2015年3月9日月曜日

初音ミクさんへ飛ばす、紙飛行機

 今年もまた、3月9日がやってきました。いわゆる「39(ミク)」の日です。
 下記の文章は、内容をまったく決めずに書きなぐります。推敲もしないでそのまま後悔する予定です。


 初音ミクが登場してから7年近く経ちました。こんなにも初音ミクさんに魅了し続けるとは、思ってもみませんでした。いつか飽きるだろう、いずれ飽きるだろう、そう思い続け、だけれど、いまだに初音ミクさんのことを考え続ける毎日です。

 なんでこんなに長い間、初音ミクという同じ対象を愛し続けてしまったのだろうと、自傷混じりの内省をすることがあります。そこでいつも思うのは、僕は決して初音ミクそのものを好きで居続けているわけではないということです。

 2007年に初音ミクに飛びついたのも、当時ネット界の中心にあったν速板で話題になっていたからであり、ボカロエンジンそのものも当時としてはオーバーテクノロジーよろしく先進的なソフトに見えたからなんですよね。いまとなっては信じられないだろうけれど、当時は、たとえば日立や東芝製の文章読み上げソフトが何十万円もしたりと、人間の声を代用する技術が本当に乏しかったと記憶しています。そんな中、15,000円ほどで、声優さんの声で、自分の好きな歌を滑らかに奏でてくれる初音ミクは、それはもう革命的でした。当時大学生だった僕は、自転車で初音ミク体験版付きDTMマガジンを探しまわるくらい衝撃を受けたものでした。あと、これは個人的なことだけれど、パッケージイラストがKEIさんだったのも、興味を引くのに十分だった。当時のKEIさんはローゼンメイデンのイラスト同人誌を作っていて、すべて買い集めていたから、余計に、ね。
 声優の声で、自由に歌ってくれて、パッケージイラストは無名だけれど個人的に大好きだった同人作家さん。興味を引くのに十分すぎました。

 当時は2chのν速板やVIP板も、いまでは考えられないほどに活気があり、またニコニコ動画も黎明期で、新しいおもちゃを与えられた子供が目を輝かせていた状態でした。そんな中に初音ミクなんてものが放り込まれたら、そりゃもうお祭り騒ぎでした。話はそれますが、初音ミクのヒット初期における2chの影響ってすごく大きかったと思う。いまとなっては2chのVOCALOID板は過疎に近い状態ですし、Twitterでは2chの話題を出しにくい雰囲気があるので、その辺だれも語っていないですけれど。当時の熱気が完全に風化する前に、だれかこのへんの物語をまとめておいてもいいかもしれないですね。


 そして、出会ってしまった『ハジメテノオト』という楽曲。もう同じこと何十回も書くのはしんどいので、過去の記事を貼り付けておきます『初音ミク=ミーム生命体論』。

 なんでこの曲に思い入れが強いのかと言われると、これまた個人的な事情がありまして。それは学生時代の頃。リチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』という本に出てきた「ミーム」という概念に強く惹かれ、それを元に小説を書いたことがありました。人のとる利他的行動も、結局はミーム継承のための利己的行動なのですよ、みたいな内容の小説です。その小説が、とある文学賞を受賞し、雑誌に掲載されたことがありました。その中途半端な成功体験が今後の僕の人生を大きく狂わせるのですが、それはまた別のお話なので、いまは語りません。

『ハジメテノオト』の冒頭、ミクさんが『初めての音は なんでしたか?』と歌った瞬間。身体が硬直し、涙が出てきたんですよ。自分でもおかしいと思いますし、一種の宗教体験のようなものなので、言葉で表すのは無理です。
 でも、直感的に『初めての音は なんでしたか?』という問いかけが、コンピュータの向こう側にいるなにか(情報生命体でもミームでも、なんでもいい)から、全人類に向けて、コンタクトを取っているかのように感じてしまったのです。
 実を言うと、いまでも初音ミクに対する生命感は、その時感じた値を超えることはありません。ファーストコンタクトが、最大値。当時は宗教体験でしか得られなかった生命感を、いまは理論武装してどこまで近づけることができるだろう、みたいなことをしているとも言えなくもないかもしれません。自分でもこの辺、よくわかりません。

