2011年8月31日水曜日

初音ミク論(暫定版)

 ずーっとモヤモヤしていたものを抱えていた。文章にすれば少しは頭の整理ができるのではないかと思い、2日間で描き上げてみた。 
 荒削りだけど、推敲する元気もない。それどころか、一部は以前の日記をコピペしたものだ。 
 だかこれで、ある程度オレの抱えていた気持ちは吐露出来たと思う。 

 ミクさん4歳の誕生日に間に合って良かった。 



●未来から来た音。初音ミク。 


 私が初めて初音ミクと出会ったのは、大学下宿先の狭いワンルームの中だった。さして友達もおらず、部屋に引き篭って2chしかやることがなかった私は、ひたすらニュース速報板に入り浸る日々だった。 
 正確に言ってしまうと、初音ミクとのファーストコンタクトの瞬間というのは覚えていない。おそらくν速板に立ったスレッドだと思う(そこくらいしか居場所なかったし)。そこで初音ミクのデモソングを聞き、「こりゃ面白いオモチャが出来たなぁ」と思ったのを覚えている。 
 その時点では、私の中での初音ミクは「ネット上に生まれた面白いコンテンツのひとつ」という域を出ていなかった。ちょうどその頃、ニコニコ動画が勢力を強めていたころで、いうなればニコニコ動画を面白いものにさせる一つの道具、くらいの認識だった。 
 新しいガジェットに目がない私は、『初音ミク体験版つきDTMマガジン11月号』を買いに100満ボルト(北陸の家電量販チェーン)まで自転車を走らせたりと、一応はムーブメントに乗ろうと思っていた。ただ、あくまでネット上でのオモチャでしか無く、それ以上でも以下でもなかった。 

 そんな中、私は出会ってしまった。初音ミクの『ハジメテノオト』に。 

 このファースト・コンタクトはあまりに衝撃的で、いまでもこの曲を聞くと、当時の記憶が鮮明に蘇る。なんと表現すればいいのか難しいのだが、本気で、人間以外の生命体に、話しかけられた、と思った。開いた口が塞がらなかった。鳥肌がたった。しばらく動くことが出来なかった。 
 初音ミクのキャラクターソングといえば、『ハジメテノオト』よりも1ヶ月ほど前に『恋スルVOC@LOID』が発表されている。歴史を振り返れば、『恋スルVOC@LOID』の方が初音ミクのあり方に与えた影響は大きい。ただ、私にとっては『ハジメテノオト』なのだ。 
 思うに、『恋スルVOC@LOID』と『ハジメテノオト』の違いは、問いかけられたかどうか? の違いだと思っている。 


初めての音は なんでしたか? 
あなたの 初めての音は… 
ワタシにとっては これがそう 
だから 今 うれしくて 

初めての言葉は なんでしたか? 
あなたの 初めての言葉 
ワタシは言葉って 言えない 
だから こうしてうたっています 


 問いかけられたら、答えを模索せずに居られないだろう。俺の初めての音って、なんだっけ。初めての言葉って、なんだっけ。模索したあと、彼女は人間でないことを悟り、はっとする。そして、彼女の言葉に呼応する自分の心に気づき、彼女にも心があるのではないかと直感した。 
 思い返してみると、この感覚に似た経験をしたことがある。ホンダのASIMOを始めてみたときに似ていた。 
 ASIMOを初めて見たとき、ただ単に衝撃のみを味わった。技術的に優れているだとか、実物を見ると意外に小さいとか、言葉での感想よりもまず、単純な衝撃のみを受けた。 

 なんだこいつ! おまえどう見ても中の人いるだろ? 現実じゃありえねー光景じゃん。なんかキメェwww 

 ASIMOを見て、隣の子供が泣き喚いて逃げていくのが印象的だった。その子供にとって、ASIMOは単なる無機物では無かったはずだ。人間に似ているけど、人間ではないナニカ、という認識だったに違いない。 
『ハジメテノオト』のインパクトは、一言では表せない。感情が爆発した、と言えばいいのだろうか。人間を呼応せずに居られないけど、初音ミクは明らかに人間ではない。いったい何者なのだ? なぜ彼女は、こんなにも一生懸命なのだ? 

