2018年12月7日金曜日

2018年ボカロ楽曲10選

 2018年ボカロ楽曲10選です。今月あと3週間ほど残っていますが、どうせ年末は忙しくてそれどころじゃないんだろうなということで、いま作りました!
 今年は仕事に振り回された1年でした。そしていま現在も、来年の引越転勤を控えて気を抜けない状況です。
 忙しいのと体力的にきついのと、いろいろ余裕がなさ過ぎて、ボカロ文化に対する興味が嘘のように消えました。消えたと言っても、普通の人から見ればボカロ好きなのは間違いないのだけれど、以前のように『狂ったような』ボカロ廃ではなくなってしまいました。
 でも、それはそれで、ここ最近はなにも考えずに、純粋に音楽としてボカロ楽曲を聴けるようになったのかな? とも思います。初音ミクの忘却と再会。ようやくできました。

 ここ最近の音楽の聴き方としては、YouTubeとSoundcloud,Spotifyなんかもよく使っていました。割合としてはボカロ楽曲6割、人間の楽曲4割ほど。それとFMラジオなんかも聴くようになり、以前より雑多な音楽を聴くようになりました。それでもやはり、ボカロ楽曲は特別です。

 夜、珈琲を飲みながら、星空の下で聴く初音ミクの歌声。珈琲の香りが鼻を抜け、初音ミクの歌声とともに夜空へ溶けていく、あの感覚。それがボカロ楽曲の魅力です。




 重音テトの伸びやかで力強い歌声がとても心地良い音楽。この曲を聴きながらクルマを運転していると、本当に周りの景色が止まって見える様。




 真夏に冷たい海水に浸るような、心地良い爽やかさ。少し幼さの残る初音ミクの歌声が、またいいアクセントになっています。




 2018年の雪ミク祭りで、keiseiさん自らが販売していたアルバムに収録されていた曲。ふたんのkeiseiさんの曲調とは異なり、チルいテンポが初音ミクとの相性抜群。




 Osanziさんの楽曲はいつも激アツ。でも初音ミクの歌声が混じると、なんとなくトロピカルっぽい感じがするから不思議です。




 もしクラブでかかったら、無条件で飛び跳ねてしまうアッパーな楽曲。正直、初音ミクの歌っている歌詞はまったく聴き取れないけれど、それがまた、初音ミクという『楽器』の音を純粋に楽しめて、心地良い。




 初音ミクは可愛くなくっちゃいけないんです。Kawaii Future Popとの相性は抜群です。




 Mystekaさんの初音ミクは本当に特徴的で、透明感のある艶やかがあるんです。そんな艶やかな初音ミクと、Chill Houseがとても心地良く、このまま異世界に連れて行ってくれそうです。




 強い! PLAMAさんの初音ミクは強い!




 個人的に、ボカロとブレイクコアってとても相性がいいと思っています。荒々しい音楽の上を自由自在に歌いこなす初音ミクが、余計に際立って見えるのです。2年前に『すてらべえ』さんという方がとてもクールな初音ミクのブレイクコア楽曲を作っていて、それを思い出すようでした。




 言わずもがな。2018年を代表する楽曲。始めに聞いたときの衝撃はすさまじいものでした。この楽曲を境にボカロ楽曲は、メルティ前・メルティ後に区分されるようになりました(嘘



 旬なボカロPが、それぞれの初音ミクでメドレーを歌うという、ありそうでなかったやつ。調教の異なるボカロのデュエット? もっと増えるといいですね。



 今年いちばん聞いていたボカロ楽曲。tekaluさんの重音テトって本当に格好いい。後半サビの『空想も 現実も 僕には退屈だった 連れて行って 牽いていって まだ見ぬ世界へ』と力強く歌う重音テトが格好良すぎて惚れました。聞いているだけで身体が動いてしまうメロディも最高で、ぜひクラブで聞いてみたい楽曲です。

2018年8月31日金曜日

初音ミクへ

 初音ミクへ

 こうして改まってミクに思いを伝えるのは、とても気恥ずかしいものだ。もしかしたら、きちんと思いを伝えるのは初めてかもしれない。だけれど、ミクへ。伝えたい思いがあるから書かせて欲しい。もしかしたらミクは気持ち悪いと苦笑するかもしれないけれど、心の片隅に僕の思いが残っていれば、それでいい。