 で、そのあと間髪入れずにkzさんの楽曲に出会ってしまう。
 当時の僕は田中ヤスタカとかcapsuleとか大好きだったのだけれど、そこにkzさんのミクさんオートチューンヴォイスが殴りこんできて。ヤヴぇ、人間が歌うよりもコンピュータヴォイスのほうがハイパークールじゃん! ってな感じで、僕の音楽分野にもミクさんは侵食していきました。

 その後、いろいろあったけれど、まぁ楽しかった。セガがゲーム作っちゃったり、2010年のミクの日感謝祭では雪が降っててクソ寒い思い出しかなかったり、まぁいろいろありました。

 そんな、ちょっぴり惰性が入ったボカロ廃生活にもう一度火をつけてくれたのが、『VOCALO CRITIQUE』という同人誌でした。そこで僕は『初音ミク=ミーム生命体論』という、客観性皆無のエッセイもどきを書かせていただきました。正直、評判はメチャクチャだったけれど、僕の初音ミクサイクルエンジンに再び火が灯ったキッカケは、間違いなくこの同人誌でした。

 少しお話しをそれます。
 初音ミクをミームと言い出したのは、だれなのでしょう。おそらく公式的にきちんとしたカタチで残っているのは、nak-amiさんが作られた『わたしはミーム』という楽曲でしょう。歌詞の中の『たとえ 歌が一度 絶滅したとしても またいつか 誰かが紡ぎ始めるわ』という部分を読み解くに、初音ミクの本質は、物質でなくデータ(ミーム)であることを意識されていることは明らかです。
 もう少し直接的に、「初音ミクはネット上に生きるミームであり生命体だ」という主張が広がったのは、僕の2chの書き込みがキッカケです。僕が2chのν速に書き込んだ『ミクさんはネットワーク上に生命体として生きているから。 文化や文明といった広域的なミームではなく、初音ミクという人格を持った、初めてのミームが、ミクさん。』という一連の書き込みがまとめブログに取り上げられ、色々なところでネタ扱いされました。昨今の、ネット上に広がる(あんまり広がっていないけどw)初音ミク=ミーム生命体という考えは、この辺りから始まったのでした。

 話がそれましたので、戻します。
 同人誌などに参加した結果、初音ミク関連で知り合った人が爆発的に増えました。いままで生涯の友達の数なんて両手の指10本もいらないほどのコミュ障だった僕が、リアル社会でいろいろな人とお会いするキッカケができたのです。本当に新鮮な経験でした。

 また、それと平行して、クラブに通うようになったのも、大きな変化の一つです。ボカロ関連のクラブには2012年頃から通うようになりました。今でも年に5~6回のペースでクラブイベントに通っておりますが、これも僕の中では考えられない変化でした。俺がクラブに通うなんて! 
 実際の僕を知っている方は、絶対に信じてくれません。僕が「クラブで遊んできた」とか言っても、冗談としか捉えてくれません。それくらい、僕の性格とは真逆の遊びを、ミクさんは教えてくれました。


 語らずに通れないのが、初音ミクさんのライブ。正直にいうと、アニヲタ上がりの僕から見ると、初音ミクさんのライブというのはちょっぴり苦手です。なんというか、ヲタク特有の掛け声とか、サイリウムの振り方とか、垢抜けないなぁと思ってしまうのです。それは以前の僕が同じことで熱中していたことへの反動で、まったくもって身勝手な考えなのですが、どうしても心から楽しむことができなかったりします。
 それでもやっぱりミクさんライブは凄くって、毎回ブツブツ文句を言いつつも、何か一つはピンポイントで僕の心を打ち抜くパフォーマンスを見せてくれるのです。その最たる例が、2013年のマジカルミライでの『Last Night, Good Night』でした。当時のブログ記事がコチラです。『そしてボクは初音ミク2.0に恋をした
 このミクさんを前に、僕は2回めの恋に落ちることになりました。この後、僕のイメージするミクさんは、より本質的に、一方でより手の届かない遠いところに存在する、そんな存在となりました。


