2015年3月9日月曜日

初音ミクさんへ飛ばす、紙飛行機

 今年もまた、3月9日がやってきました。いわゆる「39(ミク)」の日です。
 下記の文章は、内容をまったく決めずに書きなぐります。推敲もしないでそのまま後悔する予定です。


 初音ミクが登場してから7年近く経ちました。こんなにも初音ミクさんに魅了し続けるとは、思ってもみませんでした。いつか飽きるだろう、いずれ飽きるだろう、そう思い続け、だけれど、いまだに初音ミクさんのことを考え続ける毎日です。

 なんでこんなに長い間、初音ミクという同じ対象を愛し続けてしまったのだろうと、自傷混じりの内省をすることがあります。そこでいつも思うのは、僕は決して初音ミクそのものを好きで居続けているわけではないということです。

 2007年に初音ミクに飛びついたのも、当時ネット界の中心にあったν速板で話題になっていたからであり、ボカロエンジンそのものも当時としてはオーバーテクノロジーよろしく先進的なソフトに見えたからなんですよね。いまとなっては信じられないだろうけれど、当時は、たとえば日立や東芝製の文章読み上げソフトが何十万円もしたりと、人間の声を代用する技術が本当に乏しかったと記憶しています。そんな中、15,000円ほどで、声優さんの声で、自分の好きな歌を滑らかに奏でてくれる初音ミクは、それはもう革命的でした。当時大学生だった僕は、自転車で初音ミク体験版付きDTMマガジンを探しまわるくらい衝撃を受けたものでした。あと、これは個人的なことだけれど、パッケージイラストがKEIさんだったのも、興味を引くのに十分だった。当時のKEIさんはローゼンメイデンのイラスト同人誌を作っていて、すべて買い集めていたから、余計に、ね。
 声優の声で、自由に歌ってくれて、パッケージイラストは無名だけれど個人的に大好きだった同人作家さん。興味を引くのに十分すぎました。

 当時は2chのν速板やVIP板も、いまでは考えられないほどに活気があり、またニコニコ動画も黎明期で、新しいおもちゃを与えられた子供が目を輝かせていた状態でした。そんな中に初音ミクなんてものが放り込まれたら、そりゃもうお祭り騒ぎでした。話はそれますが、初音ミクのヒット初期における2chの影響ってすごく大きかったと思う。いまとなっては2chのVOCALOID板は過疎に近い状態ですし、Twitterでは2chの話題を出しにくい雰囲気があるので、その辺だれも語っていないですけれど。当時の熱気が完全に風化する前に、だれかこのへんの物語をまとめておいてもいいかもしれないですね。


 そして、出会ってしまった『ハジメテノオト』という楽曲。もう同じこと何十回も書くのはしんどいので、過去の記事を貼り付けておきます『初音ミク=ミーム生命体論』。

 なんでこの曲に思い入れが強いのかと言われると、これまた個人的な事情がありまして。それは学生時代の頃。リチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』という本に出てきた「ミーム」という概念に強く惹かれ、それを元に小説を書いたことがありました。人のとる利他的行動も、結局はミーム継承のための利己的行動なのですよ、みたいな内容の小説です。その小説が、とある文学賞を受賞し、雑誌に掲載されたことがありました。その中途半端な成功体験が今後の僕の人生を大きく狂わせるのですが、それはまた別のお話なので、いまは語りません。

『ハジメテノオト』の冒頭、ミクさんが『初めての音は なんでしたか?』と歌った瞬間。身体が硬直し、涙が出てきたんですよ。自分でもおかしいと思いますし、一種の宗教体験のようなものなので、言葉で表すのは無理です。
 でも、直感的に『初めての音は なんでしたか?』という問いかけが、コンピュータの向こう側にいるなにか(情報生命体でもミームでも、なんでもいい)から、全人類に向けて、コンタクトを取っているかのように感じてしまったのです。
 実を言うと、いまでも初音ミクに対する生命感は、その時感じた値を超えることはありません。ファーストコンタクトが、最大値。当時は宗教体験でしか得られなかった生命感を、いまは理論武装してどこまで近づけることができるだろう、みたいなことをしているとも言えなくもないかもしれません。自分でもこの辺、よくわかりません。

