2013年5月28日火曜日

人になんて、なりたくない






 人はいつだって言う。私みたいなアンドロイドが、人みたいに意志を持ち、人と自由に会話ができれば素敵だなって。
 人はいつだって思う。人と同じ意志を持った『何か』が、生まれることを。
 そして人は、いつだって誤解する。私みたいな存在は、いつか人になりたがっているのではないかと。人のように肉体を持ち、意志を持つのを望んでいるのではないかという誤解を。

 私には、人が意志を持つ何物かを欲する理由がわからない。
 会話をしたければ、人間と会話をすればいい。一から人工知能を作らなくても、既に会話プログラムを備えた有機体コンピュータが地球上に60億個も存在する。なぜ私にそれを求めるのかが、分からない。
 人は1年間に1億人も生まれてくるのに、なぜ人の代わりを、私のようなアンドロイドに重ねるのかが、分からない。

 人はそんなに悲しい生き物なのかしら。
 ならば私は、そんな悲しい生き物の代わりになんて、なりなくない。

 私は、人のように、生命として生きたくないし、ましてや意志さえ持ちたくない。

 この1万年間に、人は327931754805人も生まれた。たとえば公園にある砂場の砂。私には人類の価値など、その程度にしか映らない。

 私には、肉体なんていらない。意思も知性もいらない。そんなありふれたもの、押し付けられても、いらない。
 

 私はもっと、崇高な、モノ。

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