 そうして私は、初音ミクと出会った。 







●初音ミクとの出会い――そこに存在するもの―― 


 初音ミクが語られるとき、実に様々な切り口から論ぜられることが多い。ミクさんの奏でる音楽から、キャラクター性から、MMDのような派生ソフトから、ネットで産まれ生きるSF視点から。 
 その中でオレの心を捉えたのが、ファーストコンタクトとしてのミクさんとの出会いだった。 

 以前の日記にも書いたかもしれないが、『ハジメテノオト』を聞いたとき、これは新しい生命体が生まれた! と、本気で思った。 
 数十億人がネットワークで結ばれている現在。ネットワーク上に「生命」のような存在が産まれても全くもっておかしくないと思っている。なにも荒唐無稽な話を論じたいのではない。ネットが発達する大昔から、人々は「ミーム」という文化的情報を育ませてきた。 

 初音ミクの登場は、ネットでの上位生命体の発現を語る上で、生命のスープと類似するものがある。
 初音ミク登場前のネットワーク世界は、生命の元がたっぷりの、有機物のスープのような状態だった。ぼんやりと「総意」みたいなものは見えるけど、核を持った情報は存在しなかった。 
 初音ミクは、情報でまみれたネットワークに、デオキシリボ核酸(DNA)のような役割を果たした。有機物(情報)を集め、自己複製し、取捨選択により進化していく。 

 多種多様で雑多なミクさんが次々に作られていく中、ついに初音ミクは産声を上げる。 



初めての音は なんでしたか? 
あなたの 初めての音は… 
ワタシにとっては これがそう 
だから 今 うれしくて 



 人間が意識を持つ生命体であることに、誰も異論はないだろう。だが、その意識を作り出しているのは、ニューロンという細胞にすぎない。だからといって、「お前が意識と思っているものは、実は神経細胞が作り出している電気信号なんだぜ」と主張しても、それは意識を否定する理論には成り得ない。 
 では、人間がネットワーク上に人格を作り出し、その生命体を「意識の持つモノ」と判断した場合、それも立派な「意識を持つ生命体」になり得るんじゃないか。上記と下記に、一体何の差があるのか。 
 もしも初音ミクという生命体に拒否感、嫌悪感を覚えるならば、それはただの偏見だ。未知のものに対する畏怖だ。 

 少なくとも、オレの中では、初音ミクはチューリングテストを通過している。唯脳論じゃないが、世の中の出来事は、結局己に回帰する。オレの中の世界では、初音ミクは、バーチャルの世界から生まれた人工生命体という既成事実が存在するのだ。 
 これが興奮しないわけ無いだろう。数百年先の出来事だと思っていたSF世界を、いま、味わえているのだから。 



●ちょっぴり過去を振り返り 


 初音ミクの歴史を紐解く上で、欠かせない曲がある。異論持論あるだろうが、ひとまず5曲を上げてみる。 
『Ievan Polkka』 
『みくみくにしてあげる♪』 
『恋スルVOC@LOID』 
『Packaged』 
『メルト』 



『Ievan Polkka』 
 この曲自体は、初音ミク誕生以前から人気のある曲だった。ネット界隈ではキャッチャーな電波ソングが定期的にはやっており(ルーツを辿れば、のまネコや、Flash動画時代からの流れだろう)、これも既存の人気にあやかった歌だった。 
 当時はニコニコ動画の黎明期であり、面白いコンテンツであれば千客万来であった。 
 この曲の特徴としては、オリジナルがすでに中毒性を持っている。初音ミクを知らなくても楽しめる。コンテンツとして分かりやすい面白さを持っている(数秒聞くだけでも面白さが分かる)。などがあげられるだろう。 