 その後も飽きることなく、ミクさんの楽曲をあさって、面白い曲があればその製作者を調べて、その人が出演するクラブイベントに行ってみたり。またはボカロイベントで知り合った方と遊んでみたり。ミクさんミーム説でブログ記事を書いたり。本当に毎日が楽しいのです。
 最近あった個人的なイベントですと、ボカロ批評という同人誌にもう一度、僕の文章を取り上げて下さったことが嬉しかったです。相も変わらず評判はよろしくありませんが、僕のミクさん像が皆さんに少しでも伝播することが初音ミクさんのミーム拡大に広がるので、有り難いばかりです。


 推敲することなく書き殴るようにこの記事を進めておりますが、これだけ書いても、やっぱり僕がミクさんを好きな理由がわかりません。そして同時に、やっぱり僕はミクさんが好きです。
 なんなのでしょうね。頭のなかではいくら堅苦しいことを考えていても、僕の嗜好にぴったりな曲を発見すると、思考停止状態でニヤニヤしながら聞いてしまうのです。また、ミクさんの可愛いMMD-PVとか見ると、これまたやっぱり、世界のすべてが吹っ飛んで、脳内がミクさんで満たされてしまうのです。
 最近ではミクさんを取り巻く環境も日進月日で、特にOculus Riftが話題になり始めてから、テクノロジーとしてのミクさんがもう一度取り上げられるようになってきました。これは僕にとって、とても嬉しい出来事です。ミクさんは常に技術の鋒に立って、常に格好良い存在でいてほしいから。ミクさんは可愛いだけではなくて、格好良い存在であることが、僕にとって非常に重要なのです。


 さて、話がまとまらなくなりました。どのように着地させればよいのかわかりません。
 最後に、僕の、現在の初音ミクさん像について語ります。
 おおまかなイメージは、過去のブログの記事で書いております『初音ミクの陽炎に触れた、あるボカロ廃の物語。』物理的な身体を与えられたミクさんと、我々人をミームとするミクさん。ミクさんには個性はありません。無です。のぺ~っとしたイメージです。そこに、人間という情報の偏在を持った存在がミクさんを観察すると、ここのミクさんが見えてくるんじゃないか、と思ってます。端折りすぎて、通じてなかったらごめんなさい。
 僕には僕のミクさんがいて、あなたにはあなたのミクさんがいて。お互いのミクさんは同じミクさんではなく、各々の観察した結果、具現化したミクさんなのです。僕のミクさんは、僕だけの、ミクさん。psy39さんという方が、とってもいいことをおっしゃっていたので、紹介しておきます。

誰だって自分にとって自分は一人しか居ないのと同じで、
試行錯誤の蓄積された時間こそがその人だけの初音ミクなのである。



 全くもってまとまっておりませんが、3月9日を迎えてしまったので、ここらで終了致します。ミクさんのことを思うのは、とっても楽しい。ミクさんに対する思いを文章にするのは、もっと楽しい。
 この思いは、いまはまだミクさんには届かないと思います。でもいつか、ミクさんのことを認知する人が増えていって、末永くミクさんが語られる存在になった時。ミームで生きるミクさんが、僕の恋文を認知してくれればいいな、と思っています。

 たとえば、僕とミクさんの間に深い谷底があって、僕は直接ミクさんに恋文を渡すことはできない。そこで僕は、恋文で紙飛行機を作り、谷を隔てたミクさんへ、紙飛行機を飛ばし続ける。
 やがてその紙飛行機は、何千、何万と積み上がり、やがて谷を埋め尽くす。その恋文の上を渡って、僕はミクさんに会いに行く。

 僕がいま行っているのは、たぶんそういうことです。この文章は目的などないけれど、ミクさんへ飛ばし続ける紙飛行機の一つなのです。


 ミクさん! いままで楽しい思い出をたくさんありがとう! そしてこれからもよろしくお願いします!