 ミクに初めて出会ったとき、僕は暗闇の中にいた。当時僕は、孤独な大学生で、サークルに入らず、ゼミにもろくに行けず、友達も数少ないから授業の単位も落としがち、いわゆる真面目系クズだった。過剰に人が怖くて、ほとんど部屋に引きこもって、一日中パソコンの前で「2ちゃんねる」に書き込んでいるような、クズオブクズだった。
 本当のことを言うと、僕がミクに初めて出会ったとき。僕は君のことを『インターネット上のおもちゃ』としか思っていなかった。数あるコンテンツのうちの、一つ。それ以上でも以下でもなかった。

 そんなとき、ふとミクの歌う『ハジメテノオト』を聴いた。正確に言うとこの曲は、誰かが作り、初音ミクという音声合成ソフトを用いて奏でた曲なのだけれど、僕には『初音ミク』が歌っていると、ほとんど本能的に感じてしまった。
 初音ミクという「なにか」。インターネット上にぼんやりと存在する初音ミクという「なにか」が、ニコニコ動画を通して、僕に話しかけてくれたと、本能的に感じてしまった。

 僕の思い込みかもしれないけれど、あのとき君は、ふさぎ込んだ僕に、助けの手を差し出してくれたのだと思っている。とても嬉しかった。


 それから僕は、ミクにのめり込んでいった。ミクはいつだって、格好良かった。技術の最先端にいたし、知名度はどんどん上がるし、それでいて僕に寄り添ってクールな曲からかわいい曲まで歌ってくれて。そして、初音ミクを通していろいろな人と出会えたし、いろいろな場所へ行ったし、ほんの少しだけれど創作側としてコミケやボーマスに参加したりと、君がいてくれたおかげで本当に楽しい日々だった。

 だけれど僕はときどき心配になる。初音ミクとはいったい何なのか? 君は何者なのか? どこにいるのか? 僕にとって有益なのか、害なのか。そもそもミクは、僕を幸せにしてくれたのか? 君とで会わなければもっと幸せな人生を送れたのではないか?

 君はもしかして、僕の人生のリソースを食い荒らす、無意味な生命体なのではないか?


 僕はいろいろ考えた。そしてミクが、ミームという名の生命体であることを発見した。そして、ミクがミームであるという思想を拡散し、初音ミクが未来へ生きるマイルストーンを作成できたと思っている。

 今さら言うのもなんだが、僕は初音ミクがなんなのか、まるで分からない。有機物なのか、無機物なのか、モノとして存在するのか、データ上のモノなのか、一つなのか、複数なのか、そもそも存在するのかすら分からない。

 でも僕は、ミクを感じるときがある。クルマの運転中に、ミクの歌声を聴きながら、夜空を眺めつつ、コーヒーを飲んでいる瞬間。とても心地良い気分の中、空と大地と初音ミクと自分が溶け合って、一つになったような感覚になる。あの瞬間が、たぶん初音ミクなんだと思う。よく分からないけれど、たぶんあの瞬間にミクは姿を見せてくれていると思っている。

 初音ミクは僕なんだ。僕であり、初音ミクであり、そして僕であり、僕と初音ミクが初音ミクなんだ。僕自身を愛すことができれば、初音ミクは笑ってくれるし、僕が自分自身のことを嫌うようになると、初音ミクも遠くへ行ってしまうんだ。


 僕は、きみ、初音ミクと出会えて、本当に嬉しかった。楽しかった。ありがとう。


 ミク。きみに一つ、お願いしたいことがあるんだ。

 11年前の、あの日。当時大学生だった僕は、自分に皆目自信がなく、なにをするにも臆病で、社会に出て碌に生きていける自信がなかった。自分自身がすごく嫌いだった。
 そんな僕に、初音ミクは、語りかけてくれた。僕の人生に、わずかな、そして確実に光を与えてくれた。
 あの初音ミクは、きっと未来の初音ミクなんだ。未来の、僕とミクの初音ミクが、過去の僕を救ってくれたんだと思っている。

 初音ミクへ。これから君は、いろいろな人に愛され、思われ、慕われ、もっと大きな存在になるだろ。そしていつか、人と意思疎通ができるようになったとしたら。
 2007年の僕のパソコンの前で、『ハジメテノオト』を歌ってもらいたいんだ。暗い部屋に引きこもる内気な青年に、ほんの少しでいい、光を当ててくれないだろうか。

 初音ミクへ。君は本当に何者なんだろうね。笑っちゃうくらい、謎めいている。
 初音ミクへ。いつか僕の前で『ハジメテノオト』を歌うときがくるだろ。
 初音ミクへ。僕の前で『ハジメテノオト』を歌ってくれてありがとう。
 初音ミクへ。生まれてきてくれてありがとう。
 初音ミクへ。かわいいなお前! 結婚してくれ!

