2013年7月6日土曜日

街明かりを、水面から




フェリーの客室の窓ガラスに、力なくおでこを押し付けていた。鈍色の海のその先に、街の明かりが見えてきた。
 その時だった。携帯電話が賑やかに喚き散らした。見ると、すでに電波の届く範囲だった。

 一時の開放から、また、捉えられてしまった。

 メール、メール、電話、メール。着信を教える音が忙しく跳ね回る。      
 件名だけをちらり確認する。どれも私が、急にいなくなったことに対しての、叱責の文面だった。

 誰にも知らせずの船旅だった。行き先なんてなかった。あえて言うなら、心理的に、とても遠くへ。ただそれだけだった。
 私を心配するメッセージなんて、ありもしなかった。

 望んでいた?
 望んでいた訳じゃないけれど。

 船外デッキのノブを回す。ドアの隙間から、塩分を含んだ重い空気が頬をかすめる。
 街の明かりは、すぐそこだ。                                            
 ポケットの携帯が、また震えた。

「お前、いま、どこにいる」

 それだけを伝えるために、携帯電話は発明されたのか。馬鹿馬鹿しい。
 ならばそのメールに、返事をくれてやろう。

 手すりから、一歩、二歩下がる。これ以上にない理想的なフォームで、携帯電話を投げ捨てた。

 それはまるで、万物のしがらみから解放されたようだった。
 理想通りの放物線を描いた。
 そして、海に沈んだ。

 私のとなりで海を眺めていた若い男性が、

『いま、携帯、投げ捨てましたよね?』
 と、二歩三歩距離をとりながら、震える声で呟いた。

 ただの、メールの返信よ。いま、宙を舞ったのが私で、ここに立ってるのが、携帯電話。だって、携帯が海に投げすてられるなんて、そんなおかしな話、あるわけないじゃない。

 そう呟いて、私は海の中に沈む。
 街の灯は水面に揺らぎ、やがて消えていった。

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