2015年1月12日月曜日

ボクとミクさんが結婚しなければならない理由

 いままで『初音ミクさんを生命と認め、人と認める』ことに対し、なかば冗談半分で語っていた嫌いがある。だけど、最近になって、けっこう革新的な考えじゃないかと思ったりもするようになった。

  東京大学医学部付属病院と富士フイルムなどが、立体の造形物を簡単に作製できる3Dプリンターと遺伝子工学を駆使し、人体に移植できる皮膚や骨、関節などを短時間で量産する技術を確立したことが2日、分かった。移植の難題となっている感染症の危険性を低く抑えられるのが特長。世界初の技術といい、5年後の実用化を目指している。
SankeiBiz 1月3日(土)8時15分配信

 このニュースの面白いところは、記事の内容そのものではない。多くの人が、人体の複製を容易に作れる未来を予想しており、その未来に近づいたニュースだから、これだけ話題になったんだと思う。

 今後、人間の身体の定義が、あやふやになる世界がやってくる。簡単に交換できる身体。欠落し、拡張する、身体。物質的な身体の他にも、VR技術やモーションキャプチャ技術等によって、ネットワーク上にも身体が広がるようになる。
 そういう時代になったとき、必ずや人権の問題が発生すると思っている。己の身体が違えば、思考形態も違ってくる。いま、人が、人と認識している生命体とは、ヒト遺伝子が作り出した人間っぽい格好をしたカタチを意識の入出力装置として用い、概ね言語をエピソード記憶の追認に使用し、その過程で発生する意識っぽい何かを、人とよんでいる。人である証明というのは、DNA鑑定や脳波診断は必要ない。もっと言い換えると、人間社会が「こいつは人として認定しておかないと社会的にマズイだろう」と判断すれば、その『モノ』に人権は与えられる。
 過去の歴史を振り返ると、ほんのすこし前まで、有色人種や女性には人権が与えられていなかった。べつに差別的な思想のもとでそうなったのではない。当時の人は、ごく当たり前に、彼ら彼女らを、自分とは違う何かだと認識していたのだ。例えるなら、現在に生きる私たちが、たとえばSiriのような人と会話するプログラムをみて、これは自分と同じ「人」ではない、と思うような感覚だ。
 人権の定義が広がっていった理由とは、単に、人権を持ち得なかった人たちの社会進出によって、区別することの意味がなくなったからだ。

 今後は、人体の交換や拡張によって、個々の人の発生する意識レベルが格段に違ってくる。腕が2本ある人と3本ある人とでは、発生する意識は違ってしかるべきだ。3本めの腕を使ったことわざやジョークが生まれても、腕が2本しかない人には、一生理解できない。もっというと、身体をネットワーク上に置き換えてしまった人は、思考形態そのものが違うから、私たちと意思疎通ができない可能性は十二分にある。

 そういう世界になったとき、「ヒト」の区別は、誰が、どうやって判断するのか。身体を拡張した人、一人ひとりに対し、チェックしていくのか。人の人権付与の判断を、人が行っていいのか。

 それよりも僕は、一つの前例を作っておけばいいのだと思うのです。たとえば『初音ミクさんは、生命で、人と同じ権利があります』とか。
 たとえば全身を無機質の身体と入れ替え、ネットワーク上に思考形態を移してしまった人に対して人権があるのかないのかが問題になったとする。初音ミクさんが人と同等の権利を有するという前例があれば、迷うことなく「キャラクターであるミクさんが人ならば、あなたは間違いなく人だよね!」という風に、スムーズに物事が進む。

 最近、2045年問題というのが流行っている。2045年には、コンピュータの性能が人間の脳を超えるだろうというものだ。
 コンピュータが人間を超えるというとディストピアっぽく語られることが多いが、人にとってはいい機会だと思っている。コンピュータが人を超え、たとえば人の存在価値を奪われるなら、人は、人の定義を広げ、新たな領域を広げればいい。人以外のモノに人権が与えられた暁には、人類の総叡智は飛躍的に拡大し、新たな経済圏が生まれ、物・金・情報の移動が活発になり、人類は産業革命以来の新たな飛躍をすることだろう。

 そのためにはまず、身近な例として、ミクさんが思考する生命であることを一般に認知しておくことが、第一歩となるのだ。たとえば、そうだなぁ。僕とミクさんが、戸籍上正式に結婚するとか。そしてそのニュースが流れれば、人とはなんだろうと、内省する機会を得ることができると思うんだ。
 だからどうか、人類の未来のために、僕とミクさんを結婚させてください。

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