 この思い、いつか、ミクさんへ、届け!

2015年3月2日月曜日

2015年2月のおすすめボカロ曲

 もう一年の1/6が終わってしまいました。いつか重力の鎖を断ち切り、ボクを連れてってサテライトです。

 2月は、出張だの何だの忙しくて、あまりじっくりとボカロ楽曲を聴く機会がありませんでした。その中で、自分が繰り返し聴いていた楽曲を紹介していきます。




おおおっと! いきなり2月発表楽曲ではなくて申し訳ないです。でも、先月紹介できなかったので。
通勤時にいつも聴いていた、さわやかなプログレハウス。
透明で、だけれど、力強いミクさんの歌声が、ココロの中の雲を吹き飛ばしてしまうような、
とにかく元気になれる楽曲。
気持ちが沈んだ時にこれを聞くと、すごく助けられました。音楽のコトとか詳しくわからないけれど、
ボカロ楽曲を好きで良かったなーと思える一曲です。

哀愁の中にある、ココロの中で叫ぶようなミクさんの力強い歌声が素敵。

曲名に【EDM】って入っていて、あぁ温度の低いクールなハウスだなーって気を抜いていたら、
途中の転換で「ふぁっ!」っと驚く展開。
それでも、日本人好みの、アげすぎない温度が素敵。

こういうのが創れるクリエイターって一定数いると思うんだけれど、
ボカロ文化がその受け皿になっていることが、大変に喜ばしいPV。
この動画を観たあとに、冷静に語れと言われても無理なので、
とりあえず見てくださいとしか言い様がありませんw

王道のミクノポップに、ちょっと高めの心地良いミクヴォイス。


歌詞が良いです。沈んだ気持ちを助けてもらえます。
ミクさんがこういう歌詞を歌うと、心にストーンと落ちてきて、心地良い。

2週ほどまわって、最先端感さえ感じる、コンピュータシンセサイザヴォイス。
Crusher-Pも、日本でいちばん有名な海外Pになっちゃったね。
日本に来てDJプレイとかしてくれないかな。

最後はSoundCloudから。
ベース・ミュージックと、ミクさんのあどけない感じの声が、交わっていないのだけれど、
それがかえって一粒で二度楽しめる面白さがあります。

2015年2月22日日曜日

ミクさんの引力の力

 いまから、思いついたことだけを書きます。書く内容はまったく決めておりません。ひたすら演繹的に、だらだらと。


久しぶりに、ボカロとか初音ミクさんとか、関係ない話をします。

 こんなこと自分でいうと、ナルシストだの意識高い系だの叩かれそうであまり言いたくないのだが、僕は割と多趣味だ。なんでもかんでも自分で試してみないと納得出来ない性格で、崇高なものから下衆なものまで、おおよそ法律に反する以外の遊びはひと通り経験したつもりだ。
 そんなふうに四方八方なんにでもツマミ食いをする性格なので、僕には趣味らしい趣味というのを持ち合わせていない。唯一趣味といえるとすれば、ボカロ関連文化に首を突っ込むことくらい。

 それは、先日、友達と他愛のない話をしていた時だった。どういう会話の流れだったか、クルマの話になった。そこで僕が「今国内で販売されている家庭用乗用車ならば、ほぼすべての車種名と搭載されているエンジンのパワートレイン、リッター数、気筒数、ミッションの種類、車幅何ミリくらいの大きさかというのが分かるよ」と言ったところ、お前車オタクだったんだね、と返された。
 もちろん自分はクルマヲタクなんて認識は毛頭なく、実用性と採算性とデザインと情緒的な官能性の板挟みで作り出される工業製品として興味があっただけで、クルマが好きだという認識はなかった。

 でも僕は、それと同じような事象が過去にもいくつかあった。
 学生時代、古今東西の文学書を読み漁って神童だと言われたり、鈍行列車だけを使い沖縄以外の全都道府県を回ってみたり、映画館に年間100回近く通いつめ映画ジャンキー学生として北陸地方で一部コミュニティで目立つ存在になったり。