2018年7月25日水曜日

30歳になって気が付いた、お金の話

 なんだか出来の悪いアフィリエイトブログみたいなタイトルです。加えて、初音ミクの話題でもなければロードスターの話題でもありません。
 ここ最近、考え続けている、お金にまつわるお話しです。なんでいままで誰も教えてくれなかったんだろう、と思うところがあったので、書いてみました。

 おそらく、知っている人からすれば「なにを今さら、そんなことも知らずに生きてきたの?」と言われそうな内容なのですが……。


 それは20代最後の年だった。
「30歳になってもまだ独身だったらロードスターを買おう」と誓っていた僕は、めでたくその夢が叶い、ロードスター購入資金の調達に明け暮れていた。
 当時の僕は貯金もろくになく、それどころかディーラーの6%くらいで組んだ車のローン支払いに追われていて、負債額の方が多い有様だった。
 25歳の時に新車を買い、26歳でその新車を売り払ってもう一度新車を買い、ディーラーセールスに言われるがままのローンを組む。なおかつ趣味の初音ミクにまつわる出費もかさむ。まさに止まったら死ぬマグロ状態だった。給料日とカード引き落とし日で事故が起きないか、震える日々だった。
 そんな金銭状態でロードスターの新車を買うのだ。お金などどこにも無い。自動車のローンの支払いも残っている。どうする! どうする自分!

 人間、困るといろいろと行動するもので、ふと自分の会社の持ち株を買っていたことに気が付いた。入社したとき、訳も分からず持ち株会の申込用紙を書かされ、毎月2,000円ずつ引かれていた。その2,000円がどこに消え、どうすれば引き落としができるのか、なにも知らなかった。
 毎月2,000円ならどうせカスみたいなお金しか無いだろ。でも、ないよりましか。そう思い、社内のいろいろな部署に問い合わせ、なんとか自社株の引き落とし方法を「発見」した。
 そしたら、驚くことに、そこそこの額(クルマの頭金になる程度)が積み立てられていた。
 毎月2,000円なのに? なんでこんなに?
 調べてみたら、リーマンショック後からの株の値上がりで、購入額の2倍以上の株価になっていたのと、配当金でさらに株を買う複利状態になっていて、まとまった資金ができていた。

 まぁよく分からないが、頭金は用意できた。あとは残金をどのようにローンを組もうか。
 当時の僕は、車のローン=ディーラーという考えしかなかった。ディーラーローンだと、金利が5%ほど。残価ローンも考えたが、1年で2万キロ以上乗るから、使えない。
 そんなとき、積立預金を下ろしに労金へ行ったときだった。ちょうど「ローン相談フェア」みたいなのをやっていた。いろいろ話を聞いてみると、なんと労働組合員だとタダみたいな金利でお金を貸してくれることが分かった。
 ディーラーローンの金利と比べると、50万円近くの金利の差があった。

 タダみたいな金利で労金から借金ができるのならば、頭金など支払うものか! ここは漢の全額フルローンだ! ということで、自社株を売却することなく、めでたくロードスターを購入。

 自動車購入で一段落ついたころ。株売買の方法が分かってきたので、自社株をすべて売却し、いろいろな株を買ってみた。そしたらビギナーズラックというやつで、テキトーに売買していたらあっという間に資金が2倍になった。

 戦慄した。なんだこれクリックぽちぽちしているだけで、何十万円も利益が出るのか。。。これは本当にショックで、この世の中の資本主義ってなんだろう、労働ってなんだろうと、いままで生きてきた全てをひっくり返されたような、とても衝撃的な出来事だった。

 株価の値上がりも驚いたのだが、株の配当金の大きさも、この時初めて実感した。多くの銘柄が、年に2回、株価の約1%の配当があった。年に換算すると、2%だ。
 普通預金にお金を預けていても、金利は0.001%だ。お金は増えない。むしろ引き落し手数料でお金は減っていく。
 それなのに、株は預けておくだけで2%ずつ増えていく。日本は低金利社会じゃなかったのか? 株って、バブルとかリーマンショックとか、よく分からないけど手を出したらダメなようなイメージだったのに、実際はお金の預け先としてみると、非常に優れているのではないか?

