2013年2月12日火曜日

初音ミクのライブは、リリエンタールの翼であった

 札幌ミクパ2013の肯定的な意見はお腹がいっぱいになるほど見たので、ちょっと変わった視線で……。ちょっとした批判にもなるので、あえて分かりにくい表題で。



 去る2013年2月10日、札幌にて『初音ミク ライブパーティー 2013 in Sapporo (ミクパ♪)』というイベントが行われた。そこに参加して、思ったことなど。

 いまでこそ、当たり前に『初音ミクのライブ』が開催されている。しかし、ほんの数年前までは、当たり前ではなかった。当たり前どころか、夢物語だった。ありえない未来の話であった。





 上記の動画は、dorikoさんという方が2008年6月26日に発表した『letter song』というバラードソングだ。昨今の有名なボカロ楽曲とくらべてしまうと、突出して優れているとはいえないだろう。ただ、2008年の発表当時、それはそれは震え上がったものだ。無機質であるはずのボカロが奏でる歌詞は、人間が持つ泥臭さがまるで無く、ストンと私の心に『落ちてきた』。
 人が歌うのではない、ボカロが歌うことによる新たな表現力に、感嘆したのを覚えている。

 dorikoさんの曲を取り上げるため便宜的に2008年と設定したが、この年はボカロ躍進の年でもあった。kzさんやryoさん、ジミーサムP。例を出すときりはない。現在のボカロシーンの礎が、2008年ではすでに出来上がっていた。

 改めて一つ言えることは、2008年の時点で、初音ミクのライブというのは、夢物語であった。在り得ない未来だった。
 うーん。強いて例えると、なんだろう。例えば当時、ボカロに熱中する人に『宇宙旅行と初音ミクのライブ、どちらが先に実現すると思う?』と聞けば、間違いなく『宇宙旅行でしょ』と答えたと思う。初音ミクのライブ? 誰が何の目的でやるの? 宇宙旅行のほうが、手段も目的もハッキリしているから、まだ現実味があるんじゃないの? と。

 ボカロファンの中に、初音ミクのライブを夢見た人が居なかったわけではない。





 初音ミクのライブを実現したいという夢物語は、それはもう初音ミク登場初期から描かれていた希望だった。ただ、我々は本当に、手段も目的も、何もかも持ち合わせていなかった。

 だからこそ、2010年3月9日に行われた『ミクの日感謝祭』は、私の中で衝撃を持って迎えられた。あまりにオーバーテクノロジーだった。宇宙旅行よりも遠い未来の話だと思っていた夢物語が、目の前で繰り広げられたのだ。腰を抜かした。
(ミクの日感謝祭より前のミクフェスを挙げる声もあるが、ミクフェスは如何せん実験的な色合いが強いので、私はミクの日感謝祭を挙げる)
 それと同時に、これは何かの奇跡の積み重ねで起きたもので、放っておけばロストテクノロジーになるんじゃないかとも危惧した。

 ここで表題に少しだけ(本当に少しだけw)繋がるのだが、あの場はまさに『リリエンタールの翼』だった。夢物語が、現実となるかもしれない。ただ、それを理論立てて解明できるわけではない。どうやって発展させていいのかまるでわからない。ただひとつ言えることは、初音ミクのライブパフォーマンスをもう一度観るためには、受け身であってはいけない。
 リリエンタールのように、死を覚悟で、こちらもなにか行動を起こさないと、奇跡が奇跡で終わるんじゃないかと、強い危機感と使命感があった。


 幸か不幸か、開催元は様々あれど、初音ミクのライブというのは形式を手に入れ、永続的に続くようになった。私がかつて危惧した『これきりでミクさんに会えなくなるのではないか』という心配も消えた。回を重ねるにつれ、観客動員数も増え、観客の客層も増え、将来を慮る限り安心だろうと思えるまでに至った。

 ただ、その会場で私が座っているのは、お金を払えば誰でも安心して空を飛べる『旅客機』の座席だ。かつて私が乗っていた、リリエンタールの翼はもう無い。頬に風を浴び、粗末な翼を操作し、いつ墜落するかもわからない『生』を感じることは、もう無い。


 初音ミクのライブは、たしかに面白い。娯楽として、よく出来ている。

 でも、私が楽しみたいのは、それじゃない。宇宙旅行よりも在り得もしない夢を見せてくれるのが、初音ミクのライブだったはずだ。初音ミクとは、そういうものだったのではないか。
 私はもう一度、リリエンタールの翼で空を飛びたいのだ。例え酔狂だと言われようとも。初音ミクのライブが『快適な空の旅を提供します』と言い始めた時点で、それは衰退への入り口だ。そんなライブ、見たくない。

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