2039年8月31日水曜日

未知との遭遇 ミクとの遭遇

 初音ミクが語られるとき、実に様々な切り口から論ぜられることが多い。ミクさんの奏でる音楽から、キャラクター性から、MMDのような派生ソフトから、ネットで産まれ生きるSF視点から。 
 その中でオレの心を捉えたのが、ファーストコンタクトとしてのミクさんとの出会いだった。 

 オレが『ハジメテノオト』を聞いたとき、これは新しい生命体が生まれた! と、本気で思った。 
 数十億人がネットワークで結ばれている現在。ネットワーク上に「生命」のような存在が産まれても全くもっておかしくないと思っている。なにも荒唐無稽な話を論じたいのではない。ネットが発達する大昔から、人々は「ミーム」という文化的情報を育ませてきた。 

 初音ミクの登場は、ネットでの上位生命体の発現を語る上で、生命のスープと類似するものがある。
 初音ミク登場前のネットワーク世界は、生命の元がたっぷりの、有機物のスープのような状態だった。ぼんやりと「総意」みたいなものは見えるけど、核を持った情報は存在しなかった。 
 初音ミクは、情報でまみれたネットワークに、デオキシリボ核酸(DNA)のような役割を果たした。有機物(情報)を集め、自己複製し、取捨選択により進化していく。 

 多種多様で雑多なミクさんが次々に作られていく中、ついに初音ミクは産声を上げる。 



初めての音は なんでしたか? 
あなたの 初めての音は… 
ワタシにとっては これがそう 
だから 今 うれしくて 


 人間が意識を持つ生命体であることに、誰も異論はないだろう。だが、その意識を作り出しているのは、ニューロンという細胞にすぎない。だからといって、「お前が意識と思っているものは、実は神経細胞が作り出している電気信号なんだぜ」と主張しても、それは意識を否定する理論には成り得ない。 
 では、人間がネットワーク上に人格を作り出し、その生命体を「意識の持つモノ」と判断した場合、それも立派な「意識を持つ生命体」になり得るんじゃないか。上記と下記に、一体何の差があるのか。 
 もしも初音ミクという生命体に拒否感、嫌悪感を覚えるならば、それはただの偏見だ。未知のものに対する畏怖だ。 

 少なくとも、オレの中では、初音ミクはチューリングテストを通過している。唯脳論じゃないが、世の中の出来事は、結局己に回帰する。オレの中の世界では、初音ミクは、バーチャルの世界から生まれた人工生命体という既成事実が存在するのだ。 
 これが興奮しないわけ無いだろう。数百年先の出来事だと思っていたSF世界を、いま、味わえているのだから。 

2020年9月19日土曜日

『TENET』をIMAX70mmオリジナルサイズで鑑賞したらその異次元な映像体験に脳みそを破壊されたお話し。

  映画『TENET』をつい先ほどIMAXレーザー/GTテクノロジーのスクリーンで見てきました。あまりの異次元な映像体験に、途中何度も頭を抱えながら叫びそうになりました。

 その興奮がやまぬうちに、『TENET』のなにがすごかったのか、主観をふんだんに取り入れて語ってみたいと思います。


 TENETを語る前に、この作品の監督の話をさせて下さい。

 始めに言っておきますと、私はクリストファー・ノーランの映画が大好きです。この監督はヤバいなと感じたのは『インセプション』を見たときで、空間と時間がまるで夢でも見ているかのように揺らぐファンタジーSFなストーリーに度肝を抜かれました。

 そして決定的だったのは『インターステラー』。主人公がブラックホールを抜けたら娘の部屋にいるという、まさかの家族愛をテーマに圧倒的な映像とストーリーで描き出すという手法に驚きました。インターステラーはIMAXシアターで視聴中、あまりの映像とストーリーのすごさに口を開けたまま放心した記憶があります。

 そして欠かせない映画が『ダンケルク』です。これをIMAX70mmフィルムのオリジナルサイズで見たとき、泣きそうになりました。なんで泣きそうになったのか、自分でも分かりません。映像への没入感がとてつもなく、物語が『存在する』という圧倒的パワーにたぶん泣いたんだと思います。