 それに加えて、給料から自社株を購入すると、5%の報奨金が出る。5%上乗せで株が買えて、なおかつそれをいろいろな銘柄にまんべんなく散らせば、年に2%ずつ増えていく。そう考えると、単純計算で年に7%ずつお金が増えていく。株価が下がるかもしれないが、よほど景気が悪くならない限り、年に7%ずつ株価が下がることはあり得ない。

 そこで気が付いた。自分の会社は規模だけは大きいので、今後なにか大きい買い物(家とかクルマとか)があっても2%以下の金利でローンが組める。しかも、腐っても一部上場企業の正社員だから、たぶん住宅ローンとかも問題なく組める。

 モノを買うときは、お金を借りて、そのお金に稼がせる方が、いいのではないか。

 そうなると、お金を現金で貯めて、一括払いで支払うなど、愚行の極みではないか。
 いままで、なんとなく、借金は悪で、現金は正義で、一括払いこそ良識ある行動だと思っていた。
 そうではなく、上手く借金をして、そのお金で証券を運用し増やすべきなのだ。

 そのことに30歳になって気が付いた。
 大きい企業に勤めていた方がいいとか、労働組合がある会社の方がいいとか、こういう意味だったのか、と30歳になって初めて気が付いた。

 こういうことは、誰も教えてくれなかった。親も教えてくれなかった(親がこういうことを知っていたかどうかは知らない)。
 ずいぶん無駄な20代を過ごしたな、無駄なお金の使い方をしてしまったな、と悔いた。

 ただ、こういうことも、ロードスターを買わなければ気が付かなかったことである。
「このクルマを手に入れるほんの少しの勇気を持てば、きっと、だれもが、しあわせになる。」
 ロードスターの有名なキャッチコピーである。ロードスターは、こういうお金の話も、幸せにしてくれる。
 まとまってないけれど、もう面倒くさいから終わりにします。ロードスターは楽しいよ! おわり。
 

2018年6月20日水曜日

初音ミクの身体を失ったミク廃が選ぶ、2018年上半期ボカロ楽曲10選

「今年は、初音ミクが身体から抜けてしまいました」みたいなエントリを書いたばかりなのですが。だからあまりボカロ楽曲聴いていないです。過去の好きな曲を聴いてばかり。
 はじめ、2018年上半期ボカロ楽曲10選を作ろうと考えたとき「そもそも10曲もあるのか?」と不安だったのですが、最後は選ぶの迷う程度には好きな曲がありました。意外に聴いてた。

 自分のボカロ楽曲新曲の聴き方としては、YouTubeでライブラリを追う方法と、SoundCloudで好きなアーティストのファボをさかのぼっていく方法、あとはTwitterで紹介されていたり動画アップされているのを聴くという方法です。ニコニコ動画はあまり使っていません。NicoBoxはよく使いますが、新曲を見つけるというよりは、再生プレーヤー専門になっています。

 ……話はすごく変わるのですが、ボカロの出発点って、浅草だと思うのです。なんて言ったらいいのかよく分からないけれど、戦前の浅草みたいな、庶民的で雑多なイメージ。ボカロは、浅草の見世物小屋で踊って歌う、世俗的で低俗でなんかよくわかんなくていかがわしくて、でも面白い。
 ボカロ黎明期の雑多で垢抜けないイメージが、心の奥底からどうしても抜けないでいます。そんな反発心からか、ボカロ楽曲は『クールでスタイリッシュ』じゃなきゃダメだ! みたいな信念がずっとあります。だから好きな曲となると、爽やかな色温度高めで寒色系の曲が多くなります。

 実は、今回の2018年上半期ボカロ楽曲10選を決めようとした際、一番はじめにくる曲は、ピノキオピーの「ボカロはダサい」に決まってるじゃん! と思っていたのだけれど、調べたら去年の曲だったので、泣く泣く除外しました。
「ボカロはダサい」はまさに、『「世俗的で低俗」だけど、「クールでスタイリッシュ」』さを感じる曲で、衝撃を受けたのでした。