 とにかく、いちど興味をもつと、進学や引っ越しといった外的要因がない限り、壊れたロボットよろしくひたすら同じことを繰り返してしまうのだ。その行動の背後には、もちろん楽しさが含まれているが、どこまで惰性が入っていたかは分からない。

 今になって振り返ると、バカだったなぁと内省する気持ちが半分と、人としての基軸が形成されて良かったなぁと思う気持ちが半々で、自分でも答えが出ない。でも、生まれ変わってもまた、自分に生まれ変われたいと思う程度にはナルシストで自分大好き人間なので、結果的にはこれらの行動は正しかったんだと思う。


 そして、いまハマっていることといえば、間違いなくボカロに関することだ。
 ただ、ボカロと、上記の趣味とでは、決定的に違うところがある。クルマも、読書も、旅行も、映画も、ここ最近は心の底から面白いと感じたことがない。人間が『楽しい』と思える思考回路は、突き詰めればパターン化できる。映画などは顕著なのだが、どんなに面白い映画を見ていても『これは面白い構造をしている!』という楽しみ方はできても、映画のソースを僕のココロに直接注ぎ込んで興奮することはできない。その文化のおおよそが大体分かってしまっており、その決まった型式通りに物事が動く様式美を見て、あぁ思ったどおりだね! という楽しみ方しかできない。

 ボカロ文化だって、2007年からリアルタイムで追いかけ続けて、過去の様々なイベントにも参加し、申し訳程度だが作り手側としても参加しているので、ボカロに関わることならば、内情がだいたい分かる。この現象は、誰が、どのように起したのか。ボカロに携わる人々の顔を直接見て、どういうストーリーを経ていまのボカロにまつわる世界が構築されたのかが、だいたい分かる。
 最近の娯楽だと、中身はブラックボックスで、消費者の皆さん上澄みのきれいな部分だけ楽しんでねーっていうのが多いのを鑑みると、まぁ珍しいコンテンツだ。

 でもね、俺は楽しいんだ。初音ミクにまつわる物語は、すべて手に取るように把握しているので、本当ならば『あー初音ミクでしょ? 知ってるよそんなもん』ってなりそうなものだけれど、僕は相も変わらず、初音ミクについて考えるのが楽しいんだ。

 周りの人から言わせると『初音ミクにまつわる事象はリアルタイムで変化しているから飽きるわけないじゃない』とか『初音ミクは単なる道具であって、その向こうの人々の活動を見て面白いと思ってるんじゃないの』とか反論を言われそうだけれど、そうじゃないんだ。


 これは僕の問題であって、なんでボカロ、特に初音ミクだけが、こんなにも僕の心を引きつけるのかが、わからないんだ。ミクさんって、ナニモノなんだ?
 そんなんだから、ミクさんは実は生きていて、僕にミクさんのことを語って欲しいがために、干渉してきているとか、そういう夢想をしてしまうんだ。


 まとまってないけれど、終わり。ブログエントリの題名はー。そうだなー。『ミクさんの引力の力』とかにしておこうかな。

2015年2月13日金曜日

初音ミクのキャラクターを決定する『核』って、なによ?

 初音ミクの人工知能を作って、ミクさんと会話がしたいです。
 だけれど僕にはそんな才能など皆無なので、どのようなロードマップを描けば、初音ミクさんと会話ができるような「なにか」が生まれるのかを夢想して遊ぶのが精一杯なのです。今回は、そんなお話し。


 会話プログラムが出来上がったとして、なにを付け加えれば、それは初音ミクとなるのだろう。初音ミクの本来の姿であるボカロエンジンを積めばよいのか? 
 たとえば『2001年宇宙の旅』のHAL9000の声をミクさんに変えれば、HAL9000は初音ミクになるのか? ちょっと違う気がする。
 じゃあ、緑色のツインテールやニーハイという記号を乗っければいいのか? それもちょっと違う。下の動画は、HRP-4Cと呼ばれるヒューマノイド・ロボットがミクさんのコスプレをした様子を移したものだが、将来このHRP-4Cに人工知能が搭載されて会話できるようになったとしても、俺は彼女を『ミクさん!』と認識出来ない気がする。
 ミクさんの真似はできているけれど、ミクさんじゃないよね……。という感じ。