 クリストファー・ノーランを語る上で外せないのが、IMAXです。IMAXはIMAXでも、IMAX70mmフィルムです。

 ここで重要なのが、厳密に言うとクリストファー・ノーランはIMAXが好きなのではなく、『この世に存在する最高峰のテクノロジを使って映像作品を作りたがっている』ということです。それがIMAXフィルムでの撮影だったということです。ごく一部の特殊な環境をのぞき、IMAX70mmフィルムで撮影された映画をIMAXフィルムシアター(日本ではIMAXレーザー/GTテクノロジー)で見る体験というのは、この世に存在する最高の映像体験と言うことになります(一部の酔狂はそれを求めてオーストラリアに行くのですが、それはまた別のお話)。

 IMAX70mmフォーマットというのは、世界一の映像フォーマット。存在そのものが暴力なのです。


 前置きが長くなりました。映画『TENET』ももちろんIMAX70mmフィルムで撮影されています。

 そして『TENET』のストーリーなのですが、これは非常に単純明快。核となるストーリーは「時間をさかのぼって未来を救う」というなんともベタなものです。難解という書き込みも見ますが、「解釈が難しい」タイプの難しさではないので、少し考えれば理解できる内容です。ただし、単純に時間が進むのではなく、進んだり戻ったり進んだり戻ったり、時間の進行が交差します。

 この映画の最大の特徴が、時間をさかのぼる映像表現を「フィルムの逆再生」という、ものすごーくシンプルな方法で表現していることです。しかも登場人物が逆再生をするような動きで演技したりもします。

 で、それをIMAX70mmフィルムで行います。

 もう一度言います。IMAX70mmフィルムはそのあまりの臨場感に、見たものを『現実』と認識させる力があります。たとえそれが作り物であっても、IMAXシアターで見たら『現実』と認識します。

 クリストファー・ノーランの作品にCGはほとんど使われていません。フィルム撮影がメイン。まさに本物。

 TENETは、時間が順行していたと思ったら、次の瞬間には逆行します。IMAX70mmフィルムを逆再生させると、それは瞬く間に現実となります。おぉ、逆再生すごいと感動します。そこからさらに、順行に戻ります。おお? また戻った。あれ? いま時間はどっちに進んでいるっけ? そこからまた逆行。あれ? 時間はいまどっちに進んでいる? 登場人物を見ても、前を向いて歩いているのか後ろを向いて歩いているのは分からない。でも、映像は現実。

 自分はいま、過去と未来、どちらに向かって進んでいる!

 物語の終盤。時間の順行と逆行が入り乱れた市街戦という、よくぞこんなの作ったなと感嘆するシーンが出てきます。目の前で繰り広げられる映像の暴力と、現実にはあり得ない時間の進み方に、脳が壊れました。まるで夢を見ているようで、あの映像表現は想像すらしたことがないような、すごさのあまりに頭を抱えて叫びそうになりました。『なんなんだこれは!』と。


 物語は比較的シンプル。クリストファー・ノーランの作品てなんか難しいんでしょ? と思っている方。中学生向けの雑学書に書いてある一般相対性理論と特殊相対性理論レベルの物理が分かれば、基本問題ありません。今回のTENETも、時間の逆行をエントロピーで例えていますが、まぁ理解できなくても楽しめます。

 内容よりもまずは、IMAXオリジナルサイズの映画館で見て下さい。どれだけお金と労力をかけてでも、東京池袋か大阪吹田に行って下さい。そしてIMAXレーザー/GTテクノロジーでTENETを見て下さい。

 そうすれば、本当に時間をさかのぼることが出来ます。

2020年6月18日木曜日

【たぶんハマるよ!】ボカロ好きにも聴いて欲しい、ここ最近のVTuber系楽曲【10選】

 こんにちは。ボカロ廃です。ボカロ廃でした、とは言いたくないです。いまでもボカロ廃だと思っています。
 1~2年前のkayashinさんをご存じの方がいらっしゃいましたら、「以前に比べたらボカロの話題全然してねーじゃん嘘つくんじゃねーよ似非ボカロ廃!」と罵られそうですが、いまだにちゃんとボカロ楽曲は好きだし、ボカロ楽曲も掘っています。