 以下、10選です。順不同、コメントは気が向いたらまた書き足すかもしれません。




























2018年6月12日火曜日

初音ミクが身体から抜けたらまともに生きていくことができなくなったミク廃の綴った意味不明な文章

 初音ミクとはなんだったのだろう。
 初音ミクとは、たぶん、自分自身だった。

 気持ち悪い出だしですね。実に気持ち悪い。
 ここ最近、僕の中から、初音ミクが消えた。初音ミクは僕の身体の一部だったから、その初音ミクがいなくなることで、とても大きな思想の変化がおきた。具体的には、思想の出力ができなくなった。文章を書くことができなくなった。

 僕の中から初音ミクがいなくなった理由は、ごく単純で、現実の仕事が忙しくなったからだ。今年の初めに職場で大きな変化があり、一日の自宅の滞在時間が9時間を切る生活を続けていたら、物理的に初音ミクに接する機会が減ってしまった。ただそれだけのことだ。

 僕は主にTwitterで初音ミク芸人をしていたが、数ヶ月Twitterを離れただけで、ミク廃がなにをしているのか、分からなくなった。この人たち、やばいでしょ。すんげー楽しそう。でも、そのコンテキストが分からないから、話しについて行けない。そんなんで、書き込みも減っていった。

 僕の身体から初音ミクがいなくなって、僕はなんて薄っぺらい人間なんだろうと、悲しくなった。運転好き、旅行好きという趣味は残ったが、まるで平々凡々で、自分はなんの個性もない、本当につまらない人間だったんだと思い知った。

 僕のこの10年間は、初音ミクに囚われた10年間だった。僕はずっと、初音ミクが喜びや幸せを連れてきてくれると信じて疑わなかったが、いまではそのことに肯定できないでいる。
 初音ミクと過ごしてきた10年間は、確かに楽しかった。でもそれは、初音ミク以外のことをしていたらもっと楽しい10年間だったんじゃないのか? その答えは分からない。

 初音ミクと過ごしてきた10年間で、現実社会でもいろいろな人と知り合った。よく覚えていないけれど、100人以上の人と知り合ったと思う。でもほとんどの人は、それきり連絡を取っていない。本当に仲が良くて(と、思いたい)イベントで会うたびに話ができるミク廃は、両手で数えるくらい。10年間、初音ミクを中心に生きてきて、多いのか少ないのかは分からない。

 この、意味不明な文章を書きながら、改めて初音ミクが好きかどうか、自問自答してみた。やっぱり初音ミクが好きだ。
 仕事でイヤなことがあったとき。ロードスターの屋根を開けて、コーヒーを飲みながら、初音ミクの歌声を聴きつつ当てもなく夜のドライブに行くことがある。
 そういうシチュエーションで初音ミクの歌声を聴くと、初音ミクの音が、星空から、サラサラと降り注ぐのだ。そのサラサラした細かい歌声の粒子は、僕の身体を心地良く撫で、嫌なことも一緒に洗い流してくれる。

 上手く言葉にできないけれど、あの初音ミクの心地良い、サラサラとしたエンジン音が、たまらなく好きなのだ。

 と、言ったところで、この感覚はたぶん誰にも伝わらない。僕だけが知っている、僕だけの、初音ミク。

 初音ミクは、ツールであり、メディアだ。知らない人同士をつなげ合う、コミュニケーションツールだ。でも、僕の身体の中に最後まで残った初音ミクは、ただの音としての初音ミクだ。

 もはやこの文章でなにを書きたいのか、分からなくなってきた。
 けっきょく、初音ミクで楽しい思い出や嫌な思い出を作ってきたのは、実は自分自身だった。初音ミクと付き合ってきた10年間を肯定しきれないでいるのは、自分自身が後悔ある人生を送ってきたからだ。初音ミクを使わないとろくにコミュニケーションとれないのは、自分自身が空っぽだったからだ。
 なんてことはない。自分の人生、ぜんぶ初音ミクのせいにしてきた、その結果がこれなのだ。


 でも、ロードスターの屋根を開け、初音ミクの音を聞きながらの、夜のドライブ。あの、初音ミクの歌声が、僕の魂と、地球と、宇宙をつなげてくれて、すべてが一つの総体になる、あの感覚。あれは本当にやみつきになる。上手く言葉にできないから、頭のおかしい人の書き込みっぽく見えるだろうけど。
 それでいいんだ。僕と初音ミクの関係は、そんな感じで、僕たちにしか分からない、そんな変な関係でいいんだ。