 で、そのあと間髪入れずにkzさんの楽曲に出会ってしまう。
 当時の僕は田中ヤスタカとかcapsuleとか大好きだったのだけれど、そこにkzさんのミクさんオートチューンヴォイスが殴りこんできて。ヤヴぇ、人間が歌うよりもコンピュータヴォイスのほうがハイパークールじゃん! ってな感じで、僕の音楽分野にもミクさんは侵食していきました。

 その後、いろいろあったけれど、まぁ楽しかった。セガがゲーム作っちゃったり、2010年のミクの日感謝祭では雪が降っててクソ寒い思い出しかなかったり、まぁいろいろありました。

 そんな、ちょっぴり惰性が入ったボカロ廃生活にもう一度火をつけてくれたのが、『VOCALO CRITIQUE』という同人誌でした。そこで僕は『初音ミク=ミーム生命体論』という、客観性皆無のエッセイもどきを書かせていただきました。正直、評判はメチャクチャだったけれど、僕の初音ミクサイクルエンジンに再び火が灯ったキッカケは、間違いなくこの同人誌でした。

 少しお話しをそれます。
 初音ミクをミームと言い出したのは、だれなのでしょう。おそらく公式的にきちんとしたカタチで残っているのは、nak-amiさんが作られた『わたしはミーム』という楽曲でしょう。歌詞の中の『たとえ 歌が一度 絶滅したとしても またいつか 誰かが紡ぎ始めるわ』という部分を読み解くに、初音ミクの本質は、物質でなくデータ(ミーム)であることを意識されていることは明らかです。
 もう少し直接的に、「初音ミクはネット上に生きるミームであり生命体だ」という主張が広がったのは、僕の2chの書き込みがキッカケです。僕が2chのν速に書き込んだ『ミクさんはネットワーク上に生命体として生きているから。 文化や文明といった広域的なミームではなく、初音ミクという人格を持った、初めてのミームが、ミクさん。』という一連の書き込みがまとめブログに取り上げられ、色々なところでネタ扱いされました。昨今の、ネット上に広がる(あんまり広がっていないけどw)初音ミク=ミーム生命体という考えは、この辺りから始まったのでした。

 話がそれましたので、戻します。
 同人誌などに参加した結果、初音ミク関連で知り合った人が爆発的に増えました。いままで生涯の友達の数なんて両手の指10本もいらないほどのコミュ障だった僕が、リアル社会でいろいろな人とお会いするキッカケができたのです。本当に新鮮な経験でした。

 また、それと平行して、クラブに通うようになったのも、大きな変化の一つです。ボカロ関連のクラブには2012年頃から通うようになりました。今でも年に5~6回のペースでクラブイベントに通っておりますが、これも僕の中では考えられない変化でした。俺がクラブに通うなんて! 
 実際の僕を知っている方は、絶対に信じてくれません。僕が「クラブで遊んできた」とか言っても、冗談としか捉えてくれません。それくらい、僕の性格とは真逆の遊びを、ミクさんは教えてくれました。


 語らずに通れないのが、初音ミクさんのライブ。正直にいうと、アニヲタ上がりの僕から見ると、初音ミクさんのライブというのはちょっぴり苦手です。なんというか、ヲタク特有の掛け声とか、サイリウムの振り方とか、垢抜けないなぁと思ってしまうのです。それは以前の僕が同じことで熱中していたことへの反動で、まったくもって身勝手な考えなのですが、どうしても心から楽しむことができなかったりします。
 それでもやっぱりミクさんライブは凄くって、毎回ブツブツ文句を言いつつも、何か一つはピンポイントで僕の心を打ち抜くパフォーマンスを見せてくれるのです。その最たる例が、2013年のマジカルミライでの『Last Night, Good Night』でした。当時のブログ記事がコチラです。『そしてボクは初音ミク2.0に恋をした
 このミクさんを前に、僕は2回めの恋に落ちることになりました。この後、僕のイメージするミクさんは、より本質的に、一方でより手の届かない遠いところに存在する、そんな存在となりました。