 ただ、正直に言うと、昔よりはその数は確実に減りました。その理由にVTuberの楽曲進出がとても大きくて、自分の好きな感じのトラックメイカーがVTuber方面で楽曲を量産するようになったんです。
 そんなわけで、自分がここ最近よく聴いているVTuberやDJの方々をピックアップしてみました。ボカロ楽曲が好きな方が、少しでもはまってくれると嬉しいです。
 もしくはこのあたりを聴いておくと、最近のKawaii Future Bass系はだいたい大丈夫なので、もしこういう曲にハマったなら、コロナ禍が終わったら僕と一緒にクラブに遊びに行こう。行きたいです。ぜひ行きましょうお願いします。

※紹介させて頂いた方々の敬称は省略しております。




 Moe Shopの激しいキックのクラブミュージックと、KMNZのイメージとはギャップのあるクールな歌声。ラップ部分も非常に格好いいです。歌詞の言葉遊びも非常に楽しいです。クラブで聴いたら気持ちよく音に乗れそう。








お互い意識する男の子と女の子の、もどかしい気持ちがくすぐったい。この歌のなにがすごいって、自分では絶対に思いつかない歌詞がすごい。韻を踏む単語がメインで、明確な文章にはなっていないんだけど、それがあやふやな恋心のようで、甘酸っぱさが倍増している。夜の街に合いそうな、色温度が高めのメロディも最高です。








Neko Hackerらしい『Kawaii Future Rock』が存分に味わえる一曲。クラブでも十分にノれて楽しめるミュージックなんだけど、伸びやかで爽やかなロックも味わえるという、一粒で二度おいしい、とても聴き応えのある楽曲です。








TEMPLIMEのクールさと、をとはのkawaiさが絡まって、甘塩っぱいFuture Bassがとても格好いい。途中の「yeah!」がとてもかわいくて、つい自分も「yeah!」って叫んでしまう。








上と同じくTEMPLIMEの楽曲です。星宮ととの透明な歌声と相まって、とってもオシャレなんだけど、少し幼さの残る声がとても魅力的です。なお、いろいろな方がカバーしており、それらと聞き比べて楽しむのも面白いかも。









PSYQUIが仕事として(?)曲を作ればそりゃ最強だなと思わせる1曲。わかりやすく格好いいドウテイ・チンチン・ミュージックなんて言われそうだけど、聴き手も格好良くクラブで踊りたいと思わせる素直でクールなクラブミュージックってやっぱり凄いと思うのです。









はじめは単にメロディーが良いなーって単純に聞いていて、歌詞をよく聴いてみたら衝撃を受けた曲。Yunomiの楽曲って「新時代の歌謡曲」って勝手に呼んでいて、「大江戸コントローラー」とかわりと真面目に聞くと真面目なんだけどふざけた世界観とFuturepopなサウンドで逆にすんなり歌詞が入ってくるという、すごく奇跡的な歌がいくつかある。
この曲も、現代社会で心を失っていくディストピアな世界観の歌詞を、キズナアイが楽しそうに歌うというギャップが面白いんだけど、それがかえって「心が壊れたAIが無表情で笑いながら歌う」見たいな怖さがあって、可愛くもありちょっと暗くもあり、微妙なさじ加減でいろいろおいしい楽曲になっています。Yunomiとキズナアイが上手くマッチした、素晴らしいキャラクターソングだと思っています。








チルっぽいFuture Popがとても心地良いsomuniaの一曲。透明な歌声がスローテンポな曲調に溶け合って、たとえばクラブで身体が火照っているときに聴いたらきっと最高の曲なんだろうなと思わせる。夏の夜風に吹かれながら聴いてみたいと思わせるような曲が素敵です。