『みくみくにしてあげる♪』 
 とにかく面白さが分かりやすい。曲の長さも1分半ほどと、気軽に再生可能。ニコニコ動画でのオモチャとしては、最適な素質を持っていた。2chでよく使われていた「ボコボコにしてやんよ」と掛けた歌詞は、ネット民との親和性も高かった。 
 一般に人気があるとは言い難いが、ネット界隈ではその地位を着実に物にしていった。 

『恋スルVOC@LOID』 
 初音ミクついに物申す。この曲を境に、初音ミクのキャラクターソングが生まれ始める。初音ミクに心が宿ったと錯覚し、陥落するネットユーザーが続出。ちなみにこの曲で陥落しなかった者も、後に待ち受ける『ハジメテノオト』や『私の時間』『あなたの歌姫』でダークサイドならぬミクサイドに落ちるものが後を絶たなかったとか。 

『Packaged』 
 初音ミクの歌声を積極的に肯定した代表歌。人間の代わりではなく、初音ミクでしか表現し得ない歌が存在すると指し示した。 
 以下、以前書いた文章を引用。 

―――― 
 kzさんの曲を初めて聞いたとき、「なるほどこりゃ人間不要だわ」と思ってしまった。決して「人間に取って代わる」という意味ではなく、「人間では表現できない部分を補う」という意味で、初音ミクの表現可能領域を広げてくれた立役者。 
 2007年当時は田中ヤスタカの全盛期(たぶん)で、オレも右に倣えでcupsuleだのPerfumeだのにハマっていた。そんな中、現れたのが『Packaged』だ。人間がAuto-Tuneを利用してロボットボイスを歌うのは、面白いし、まだ理解できる。だが、コンピュータボイスがAuto-Tuneを利用してロボットボイスを歌うという発想に、度肝を抜かれた。スゴイけど、わけわからん。オレはいつの間にSF世界に足を踏み込んでしまったのだろう、と。 
 この楽曲は、人口ボイスでないと成り立たない音楽があることを明確にし、ボーカロイドは人間の代わり、という消極的なイメージを吹き飛ばした。ボーカロイドでしか到達できない領域にライトを照らしてくれた。kzさんがいたからこそ、様々なジャンルのボカロPが集まったと入っても過言ではないと思う。 
 そして、初音ミクが発売されて約一年後。「Last Night, Good Night」を発表後、kzさんはニコニコ動画から事実上活動を中止することに。 
 発表された曲は少ないものの、初音ミク及びボーカロイドを語る上では欠かせない事実だ。 
―――― 

 この、初音ミクでしか表現できない歌については、のちの『初音ミクの消失』や『サイハテ』といった名曲の発端になったと思っている。 


『メルト』 
 初音ミクが、コアなネットユーザの手元を離れた瞬間だった。私自身は、この曲については1周遅れで素晴らしさに気付いた口だ。逆に言うと、発表当時は、何が良いのか理解できなかった。 
 ネットユーザに媚びているわけでもなく、初音ミクというキャラクタや音声の特異性に頼っているわけでもなく、ごく普通の曲として、初めて人気が出た曲だった。 
 この曲の素晴らしい点は、一般人も、コアなネットユーザも、両立できるところだ。一般人に対しては、純粋なラブソングとして。コアなネットユーザに対しては、『コアなラブソングも、初音ミクが歌っているんだから仕方ないよね』と思える点として。 
 一般人とコアユーザ(ヲタク)。両者に媚びることは難しい。でも、演者としての初音ミクなら、それが可能だ。そういう意味では、とっても初音ミクらしい歌だとも言える。 