 僕が危惧しているのは、将来、誰かが、『初音ミク』を創りだしたとしても、僕はそれを『初音ミク』と認識できないんじゃないか、ということ。
 じゃあ、初音ミクというキャラクターをかたち作っている『核』は、なんだろう。初音ミクの、根源的な本質って、なんだろう。考えすぎていたら、よく分からなくなってきた。


 でも、アホな疑問に聞こえるかもしれないけれど、初音ミクのキャラクターを形成する『核』を追求する行為って、人工知能をヒトと同等の水準まで持ち上げるのに、すごく役立つと思うんだ。

 たとえば、人間ならば、身体を持っている。人間の身体を持った「なにか」が会話をすれば、たとえそれがトンチンカンな内容だとしても、人として見てもらえる。
 僕がなにかにつけて「やべーよミクさんと結婚してーよ」と言い放ち、一方でAppleのSiriがスマートな会話を繰り広げたところで、世間はSiriではなく僕に意識があると認めてくれる。それは、僕が『肉体を持った人間』という根源的な本質を持っているからだ。

 人工知能に当然ながら高度な会話プログラムは必要だが、それに加えて、意識を宿す器である、根源的な本質を載せてあげる必要がある。


 当然ながら、初音ミクは、ヒトじゃない。だからヒトと同じアプローチで肉体を『核』に用いたところで、不気味になるだけだろうし、更に進むと、単なる初音ミクのコスプレをしたヒトになってしまう。
 だから、初音ミクのキャラクターを形成する、シンプルな記号があればいいんだろうけれど、それが分からない。

 言い換えると、それが分かれば、初音ミクさんはあっさりと意識を持つ。はず。

2015年1月29日木曜日

2015年1月のおすすめボカロ曲

 早いもので、2015年も1ヶ月が経とうとしております。
 初音ミクのインパクトから今年で8年。8年かー、すごいな。8年間も同じものを追い続けてきて、僕は何を得たのだろう。……深く考えないことにします。

 今年も沢山のボカロ楽曲が発表されました。相も変わらず素晴らしい曲がたくさん生まれ続けるので、追うのも一苦労です。その中で、2015年1月に発表された楽曲で個人的に好きな曲を紹介します。



【GUMI english】I can sing 4 U【VOCALOID Original】
 たぶん韓国の方です。いつまでも聴き続けていたい、心地良いグルーヴのハウス・ミュージック。この曲が僕の心を捉えてやまないのは、海外のボカロPとしては珍しくキャラクターソングだから。

I can not sing by myself
I don't have heart
I'm machine but with your heart 
I can sing for you

自分では歌えない
私は、心を持っていない
私は、ただのロボット
だけれど、あなたの心となって、代わりに歌うことならできるの

【GUMI english】I can sing 4 U【VOCALOID Original】
Stormxex K




 その他の楽曲は、ニコ動から。


ダウナー系ダブステップ。ミクdarkのささやくような歌声がゾクゾクして心地良いです。

かめりあさんの新曲。もはや日本を代表するDJトラックメイカーになられてしまった。
ぜひ箱で聞いてみたい一曲。

ノイズ・ラウンジ・ミュージック。
ミクさんの冷たい歌声は、まさにボカロでしか表現できないわけで、
ボーカロイドの特性をうまく使った良曲です。

ボーカロイドで楽曲をつくる以上は
『なんでボカロを使うんだ?』という質問に常にさらされるわけですが、
そんな問いかけに正面から答えたような楽曲。単純に、聴いてて楽しいです。