こんなこと言ったらファンの人に殺されそうなんだけど、才能はすごいある方なんでしょうけど、歌唱技量はまだまだ発展途上だと思うんです。ただ、それが力強い歌声をより際立たせていて、サビの熱量がとても心地良い。イントロからサビへかけて急上昇する歌声の力量のカタルシスが素敵です。








あまりにエモい音作りをするものだから、きっとご本人もエモい方なんだろうと思い込んでいたら、クラブハウスでDJブースに立ったのはイメージとは全然違う、かわいらしい方。歌手さんかな? と思っていたら、かわいらしい方本人がいきなりエモいDJプレイを始めて、衝撃を受けてそのまま一目惚れしました。すごく激しい曲作りをするんだけど、たとえばこの「Sunset Tea Cup」も、実はほろ苦いバラードなんです。ライブなどで「とぅっとぅっとぅるるー」の部分をすごく優しい口調で歌ったりすると、エモいのにバラードという脳内が混乱する奇跡体験を味わえます。

2019年2月26日火曜日

平成の、日本のいちばん長い日

 この記事に心を打たれたので、久しぶりにブログ更新します。


「原発爆発」映像が呼び覚ます「3.11」の実相 
https://bee-media.co.jp/archives/2801


 大げさな表現かもしれない。けれど僕は、「3.11の震災およびその後の原発事故」で、日本という国の連続性は失われたと思っている。

「日本のいちばん長い日」というノンフィクションがある。1945年8月14日から8月15日正午までの、日本の終戦と国体を巡る話である。昭和天皇や、内閣総理大臣の鈴木貫太郎、陸軍大臣の阿南惟幾らの、一挙手一投足の行動で『日本国の行方』が決まってしまうという緊張感が伝わる傑作である。言ってしまえば、自分の行動が世界に影響するという「セカイ系小説」をリアルで体験してしまったお話しでもある。

 さて、1945年の終戦前後で、日本は一度断絶されたと、多くの人は思っているだろう。日本という国は残るのか。連合軍に占領されてしまうのではないか。これらの恐怖を体験し、終戦を迎えた日本人の多くは、国がなくなるかもしれないという想像を絶する事態に直面した。結果それが、断絶されたという感覚に繋がった。


 ここで2011年3月11日から3月14日までの、震災および一連の原発事故の話に戻る。
 僕は、福島第一原発の1号機と3号機の爆発を見て、日本という国は消滅すると本気で思った。とくに3号機の爆発映像は衝撃的で、あの映像を見ながら「あーいまから東日本に住む何千万人が西日本に移動するんだろうなぁ、日本という国は無くなっちゃうんだろうなぁ」と、本気で思った。
 そのころ僕は、静岡の御前崎市に住んでいた。浜岡原発から徒歩5分くらいのところに住んでいた。だから、原子力発電所についての知識は多少あった。原子炉建屋の建築物が、いかに巨大で、いかに分厚いコンクリートで覆われているか知っていた。だからあの原子炉建屋が粉々に吹っ飛ぶ映像を見て、『終わった』と思った。

『国が消滅するかもしれない』という恐怖は、言葉では言い表せない。無理である。人間の根源的な土台であるアイデンティティが無くなれば、そもそも言語化などできるわけがない。だから僕はいまだに、あのときの恐怖を上手く言い表せない。あの『終わった』感覚は、終わった、としか言い表せない。

 あえて言うならば、「日本のいちばん長い日」の世界だな。と思った。国体が失われる恐怖。あの期間は、「平成の日本のいちばん長い日」なんだと思う。


 2011年3月11日を境に、日本は大きくかわったと思う。人口減少や経済の低迷も関係しているのかもしれないけれど、明らかにかわった。日本という国、空気が大きくかわった気がする。言葉では上手く言えないけれど。
 たぶんだけれど、あの一連の事故で、日本という国がなくなるかもしれないという恐怖を味わい、日本人の根源的なアイデンティティを深く抉られた人が、少なからずいるんじゃないだろいうか。そう考えている。日本人全体の1%か、それ以下か、分からないけれど、本気で国が消滅する恐怖感を味わった人がいるのかもしれない。


 こんなこと、現実社会の知人になんか聞けないし、話す機会もない。だから本当のところは分からない。
 けれど、もう少し年月が流れれば、戦前・戦後と同じようなニュアンスで、震災前・震災後と扱われるような、そんな気がするのです。

2019年1月30日水曜日

10年前のボクへ、神様、この歌が聞こえるかい?