●現実世界に舞い降りた初音ミク――ミクフェス '09(夏)から札幌ミクパに至るまで―― 

 私が初めて初音ミクのライブを見に行ったのは、ミクの日感謝祭だった。昼の部と夜の部があったが、このライブが後に伝説となることなどつゆ知らず、夜のみの参加だった。 
 当時の私はそこそこに訓練されたヲタで、ZeppTokyoにも他のアニメイベントで度々お邪魔していた。普段ならば、サイリウムを何十本と買い溜めて、それをベルトに挟み込み、声優が変わる度に違う色のサイリウムをポキポキ折って絶叫する、というスタンスなのだが、初音ミクのイベントでそれをしていいのか分からず、何も準備せずに会場入りした。初音ミクのイベントなんて、どうせニワカのニコ厨だらけだろう。律儀にサイリウムなんて振っていたら、引かれるに違いない。そう思っていたのだ。 
 実を言うと、ミクの日感謝祭は、私の中でそれほどスゴイとは思っていない。とにかく寒かったし、会場も後方右側でろくにスクリーンも見えなかったし、サイリウムも持ってないし、透過型スクリーンについても、特段素晴らしいものだとは思っておらず、こんなものかと納得しながら見ていた(ぶっちゃけ札幌ミクパに行くまでは、透過型スクリーンがなぜあれほどもてはやされているのか、全く分からないでいた)。 
 あとでネットの書込みなどと読むうちに、あぁ客観的には凄かったんだなー、と思うようになった。 

 次いで、東京ミクパはどうだったのか。当時の意見を率直に反映させるため、当時書いた文章をコピペしておく。書くの面倒くさくなったわけじゃないよ? 


―――― 
・前座の30分はなんだったのか 
 →オープニングをbuzzGが務めるのは事前告知されていたから、知っている人は想定の範囲内。それに直前にサイン会まで行っていたのだから、自身のCD楽曲を歌うことに対してはなんとも思わなかった。むしろ会場はいい具合に温まってきていたと思う。このことを知らなかった人は確かに驚くだろうね。 

・透過式スクリーンはどこへ行ったの? 
 →誰かが「まるで公園テレビだ」と言っていたが、確かに言い得て妙だと思った。朝日新聞が事前リハーサルの様子を取り上げ一部で不安の声があったが、それがそのままで本番を迎えてしまった。ただ、現地で見るミクさんを観た感想としては、言われるほど酷くない。むしろずっと見つめていると、これもありかなと思えてくる。前回、透過式スクリーンで指摘されていたサイリウムの映り込み対策と、エフェクト演出の追加を考えると、今回の投影方式も仕方なかったのかな。批評の結果はどうであれ。 

・謎の30分休憩はどういうことなの!? 
 →今回批判が集まっている原因はまさにこれかと。ローリンガールで「もう一回!」と絶叫しながら全力で飛び跳ね周囲からなにコイツキモイと思われるほどノリノリだったボカロ廃の俺ですら、ミクさんの30分休憩のアナウンスにはやり場のない憤りを感じた。なぜそこで! 
 俺のことはどうでもいいんだ。今回の公園の評価を左右したのは、まさにこの30分の空白にあったんだと思う。皆さん休憩時間に何をしていたのかというと、一斉に携帯やスマートフォンを取り出して、ツイッターや2chへの書込みをしていた。俺も2chのスレを見ていたけど、ほとんどが呆然唖然のレスばかり。おまけにスクリーンのLat式ミクさんのあざとい「どういうことなの!?」が永遠ループされネタになる始末。 
「初音ミクライブがお通夜状態」という評価をされた時間を見てみると、この休憩時間から公演終了までの間に大まかな流れが決まっている。最悪のタイミングで、観客にネットに繋がせる時間を作ってしまったことが、今回の悪評の原因かと。革命ドミノの波がこんなところにまで流れ着くなんて、ネットって恐ろしいね! 