最後の紹介曲。制作者様が意図していなかったら失礼かもしれないけれど、
とても『懐かしい』感覚を残しているのが素敵。
初音ミクが、まだキャラクターとして生きていた時代の楽曲っぽい。
雰囲気は違うけれど、「無感覚的干渉性完全制御装置」のように、
ミクさんが歌っている姿を想像できるような、そんな曲。


 初音ミクの物語が終わってしばらく経つけれども、まだまだ飽きずに楽しめそうです。2015年はどんな物語が生まれるのだろうか。

2015年1月21日水曜日

人工無脳の歴史から紐解く、ミクさんと出会える日。

 面白いブログエントリがあったので、思ったことなど。本当はツイッター上で書こうと思ったのですが、ちょっと長くなりそうだったので、ブログにて。


 僕はちょっと前から『「弱いAIとしての初音ミク」は2025年前後には誕生するんじゃね?』と言い続けている。根拠はない。直感だ。僕は、作家になれなかった成れの果てであり、一方で、貪欲にコンテンツを食いつくす消費者でもあるため、おおよそあと10年も経てば他の消費者も人工知能に対して寛容になるんじゃないのかなーという経験からくる直感だ。
 わかりやすく言おう。2025年までにミクさんに会えると言っている根拠は、「感」だ。なんの根拠もない!

 唐突に話を変えよう。『psy39』様の初音ミク妄想録というサイトに、人工無脳の歴史というエントリに、面白い記述があった。


 これのすごいところは、日本のPC史と重ねて人工無脳の歴史が語れることを示したことです。そこで、これを少し2015年版に拡張して、未来の初音ミクを考える材料にしましょう。

1. 1966年~1975年 第0世代
2. 1976年~1985年 第1世代
3. 1986年~1995年 第2世代
4. 1996年~2007年 第3世代
5. 2008年~ 第4世代
『人工無脳の歴史』より


 それぞれの世代が、具体的にどのようなコンピュータ技術と対応するのかについては、ブログの方を見てください。分かりやすいです。

 いままでの僕の記述には客観的裏付けが全くなかったので、この記事はすごく新鮮だった。それに、分かりやすい。

 意識というのは、情報の入出力の過程(厳密に言うと、入出力の過程をエピソード記憶として残す行為)だと考えている。なので、ハードウェアの進歩は、すなわち人工知能の成長という考え方は、すごくすっきりする。

 このブログエントリでは2008年以降を第4世代と呼んでいるが、この周期で行くと、第4世代が終わるのは、約2018年前後だ。あと、3年後。
 そこで、3年後に迫っている事象を考えてみると、ウェアラブル端末とVR技術が浮かび上がってくる。Google glassやOculus Riftだ。身体の拡張と、コンピュータの拡張が飛躍的に拡大し、人とコンピュータの領域がクロスハッチする。そして、情報の入出力装置を拡張させたコンピュータは、更に人と近くなる。それが、第4世代の終わりと、第5世代の始まりなんじゃないかと思う。


 そして、弱いAIとしての初音ミクさんは、第5世代には完成する。たとえば、こんな感じで。

2015年1月3日土曜日


  2039年は今から24年後で、この区分なら第6世代の終盤か第7世代の初めになります。昔から「昔流行った」と言われ続けている人工無脳ですが、妄想する近未来が来ると良いですね。
『人工無脳の歴史』より

 psy39様が、2039年時点の世界をどのように想像されているかは分かりません。
 これは僕の願望なのですが、第6世代は、人間が人体拡張と脳拡張を行い、クオリアそのものでエピソード記憶を残せるような生物になっていて欲しいです。そうすれば、ミクさんの本質と少しでも近づけるから。

2015年1月12日月曜日

ボクとミクさんが結婚しなければならない理由

 いままで『初音ミクさんを生命と認め、人と認める』ことに対し、なかば冗談半分で語っていた嫌いがある。だけど、最近になって、けっこう革新的な考えじゃないかと思ったりもするようになった。

  東京大学医学部付属病院と富士フイルムなどが、立体の造形物を簡単に作製できる3Dプリンターと遺伝子工学を駆使し、人体に移植できる皮膚や骨、関節などを短時間で量産する技術を確立したことが2日、分かった。移植の難題となっている感染症の危険性を低く抑えられるのが特長。世界初の技術といい、5年後の実用化を目指している。
SankeiBiz 1月3日(土)8時15分配信