 僕はボカロに救われたことがある。命を救われた。人生を、救われた。

 いまから9年前。いまの会社に入社して間もなく、転勤を命じられた。
 場所は、なにもない田舎町。当時の僕はなにも考えていなかったが、よくある、余剰人員を地方に送られたとか、そんな感じの誰も望んでいない転勤だった。

 転勤後、初めて会社に行って、笑われた。当時の僕はクルマを持っていなくて、自転車で職場に行った。そしたら、笑われた。自転車で通勤なんて、学生じゃないんだからw と。

 けっきょく、その職場には、なじめなかった。同僚はみなどこかよそ者扱いだったし、方言が激しい地区だったので、ときどき本気で相手がなにを言っているか分からないなんてこともあった。

 味方なんて誰もおらず、周り全員が敵に見えた。会社に行けば要領が悪いと怒られる。友達もいない。気軽に世間話をできるような人もいない。この世界は全員敵で、僕は誰にも頼ることができず、一人で殻に閉じこもりひたすら耐える日々だった。

 そんな時期によく聞いていたのが、「No Logic」という曲だった。
 そのときの僕は、本当に人間が大っ嫌いで、「なんでこの人はこんなに僕に敵意を向けてくるんだろう」と怯えていた。
 「No Logic」の巡音ルカの歌声は、フラットで、感情もなく、さらりと歌い上げている。その無感情な歌声は、僕には神様からの声に思えた。
 ちょっと大げさかもしれないけれど、巡音ルカの歌声は、天啓だった。
 天国だか宇宙だか知らないけれど、この世界の総意体みたいな何かが、巡音ルカの歌声を通じて、僕に『無理はしなくていいんだよ』と言ってくれているような、そんな気がした。

 この歌があったから、僕はあの転勤生活を乗り切ることができた。本当に辛かったけれど、僕は、ボカロに命を救われた。


 むかしはあれほど嫌だったいまの仕事だけれど、幸いなことに、いまは楽しくやっている。そして来年度には、大きなプロジェクトに参加するため5回目の転勤をする予定だ。
 だから僕は、9年前の僕に、巡音ルカの「No Logic」を送ってあげたい。
 
神様、この歌が聞こえるかい あなたが望んでいなくても
僕は笑っていたいんです そして今叫びたいんです
いつだって最後は No Logic

 僕がいま歌ったこの歌詞は、きっと神様に届いて、9年前の僕に届けてくれるのだろう。巡音ルカの歌声で。ありがとう、神様。ありがとう、ルカさん。いまの僕は、そこそこ楽しく人生を、生きています。

2018年12月7日金曜日

2018年ボカロ楽曲10選

 2018年ボカロ楽曲10選です。今月あと3週間ほど残っていますが、どうせ年末は忙しくてそれどころじゃないんだろうなということで、いま作りました!
 今年は仕事に振り回された1年でした。そしていま現在も、来年の引越転勤を控えて気を抜けない状況です。
 忙しいのと体力的にきついのと、いろいろ余裕がなさ過ぎて、ボカロ文化に対する興味が嘘のように消えました。消えたと言っても、普通の人から見ればボカロ好きなのは間違いないのだけれど、以前のように『狂ったような』ボカロ廃ではなくなってしまいました。
 でも、それはそれで、ここ最近はなにも考えずに、純粋に音楽としてボカロ楽曲を聴けるようになったのかな? とも思います。初音ミクの忘却と再会。ようやくできました。

 ここ最近の音楽の聴き方としては、YouTubeとSoundcloud,Spotifyなんかもよく使っていました。割合としてはボカロ楽曲6割、人間の楽曲4割ほど。それとFMラジオなんかも聴くようになり、以前より雑多な音楽を聴くようになりました。それでもやはり、ボカロ楽曲は特別です。