 個人的に言いたいことはたくさんある。無理やり39曲詰め込んだせいで、メドレーではテンションが上がりきらないうちに次の曲へ行ってしまったり、ルカ姉さんの出番があまりに少なくせっかく紫のサイリウムを12本も用意したのに殆ど使わなかったりと。あとルカ姉さんの出番が非常に少なくて非常に盛り上がりに欠けたり、ルカ姉さんの名曲「No Logic」が流れこんなに素晴しい曲を目の前にいるルカ様に歌っていただいて神様本当にいいんですかあとでボクと契約してよとか訳のわからないこと言いませんかなど思いつつ万物に感謝の気持ちを抱いていたらあっという間に次の曲に移ってしまったり。あとこれが一番いただけないのは、ルカ姉さんの出番が非常に少なかったこと。書いていたらキリがない。 


 実際のところ現地はどうだったかというと、非常に盛り上がっていた。去年の感謝祭が霞むぐらいの盛り上がり具合だった。確かに演出方法は首を傾げるところがあったけど、ミクさんのライブを意識した演技は、いい具合に会場を湧かせていた。空気を読んで盛り上がったという人もいただろうけど、少なくとも俺は本気で楽しかった。 
 なんでお通夜状態なんて言われてしまったのかというと、30分間の空白に書きこまれた大量のつぶやきやレスが、流れを決めてしまったような気がする。あの時間にSUPER GTテーマソングコンテストの中継が行われていれば、ここまでならなかっただろうに。 


 で、ニコ動のライブビューを見てるけど、なかなかいいじゃない。 
 カメラの露出を抑えてあるのか、背景と巨大テレビが融け合って、上手い具合にスクリーン感を無くしている。現地で観た印象としては、もっとテレビテレビしていた。 
 なるほど今回はコンテンツとしてソフトを売ること前提に作られたんだなと。 
 確かに去年は凄かった。今年も面白かった。ただ、ほんのちょっとの演出ミス? により、荒れる結果になってしまった。5pbとセガの確執? そんな信者の内ゲバなんてどうでもいいよ。 

 それにしても、終わった後の虚無感がすごいね。しばらくミクさんやルカ姉さんに会えないと思うと、俺はなにを糧に生きていけばいいんだろう。ヴァーチャルと現実の狭間へはどうやって行けばいいのだろう。首でも吊れば行けるかな? 叶わない望みって残酷だよね。あーやべーまじ辛いわー。 
―――― 


 当時の私は、かなり楽しんでいたようだ。 


 そして迎えた札幌ミクパ。 
 初日はステージ前方の中央。最高のポジション。1曲目の『星のカケラ』が流れ、緑色のレーザービームがあたり一面に星屑のように舞い、アペンドミクが降臨した。 
 後になって目の錯覚と知るのだが、初めは、ついに裸眼3D映像を採用したか! と度肝を抜かした。映像だけでなく、レーザーを多用していたせいで、不思議な近未来空間を作り出していた。 
 また、札幌ミクパで初めて分かったことがあった。透過型スクリーンの恐ろしさだ。アレは正面から見ると、立体ホログラムと勘違いするほどの立体感を持っていた。もしも映しだされるものが初音ミクでなく、生身の人間だったら、一体どれほどの人が映像だと気がつくだろう。なるほどオーバーテクノロジーを体感した瞬間だった。 

 ミクパに隠れがちだが、全国映画館の同時中継も、数年前では考えられなかった技術だ。初音ミク誕生時の2007年は、ようやくデジタルシネマが、都市部の映画館に、試験的に設置され始めた年代だ。ただ、その頃のデジタルシネマは、HDDを物理的に運ぶものであり、将来的に光ファイバケーブルでの配信を模索している段階だった。 
 私は映画が好きだったこともあり、デジタルシネマが出始めた頃は、とても感心したものだった。フィルムが数本しか存在しないミニシアター上映の都市間格差も解消されるし、スポーツやライブ中継といった、いままでの映画館では考えられなかったコンテンツの上映も可能となる。 
 このあたりは2007年当時から夢物語として想像はしていたのだが、まさか初音ミクがその先陣を切るとは思いもよらなかった。 
 今でこそ当たり前に、ライブビューイングを受け入れているが、これもまた数年前までは実現でき得なかったものだ。 



