと思います。たとえ面白くなくても、影響力を持つ自分たちが「面白い!」と言わないと、せっかく新しく生まれたコンテンツが育たないということを。だから「つまらない」という声はかき消されて、「面白い」と価値を持つ意見が目立つのかなぁと。

 遠回りしすぎました。
 はっきり言います。つまんなかったです。でもそれは、僕の学のなさや、波長の合わなさに起因しています。フォーマットとしては面白いし、面白くなっていく下地はあると思います。


 それにしても、製作者陣は、「人形浄瑠璃と人間の関係・ボーカロイドと人間の関係」このあたりを良く理解しているはずなのに、どうしてこんなんなっちゃったんだろう。よくわかりませんでした。それでも、僕がこんな文章を書くくらいの感情の起伏は与えてくれたので、何かが伝わってくる作品ではありました。一度は観てみることをお勧めします。