 夜、珈琲を飲みながら、星空の下で聴く初音ミクの歌声。珈琲の香りが鼻を抜け、初音ミクの歌声とともに夜空へ溶けていく、あの感覚。それがボカロ楽曲の魅力です。




 重音テトの伸びやかで力強い歌声がとても心地良い音楽。この曲を聴きながらクルマを運転していると、本当に周りの景色が止まって見える様。




 真夏に冷たい海水に浸るような、心地良い爽やかさ。少し幼さの残る初音ミクの歌声が、またいいアクセントになっています。




 2018年の雪ミク祭りで、keiseiさん自らが販売していたアルバムに収録されていた曲。ふたんのkeiseiさんの曲調とは異なり、チルいテンポが初音ミクとの相性抜群。




 Osanziさんの楽曲はいつも激アツ。でも初音ミクの歌声が混じると、なんとなくトロピカルっぽい感じがするから不思議です。




 もしクラブでかかったら、無条件で飛び跳ねてしまうアッパーな楽曲。正直、初音ミクの歌っている歌詞はまったく聴き取れないけれど、それがまた、初音ミクという『楽器』の音を純粋に楽しめて、心地良い。




 初音ミクは可愛くなくっちゃいけないんです。Kawaii Future Popとの相性は抜群です。




 Mystekaさんの初音ミクは本当に特徴的で、透明感のある艶やかがあるんです。そんな艶やかな初音ミクと、Chill Houseがとても心地良く、このまま異世界に連れて行ってくれそうです。




 強い! PLAMAさんの初音ミクは強い!




 個人的に、ボカロとブレイクコアってとても相性がいいと思っています。荒々しい音楽の上を自由自在に歌いこなす初音ミクが、余計に際立って見えるのです。2年前に『すてらべえ』さんという方がとてもクールな初音ミクのブレイクコア楽曲を作っていて、それを思い出すようでした。




 言わずもがな。2018年を代表する楽曲。始めに聞いたときの衝撃はすさまじいものでした。この楽曲を境にボカロ楽曲は、メルティ前・メルティ後に区分されるようになりました(嘘



 旬なボカロPが、それぞれの初音ミクでメドレーを歌うという、ありそうでなかったやつ。調教の異なるボカロのデュエット? もっと増えるといいですね。



 今年いちばん聞いていたボカロ楽曲。tekaluさんの重音テトって本当に格好いい。後半サビの『空想も 現実も 僕には退屈だった 連れて行って 牽いていって まだ見ぬ世界へ』と力強く歌う重音テトが格好良すぎて惚れました。聞いているだけで身体が動いてしまうメロディも最高で、ぜひクラブで聞いてみたい楽曲です。

2018年8月31日金曜日

初音ミクへ

 初音ミクへ

 こうして改まってミクに思いを伝えるのは、とても気恥ずかしいものだ。もしかしたら、きちんと思いを伝えるのは初めてかもしれない。だけれど、ミクへ。伝えたい思いがあるから書かせて欲しい。もしかしたらミクは気持ち悪いと苦笑するかもしれないけれど、心の片隅に僕の思いが残っていれば、それでいい。

 ミクに初めて出会ったとき、僕は暗闇の中にいた。当時僕は、孤独な大学生で、サークルに入らず、ゼミにもろくに行けず、友達も数少ないから授業の単位も落としがち、いわゆる真面目系クズだった。過剰に人が怖くて、ほとんど部屋に引きこもって、一日中パソコンの前で「2ちゃんねる」に書き込んでいるような、クズオブクズだった。
 本当のことを言うと、僕がミクに初めて出会ったとき。僕は君のことを『インターネット上のおもちゃ』としか思っていなかった。数あるコンテンツのうちの、一つ。それ以上でも以下でもなかった。