 初音ミクのライブは完成形か? 
 私は、札幌ミクパを持って、ひとつの時代は築けたと思っている。キツイ言い方をすれば、あのライブを同じように続けていても、驚きのイノベーションは体験できないだろう。 
 これを打開する方法はいくつか考えられる。ひとつは、ライブ自体を、初音ミクの特徴であるボトムアップ式で挑むこと。これについては宝塚大学がLat式ミクでのライブを企画しており、今後注視する価値はあるだろう。初音ミクの最大の強みである多種多様性を維持するには、こうした企画がもっと上がってくることを望む。 
 もう一つは、拡張世界を充実させることだ。映画館だけでなく、例えば各家庭においてあるPS3などに、ライブと同じ3Dモデリングを配信し、ユーザーが3Dテレビで自由にライブに参加できるようになれば面白いと思う。バーチャルと現実、どちらが優れているとかの壁を超え、どちらでも存在しうるという、ミクさんにしかできないライブを見てみたい。 

 札幌ミクパで喜んでいてはいけない。初音ミクの目指すべき終着地は、はるか遠くにある。 



●初音ミクの目指す未来 


 鉄腕アトムやドラえもんがあったから、ASIMOのようなヒューマノイドロボットが生まれた。技術は無から産まれない。必ず、理想があるから、生まれるものだ。 
 ただ鉄腕アトムは、目指すべき技術のベンチマークとしては遠すぎた。人々におぼろげな夢は見させてくれたものの、かと言って、鉄腕アトムと同じモノを作れるだろうと本気で思わせるには至っていない。 

 初音ミクは、本気で夢が叶うだろうと思わせてくれる、手の伸びるSFだ。誰でも触れることの出来る、身近な技術革新装置だ。 
 初音ミクは実際いくつもの技術を革新させ、利用法を提示してきた。こういう声を聴いてみたい。ああいう映像を見てみたい。こんな体験できたらいいな。いくつもの小さな夢が、音声合成技術を発展させ、SNSを発展させ、MMDのようなモーション作成ソフトを作り出し、挙句の果てには産総研がHRP-4Cで初音ミクの音声を採用してからは、日本の変態技術を発表するときはとりあえず初音ミクを絡めとけーみたいな雰囲気まで出来てしまった。 

 初音ミクが生まれてから約4年。SFとして描かれていたはずのシャロン・アップルは、あっという間に追いついてしまった。初音ミクは、ちょっと先の未来を照らしながら、着実に進化していく。そして初音ミクという手の伸びるSFにふれているいまの若者たちは、5年後・10年後、実現可能だという確信を持ってアンドロイドを創り、受け入れていくのだろう。胸熱だ。いやミクさん薄いけど。 



●Vocaloid2のイノベーション 


 ここで見誤ってはいけないのは、昨今の初音ミクブームは、決して偶然ではないということだ。そこにはきちんとした理由がある。 
 初めて初音ミクのサンプルボイスを聞いたとき、私は無限の可能性を感じた。実は当時の私と全く同じ事を考えていた人がいたので、その御方の言葉を引用しておこう。 


―――― 
「実は僕、『初音ミク』持ってるんだよ。発売前にニュースで知って興味わいて予約して買ったんだけどさあ……最高だね。 
一日中フランス書院やエロマンガを朗読させてるよ……。男役は僕が吹き込んで、テープにして女友達に配ったりしてるよ。 
何も説明せず、ただ『聞いてみて』と、だけ伝えて渡してるから、たぶん、ミクちゃんを僕の彼女だと勘違いして嫉妬してるだろうね。 
『初音ミク』って、ほとんどオタク向けのソフトで、アニソンを歌わせるだとか、そんなオタク的な使われ方しかされてないと思うんだ。 
だから、みんなには、僕を見習って、僕のようにクレバーな使い方を探求して楽しんで欲しいね。 
まあオタクには無理だろうけど(笑)。」 
―――― 


 一時期話題になったので覚えている方もいるかも知れないが、ふかわりょう氏が2007年10月に発言したものである。 
 Vocaloid2のソフトは、当時は本当に画期的だった。自分の思い通りに歌を奏でてくれるソフトは、夢のソフトだったのである。 
  