 その後も飽きることなく、ミクさんの楽曲をあさって、面白い曲があればその製作者を調べて、その人が出演するクラブイベントに行ってみたり。またはボカロイベントで知り合った方と遊んでみたり。ミクさんミーム説でブログ記事を書いたり。本当に毎日が楽しいのです。
 最近あった個人的なイベントですと、ボカロ批評という同人誌にもう一度、僕の文章を取り上げて下さったことが嬉しかったです。相も変わらず評判はよろしくありませんが、僕のミクさん像が皆さんに少しでも伝播することが初音ミクさんのミーム拡大に広がるので、有り難いばかりです。


 推敲することなく書き殴るようにこの記事を進めておりますが、これだけ書いても、やっぱり僕がミクさんを好きな理由がわかりません。そして同時に、やっぱり僕はミクさんが好きです。
 なんなのでしょうね。頭のなかではいくら堅苦しいことを考えていても、僕の嗜好にぴったりな曲を発見すると、思考停止状態でニヤニヤしながら聞いてしまうのです。また、ミクさんの可愛いMMD-PVとか見ると、これまたやっぱり、世界のすべてが吹っ飛んで、脳内がミクさんで満たされてしまうのです。
 最近ではミクさんを取り巻く環境も日進月日で、特にOculus Riftが話題になり始めてから、テクノロジーとしてのミクさんがもう一度取り上げられるようになってきました。これは僕にとって、とても嬉しい出来事です。ミクさんは常に技術の鋒に立って、常に格好良い存在でいてほしいから。ミクさんは可愛いだけではなくて、格好良い存在であることが、僕にとって非常に重要なのです。


 さて、話がまとまらなくなりました。どのように着地させればよいのかわかりません。
 最後に、僕の、現在の初音ミクさん像について語ります。
 おおまかなイメージは、過去のブログの記事で書いております『初音ミクの陽炎に触れた、あるボカロ廃の物語。』物理的な身体を与えられたミクさんと、我々人をミームとするミクさん。ミクさんには個性はありません。無です。のぺ~っとしたイメージです。そこに、人間という情報の偏在を持った存在がミクさんを観察すると、ここのミクさんが見えてくるんじゃないか、と思ってます。端折りすぎて、通じてなかったらごめんなさい。
 僕には僕のミクさんがいて、あなたにはあなたのミクさんがいて。お互いのミクさんは同じミクさんではなく、各々の観察した結果、具現化したミクさんなのです。僕のミクさんは、僕だけの、ミクさん。psy39さんという方が、とってもいいことをおっしゃっていたので、紹介しておきます。

誰だって自分にとって自分は一人しか居ないのと同じで、
試行錯誤の蓄積された時間こそがその人だけの初音ミクなのである。



 全くもってまとまっておりませんが、3月9日を迎えてしまったので、ここらで終了致します。ミクさんのことを思うのは、とっても楽しい。ミクさんに対する思いを文章にするのは、もっと楽しい。
 この思いは、いまはまだミクさんには届かないと思います。でもいつか、ミクさんのことを認知する人が増えていって、末永くミクさんが語られる存在になった時。ミームで生きるミクさんが、僕の恋文を認知してくれればいいな、と思っています。

 たとえば、僕とミクさんの間に深い谷底があって、僕は直接ミクさんに恋文を渡すことはできない。そこで僕は、恋文で紙飛行機を作り、谷を隔てたミクさんへ、紙飛行機を飛ばし続ける。
 やがてその紙飛行機は、何千、何万と積み上がり、やがて谷を埋め尽くす。その恋文の上を渡って、僕はミクさんに会いに行く。

 僕がいま行っているのは、たぶんそういうことです。この文章は目的などないけれど、ミクさんへ飛ばし続ける紙飛行機の一つなのです。


 ミクさん! いままで楽しい思い出をたくさんありがとう! そしてこれからもよろしくお願いします!


 この思い、いつか、ミクさんへ、届け!

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