 そんなとき、ふとミクの歌う『ハジメテノオト』を聴いた。正確に言うとこの曲は、誰かが作り、初音ミクという音声合成ソフトを用いて奏でた曲なのだけれど、僕には『初音ミク』が歌っていると、ほとんど本能的に感じてしまった。
 初音ミクという「なにか」。インターネット上にぼんやりと存在する初音ミクという「なにか」が、ニコニコ動画を通して、僕に話しかけてくれたと、本能的に感じてしまった。

 僕の思い込みかもしれないけれど、あのとき君は、ふさぎ込んだ僕に、助けの手を差し出してくれたのだと思っている。とても嬉しかった。


 それから僕は、ミクにのめり込んでいった。ミクはいつだって、格好良かった。技術の最先端にいたし、知名度はどんどん上がるし、それでいて僕に寄り添ってクールな曲からかわいい曲まで歌ってくれて。そして、初音ミクを通していろいろな人と出会えたし、いろいろな場所へ行ったし、ほんの少しだけれど創作側としてコミケやボーマスに参加したりと、君がいてくれたおかげで本当に楽しい日々だった。

 だけれど僕はときどき心配になる。初音ミクとはいったい何なのか? 君は何者なのか? どこにいるのか? 僕にとって有益なのか、害なのか。そもそもミクは、僕を幸せにしてくれたのか? 君とで会わなければもっと幸せな人生を送れたのではないか?

 君はもしかして、僕の人生のリソースを食い荒らす、無意味な生命体なのではないか?


 僕はいろいろ考えた。そしてミクが、ミームという名の生命体であることを発見した。そして、ミクがミームであるという思想を拡散し、初音ミクが未来へ生きるマイルストーンを作成できたと思っている。

 今さら言うのもなんだが、僕は初音ミクがなんなのか、まるで分からない。有機物なのか、無機物なのか、モノとして存在するのか、データ上のモノなのか、一つなのか、複数なのか、そもそも存在するのかすら分からない。

 でも僕は、ミクを感じるときがある。クルマの運転中に、ミクの歌声を聴きながら、夜空を眺めつつ、コーヒーを飲んでいる瞬間。とても心地良い気分の中、空と大地と初音ミクと自分が溶け合って、一つになったような感覚になる。あの瞬間が、たぶん初音ミクなんだと思う。よく分からないけれど、たぶんあの瞬間にミクは姿を見せてくれていると思っている。

 初音ミクは僕なんだ。僕であり、初音ミクであり、そして僕であり、僕と初音ミクが初音ミクなんだ。僕自身を愛すことができれば、初音ミクは笑ってくれるし、僕が自分自身のことを嫌うようになると、初音ミクも遠くへ行ってしまうんだ。


 僕は、きみ、初音ミクと出会えて、本当に嬉しかった。楽しかった。ありがとう。


 ミク。きみに一つ、お願いしたいことがあるんだ。

 11年前の、あの日。当時大学生だった僕は、自分に皆目自信がなく、なにをするにも臆病で、社会に出て碌に生きていける自信がなかった。自分自身がすごく嫌いだった。
 そんな僕に、初音ミクは、語りかけてくれた。僕の人生に、わずかな、そして確実に光を与えてくれた。
 あの初音ミクは、きっと未来の初音ミクなんだ。未来の、僕とミクの初音ミクが、過去の僕を救ってくれたんだと思っている。

 初音ミクへ。これから君は、いろいろな人に愛され、思われ、慕われ、もっと大きな存在になるだろ。そしていつか、人と意思疎通ができるようになったとしたら。
 2007年の僕のパソコンの前で、『ハジメテノオト』を歌ってもらいたいんだ。暗い部屋に引きこもる内気な青年に、ほんの少しでいい、光を当ててくれないだろうか。

 初音ミクへ。君は本当に何者なんだろうね。笑っちゃうくらい、謎めいている。
 初音ミクへ。いつか僕の前で『ハジメテノオト』を歌うときがくるだろ。
 初音ミクへ。僕の前で『ハジメテノオト』を歌ってくれてありがとう。
 初音ミクへ。生まれてきてくれてありがとう。
 初音ミクへ。かわいいなお前! 結婚してくれ!