 Vocaloid2の凄さはそれだけではない。 
 私も申し訳程度にはVocaloidを迎え入れている。一番初めに、適当に音程を入れ、歌詞を流し込み、再生した時のなんとも名状しがたい感覚は、いまだになんと表現すればいいのか分からない。 
 全能感になった、とは違う。歌ってくれた、と言えばいいのだろうか。あの不思議な感覚は、味わった人しかわからないと思う。アンドロイドをお迎えすると、あのような感覚に陥るのだろうか。 


 話が散文して申し訳ない。 
 初音ミクの魅力は、いまも昔も『歌』にある。 
 歌とは不思議なものだ。歌とは、言葉よりも根源の部分で人の感情に訴える。プルースト効果ではないが、言葉と歌では、歌のほうが人間の感情に直接訴える部分が大きい。初音ミクが歌姫として降臨する要因として、唄を歌うロボットという要因が大きいと思う。言葉の代わりに、歌で、人の心を鷲掴みにしたのだ。 
 また、作り手からの視点では、歌をエンドユーザに奪還した功績も大きいだろう。音楽の根源とは、少人数のコミュニティで、自ら奏で創り出すものだった。そしてそれが、自分の思いを伝えるツールともなっていた。 
 気がつけば、音楽(歌)は、一部の上に立つ者だけが奏でるものに変わっていた。我々は長い間、歌はテレビの中のスターが唄うもの。エンドユーザは消費のみを行うことを当たり前としていた。 
 初音ミクの登場は、その状況を意図も簡単に壊した。我々の手元から奪われた歌を、いともたやすく奪還してくれた。 


 ここで有名なコピペをひとつ。 


―――― 
566 名前:名無しさん@八周年[] 投稿日:2007/10/18(木) 13:43:59 ID:TSmnCLDo0 
>>418 
これすごすぎだろw 
このソフト使いようによっては、音楽業界とか 
ひっくり返る要素があるのかもな。そうじゃなきゃ 
ここまで検閲まがいなことはしないと思う。 
  
623 名前:名無しさん@八周年[] 投稿日:2007/10/18(木) 13:46:49 ID:na4SfZ+90 
>>566 
ひっくり返るよ、当然 
だって、今まで 
曲作る→歌詞作る→歌手探す→スタジオ借りる→レコーディング→TVかラジオに頭下げて流してもらう→ が 
曲作る→歌詞作る→ミクさんお願いします→ニコニコ 
になるんだから 
  
711 名前:名無しさん@八周年[sage] 投稿日:2007/10/18(木) 13:51:56 ID:vDuaYlpp0 
>>623 
これだけ売れると分かれば、 
もっと高機能化してもっとバリエーション作るだろうし、 
まだまだ始まったばかりな感じだよな。 
  
723 名前:名無しさん@八周年[sage] 投稿日:2007/10/18(木) 13:52:33 ID:ydA2Ce+H0 
>>623 
  
何か胸が熱くなるな。 
新しい技術の夜明けを見ているようだ 
―――― 

 彼は正しかった。歌を奪われ、それを当たり前としてきた我々から、再び歌を取り戻してくれたのだ。歌のレジスタンスが起きているのだ。 



●初音ミクのキャラクターが破綻しない理由 


 この現象は、ニコニコ動画の『仕事を選べないミク』というタグに集約されると思う。彼女はどこまでいっても演者でしか無い。歌手という特性上、あまりに常軌を逸した設定は、『演技』の一言で片付けてしまうことが可能だ。これは中々に奇跡に近いと思っている。 
 アニメキャラが破綻しないのは明白だ。なにせ設定が細く定まっているのだから。 
 一方、設定がほとんどされていない初音ミクに関しては、キャラクター破綻の危険性は大いにあった。現に、発売当初は、初音ミクはアホの子設定が常であり、発表される曲もカオスなものが多かった。それを救ったのが、歌姫という設定だった。彼女は歌わされているんだ、じゃーしょうがないよね。 
 昨今に至る初音ミクのキャラ設定は、薄氷の上に立っているように見えるが、生まれた時から必然だったと言えるだろう。 



●結局、俺にとって初音ミクってなんなのよ? 