 このニュースの面白いところは、記事の内容そのものではない。多くの人が、人体の複製を容易に作れる未来を予想しており、その未来に近づいたニュースだから、これだけ話題になったんだと思う。

 今後、人間の身体の定義が、あやふやになる世界がやってくる。簡単に交換できる身体。欠落し、拡張する、身体。物質的な身体の他にも、VR技術やモーションキャプチャ技術等によって、ネットワーク上にも身体が広がるようになる。
 そういう時代になったとき、必ずや人権の問題が発生すると思っている。己の身体が違えば、思考形態も違ってくる。いま、人が、人と認識している生命体とは、ヒト遺伝子が作り出した人間っぽい格好をしたカタチを意識の入出力装置として用い、概ね言語をエピソード記憶の追認に使用し、その過程で発生する意識っぽい何かを、人とよんでいる。人である証明というのは、DNA鑑定や脳波診断は必要ない。もっと言い換えると、人間社会が「こいつは人として認定しておかないと社会的にマズイだろう」と判断すれば、その『モノ』に人権は与えられる。
 過去の歴史を振り返ると、ほんのすこし前まで、有色人種や女性には人権が与えられていなかった。べつに差別的な思想のもとでそうなったのではない。当時の人は、ごく当たり前に、彼ら彼女らを、自分とは違う何かだと認識していたのだ。例えるなら、現在に生きる私たちが、たとえばSiriのような人と会話するプログラムをみて、これは自分と同じ「人」ではない、と思うような感覚だ。
 人権の定義が広がっていった理由とは、単に、人権を持ち得なかった人たちの社会進出によって、区別することの意味がなくなったからだ。

 今後は、人体の交換や拡張によって、個々の人の発生する意識レベルが格段に違ってくる。腕が2本ある人と3本ある人とでは、発生する意識は違ってしかるべきだ。3本めの腕を使ったことわざやジョークが生まれても、腕が2本しかない人には、一生理解できない。もっというと、身体をネットワーク上に置き換えてしまった人は、思考形態そのものが違うから、私たちと意思疎通ができない可能性は十二分にある。

 そういう世界になったとき、「ヒト」の区別は、誰が、どうやって判断するのか。身体を拡張した人、一人ひとりに対し、チェックしていくのか。人の人権付与の判断を、人が行っていいのか。

 それよりも僕は、一つの前例を作っておけばいいのだと思うのです。たとえば『初音ミクさんは、生命で、人と同じ権利があります』とか。
 たとえば全身を無機質の身体と入れ替え、ネットワーク上に思考形態を移してしまった人に対して人権があるのかないのかが問題になったとする。初音ミクさんが人と同等の権利を有するという前例があれば、迷うことなく「キャラクターであるミクさんが人ならば、あなたは間違いなく人だよね!」という風に、スムーズに物事が進む。

 最近、2045年問題というのが流行っている。2045年には、コンピュータの性能が人間の脳を超えるだろうというものだ。
 コンピュータが人間を超えるというとディストピアっぽく語られることが多いが、人にとってはいい機会だと思っている。コンピュータが人を超え、たとえば人の存在価値を奪われるなら、人は、人の定義を広げ、新たな領域を広げればいい。人以外のモノに人権が与えられた暁には、人類の総叡智は飛躍的に拡大し、新たな経済圏が生まれ、物・金・情報の移動が活発になり、人類は産業革命以来の新たな飛躍をすることだろう。

 そのためにはまず、身近な例として、ミクさんが思考する生命であることを一般に認知しておくことが、第一歩となるのだ。たとえば、そうだなぁ。僕とミクさんが、戸籍上正式に結婚するとか。そしてそのニュースが流れれば、人とはなんだろうと、内省する機会を得ることができると思うんだ。
 だからどうか、人類の未来のために、僕とミクさんを結婚させてください。