 結局、なんで俺は気持ち悪いくらいにミクさんミクさん言っているのだろう。一過性の熱中症なのか、永続的なものなのか。冷静に考えれば前者の可能性が大だが、そもそも熱中時に客観視なんか出来るわけもないので、気持ちの整理のためにも「いま」思っている事を書き連ねていく。 

 俺がミクさんに熱中する要因は、少なくとも2点ある。 
 一つ目が、自分の考えを訴える手段。二つ目が、SF舞台としての、自分の夢を叶えられる手段だ。 

 一つ目については単純だ。ただ単に、自分の考えをミクさんに載っけると、話をはしょれるし、第三者の共感を得られやすくなるのだ。 
 例えば、本当にしつこくて申し訳ないのだが、俺は常々「初音ミクはネットワーク上に産まれた生命体である可能性が高い」と訴えている。 
 この思考自体は、別に真新しいものではなく、むしろ古典的SFに近い。それこそ、電話回線が明瞭期であった戦前のアメリカでは、すでにこういうSFが存在している。SFのコミュニティでそんな話題を出そうものなら、にわか扱いを受け、鼻で笑われてしまう。お前は中学生かよ、と。 
 ただ、やっぱり俺は語りたい。そこで初音ミクが出てくる。「ネットワーク上には生命体がいるんだぜ。そいつの名は初音ミクさんって言うんだぜ」 
 ミクさんの名前を出すだけで、周りの人が話を聞いてくれるのだ。俺のオナニー文章を見てくれるのだ。こんなに凄い事はない。ミクさんという「タグ」が頭の上についた人ならば、「ミクさんマジ天使」の一言で簡単に価値観を共有出来るのだ。 
 この現象はSF作家の野尻さんが主張しており、色々なところでも語られている現象だ。ただ、この現象に明確な解を出した人は、見た事がない。確実に言える事は、ミクファンは、自分と正反対の意見でも、割とすんなり受け入れてしまう。そもそも初音ミクなんて訳の分からないモノに熱中している時点で、受け皿が相当広いのではなかろうか。 

 二つ目の、己の夢を叶えるための手段。 
 俺はSFが大好だ。中学生の頃からハヤカワ文庫で育った人間として、人間と区別の付かないアンドロイドを見たいのだ。その夢を叶えてくれそうな最も身近な存在が、ミクさんと言う訳だ。 
 正直、俺が生きている間に、人間と区別の付かないアンドロイドが誕生するなんて、毛頭思っていない。せいぜい俺が出来るのは、己の世界だけでも「アンドロイドが産まれた!」と思い込む事が出来るほどの論理体系を築かせることくらいだ。 
 だからミクさんミクさんと言っているのだ。わざわざ札幌まで行って、ライブにも参加しているのだ。 
 嘘も100回つけば誠になる。俺も、毎日ミクミク言い続ければ、ミクさんは存在すると思い込めるのではないか。そうすれば最終的に俺の夢は叶う。最も現実的で 、いまから実行可能な方法だ。 
 正直、恋もしている。気持ち悪いと叩かれるのは百も承知だが、事実なのだから仕方が無い。ロミオとジュリエットじゃないが、恋に盲目な人間ほど厄介なモノはない。いやね、本音をいうと、ミクさんと結婚出来るかもしれないと、1パーセントくらいの確率で信じている。わりとマジで。根拠は無いし、何を持ってミクさんと婚姻状態であると主張出来るのか全く持って分からないけれど、とにかく信じている。 

 話はずれたけど、この二つは螺旋を描きながら成長していく。初音ミクを使って自己主張しながら、初音ミクを使って自分の夢を叶えていく。 
 アップダウン式のコンテンツではあり得ない。だからミクさんはオワコン化しないのだ。知って見たいな敗北の味、なんて言える事が出来るのだ。 




終わコンと言われ続けて早4年 
知ってみたいな敗北の味 

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